クワガタみたいに、単体で大きな意味を持つ虫もいれば、ゾウムシみたいに単体ではそれほど魅力がなくても、膨大な種類を集めた時に初めて意味を持つ虫もいる。
片手袋もまさにゾウムシタイプ。一枚一枚の写真にはそれほどのインパクトはないが、これが一万枚ぐらい集まったらどうだろう?何か今までに見た事もない景色が見えてくるような気がするのだ。
だから僕は撮り続ける。僕が死ぬ時にどれほどの片手袋写真が集まってるか分からないが、それを並べた時に皆が少しでも笑ってくれたらそれで良いじゃないか。
でもさ、一生かけて何かに取り組むってもう一つ可能性があると思うんだ。
僕が死んだ時に膨大な片手袋写真を並べてみて、皆が何一つ心動かされなかったら?それはそれで面白いと思うんだ。「あいつ、一生かけて訳分かんない事に取り組んで、しかもそれが何の意味もなかったぞ、おい…」って。笑えますよ。
だから、いずれにせよ。
僕は撮り続けなければならないのだ。