かたてブログ

片手袋研究家、石井公二による研究活動報告。

村上春樹『アフターダーク』の片手袋、または片手袋的読み解き

2017-08-14 21:55:06 | 番外

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村上春樹の『アフターダーク』を読んでいたら、以下の文がありました。

「路上にはいろんなものが散乱している。ビールのアルミニウム缶、踏まれた夕刊紙、つぶされた段ボール箱、ペットボトル、煙草の吸い殻。車のテールランプの破片。軍手の片方。
(『アフターダーク』村上春樹、講談社文庫P.209)

軽作業類放置型道路系片手袋ですね。

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村上春樹が道路の落ちているもののラインナップに片手袋を入れている事が嬉しかったのですが、本作を読み終わってみると案外もうちょっと深い部分に片手袋が関わってる気がしました。

本作には片手袋だけでなく、手袋の描写が幾つか出てきます。他にも「姉妹や父子」「鏡の中と外」といったように、対になるものが多く登場します。そしてそれらは時に、

・そばにいたくても離れていってしまう
・離れたくても逃れられない

という相反する状況下に置かれています。僕が片手袋研究家だから特殊なんですが、こういう描写を見るとどうしても、道端に忘れられた放置型片手袋や、拾われた介入型片手袋を思い出してしまいます。

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物語の後半、幼いころに父親が一時期刑務所に入ってしまい離れ離れになった経験を持つ高橋が、このような独白をします。

「つまりさ、僕はそのときこう感じたんだよ。お父さんはたとえ何があろうと僕を一人にすべきじゃなかったんだって」
(『アフターダーク』村上春樹、講談社文庫P.214)

高橋は父親が刑務所から帰ってきてからも、何故か心の底から安心することは出来なくなってしまいます。

僕は落とした片手袋が再び手元に戻ってきた経験はないんですが、前から感じていることがあって。

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介入型片手袋が無事落とし主のもとに帰ったとして。一定期間、自分の手元から離れてしまった手袋に対して、持ち主は再び「自分のものだ」という感覚を持てるのか?なんとなく自分の知らない世界を見てきてしまった手袋に対し、違和感を抱くのではないか?

高橋が父親に抱いた違和感は、まさにこういった感情だったのではないか?そして、その感情に苦しめられているのは主人公であるマリも同じなんですね。

マリと姉のエリは幼少期、エレベーターに閉じ込められてしまう経験をしますが、その時に二人の距離は最も近くなる。しかし、それ以降その距離の近さを経験することは二度となく、二人の関係は壊れて行ってしまう。

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これ、以前目撃した例なんですが、わずか10mほどの距離を置いて、もともと一組だった手袋がそれぞれ介入型と放置型の片手袋になっていたんです。

もともと一組だった手袋が、片方は拾われて目立つ場所に置かれ、片方は地べたに放置されている。まるでマリとエリのようです。

しかし『アフターダーク』では、どうしても近づけない事とどうしても逃れられない事に善悪の区別を付けていないような気がします。中国人に付け狙われる白川、何かから逃げようとしているコオロギは不吉な未来を纏っていますが、マリがあの晩高橋やカオルに何故か出会ってしまったことは少しだけポジティブな変化をマリに与えているような気がします。高橋が父親に、マリが姉に近付けないことは同時に、彼や彼女に別の生き方を与えたようにも思える。

そして大事なのは、「片手袋が放置型か介入型か?」というのは僕がその片手袋に出会った瞬間の判断でしかないように(一つの片手袋が放置型になったり介入型になったりすることは間々ある)、人の一生において誰かと誰かの距離なんて変化し続けていくものだ、ということ。

この小説に時々挟み込まれる第三者的視線は、それを思い起こさせるためにあるような気がします。

「私たちの視点は架空のカメラとして、部屋の中にあるそのような事物を、ひとつひとつ拾い上げ、時間をかけて丹念に映し出していく。私たちは目に見えない無名の侵入者である。私たちは見る。耳を澄ませる。においを嗅ぐ。しかし物理的にはその場所に存在しないし、痕跡を残すこともない。言うなれば、正統的なタイムトラベラーと同じルールを、私たちは守っているわけだ。観察はするが、介入はしない」
(『アフターダーク』村上春樹、講談社文庫P.41-42)

他人の人生の緩やかな変化に僕が手を加えることはしたくないので、「出会った片手袋には触らない」というルールを自分に課しています。僕はあくまで観察者なのです。そんな心持を上記のような文章は完璧に言い表しています。

たった一か所片手袋に触れている事から想像を膨らませてしまいましたが、本作品には片手袋研究を考える上で重要なヒントがたくさん詰まっておりました。

なんとなく不吉で重苦しい作品ではあるのですが、読後感は意外にも爽やかな物でした。本当のところ、作者が描きたかったのは東京の夜の闇ではなく、『アフターダーク』、つまり夜明けだったのかもしれません。

そうそう。先程紹介した介入型と放置型、別々の運命を辿っていた手袋。放置型の方の片手袋があった場所を後日通りかかったら、

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介入型掲示板系に変化してました。片手袋の、人の辿る運命は複雑ですね。