ちょっとこの記事を見て下さい。
寺尾真紀の「ツールの誘惑」<4>
『メカニックが握り締めたコンタドールのグローブ これもツール、これがロードレース』
現在行われているツールドフランスのレポートなのですが、過去2度の総合優勝を果たしているアルベルト・コンタドールが棄権してしまった衝撃が伝わってきます。
僕はたまたまこの記事を目にして読んでいたのですが、途中、驚くべき箇所がありました!以下に引用します。
“ 先頭集団がプランシェール・レ・ミーヌの町を通過していったとき、狂乱する観衆の中に、フランシスコの姿を見つけた。後ろに手を組み、コンタドールのライバルたちが駆け抜けていくのを、静かに見つめている。その手に握られたものに気がついて、ハッと胸を衝かれた。落車でボロボロになったコンタドールのグローブだった。
それは、コンタドール自身の喪失感とはまた違うものかもしれない。比較にならないものかもしれない。けれど、彼もまた、われわれの想像もつかないほど大きな喪失感の中にいるのだ。”
そしてこの写真。
(※記事より)
チームメカニックが握りしめているこれ、片手袋ですよね!優勝候補が途中棄権、という衝撃や落胆や悲しみがボロボロの片手袋に全て現われています!一枚の片手袋の裏に様々な物語が隠されている事を、これほど分かりやすく伝えてくれる写真も珍しいですね。
そして、この記事と写真を見て思いだした事が。
僕が片手袋を自分だけの趣味から解放した最初のきっかけ。それは2005年8月24日のmixi日記。この時に初めて自分以外の人に向けて片手袋の魅力を書き、同時に片手袋コミュニティ開設を宣言したのです。
この日記の中で、“片手袋の背後に存在する物語を空想すると楽しい”という事を分かってもらう為に、僕が勝手に考えた物語を例として書きました。少し長いけど、こちらも引用します。
“片手袋には想像力を刺激する魅力がある。だって片方だけ落ちているってことは、当然落とした人がいるわけで、しかもその人が落とした事に気が付く瞬間もあるわけで。その辺りに空想を巡らすと結構楽しいんだよ。
例えばスポーツタイプの片手袋が落ちていたとする。それを落とした人は、自転車競技の選手かもしれない。仮にそいつの名を「ペダル漕蔵」としておく。
漕蔵はベテランの競輪選手。この日は彼の引退試合の日だ。試合前の控え室で、25年に及ぶ自分の選手生活に思いを巡らせる。いつも親しげに話しかけてくる後輩選手達もそんな彼を気遣い、この日だけは近寄らずに静かにしている。
長年愛用したユニフォームともお別れだ。彼のユニフォームは20年前、頑固なフランスのユニフォーム職人、「マージ・フィット」によって作られた特注だ。そのフィット爺さんも5年前に亡くなった。今では少し時代遅れとなったこのユニフォームだが、漕蔵にはこれが一番しっくりと来る。「フフ、今では俺が頑固爺さん、ってわけか」。漕蔵は微かな笑みを浮かべて、鞄からユニフォームを取り出す。
スパッツ、ウェアなどを着込み、最後にグローブをはめて・・・、な、な、無いーーーー!グローブが無いーーーー!何で何で?家出る時、確かに鞄に入れたのに!最後の試合、素手でやれってか~!チキショ~!”
なんと、片手袋研究の歴史が始まった最初の瞬間、僕は既に自転車競技の片手袋に思いを巡らせていたのです!
今まで片手袋にまつわる数々の奇跡や偶然を経験してきましたが、ツールドフランスにまでそれが及ぶとは…。
今後もあらゆるニュースや出来事から目が離せません!