>※※※以下、引用※※※
>「専門職大学」を創設することが5月に決まりました。1964年に短期大学ができて以来、大学に新たな区分が加わるのは55年ぶりのことです。2019年4月から開校できるようになります。
>(中略)
>具体的にはどんな大学ができるのでしょう。
>静岡県立農林大学校(磐田市)は「農林業の生産技術が分かるだけでなく、経営もできる人材を育てたい」と専門職大学への移行を検討しています。>調理師専門学校を展開する辻調グループ(大阪市)は調理師を育成する既存の学校とは別に、飲食業の経営を学ぶ専門職大学の新設を目指しています。>担当者は「飲食業界の人手不足を突破できる人材を育てたい」と意気込んでいます。
>(中略)
>「専門職大学」によって大学教育はどのように変わるのでしょうか。筑波大学の金子元久特命教授に聞きました。
>(中略)
>――金子教授は、専門職大学についての審議会に委員として参加されました。どのような経緯で創設が決まったのでしょうか。
>「一般論として、大学の教育は学問的なことに寄りすぎていて役に立たないという批判があった。
無哲学・能天気の人々には、哲学・学問は無理ですね。これらは非現実の内容でありますから、実学 (技術) のように役立つことはありませんね。日本人には習得が非常に困難な分野になりますね。
>もっと手に職をつけさせるような職業教育をすべきだという意見だ。
我が国には人手不足はあっても、頭脳不足は聞いたことがありません。人々はまだ、頭脳不足を実感するまでには至っていないのでしょう。だから、大学は四年間遊ぶところになっているのです。
>それに加えて、専門学校からは学士を得られるような制度がほしいという要望があった。
教養教育・学問の無いところには、学士の称号は不要でしょう。日本人には、教養の必要性はまだ感じられていません。
>結果として、職業教育によって学士を取得できる大学制度ができた。
職業教育には、大学制度は不要でしょう。職業学校そのものを充実させればよいでしょう。
>こういうショックでも与えなければ大学は変わらないだろう、という意見もあった」
大学の奇妙な変質では困りますね。英米に通用するような基準でないと、卒業生が対等には扱われませんね。
>――これから具体的な制度内容が議論されます。どのような課題がありますか。
>「企業側のニーズが不明確なことが問題だ。
企業側には、特に教養人の要求はないでしょうね。教養は、あくまでも個人の問題です。
>一般論として大学は職業教育に力を入れるべきだという批判はある。
大学は哲学 (非現実の内容) を学ぶところであり、職業学校は実学 (技術) を学ぶところですね。我が国民は、非現実の内容の真価をまだ理解するには至っておりません。それが、大きな教育の問題です。
>しかし、専門職大学についての審議のなかでも、こんな職業教育をしてほしい、こんな技術を持った人なら雇いたい、という具体的な話は無かった。
医師や弁護士などの高度の職業人は、大学院でなければ教育できませんね。大学は、哲学を主体とした教養教育をすべきですね。目先・手先の実物教育だけでは、高度の職業人の育成は無理です。
>ただし、話し合いには大企業しか参加していなかった。>ニーズがあるとすれば、地方の中小企業なのではないか。
高度の職業人のニーズは、大企業とか中小企業に偏在することは無いでしょう。自分で起業することも考えられます。
>米国にはコミュニティーカレッジと呼ばれる短大があり、地元企業とうまく連携して従業員の教育を請け負うなどしている。>日本でも地元企業のそのようなニーズはあるはずだ。
従業員の教育なら短大が良いでしょうね。日本でも地元企業のそのようなニーズはあるでしょう。
>専門職大学の具体的な制度設計では、まずは地元企業のニーズを知ることが重要だ。
高度な職業人の育成には、学士を入学させて教育する大学院でなければ無理でしょうね。高度な職業人のニーズは世界中にあるでしょうね。
>その上で、それをどうやってカリキュラムに取り入れるかを議論すべきだ」
我が国は、まず教養教育を充実すべきですね。無哲学・能天気の状態では、大学・学問それ自体が成り立ちません。大学の存在意義が問われます。我が国が頭脳不足であることの把握がぜひとも必要ですね。それがなければ、大学に対する社会のニーズを的確に捉えることも難しいでしょう。公共施設で働く学芸員の方々も、哲学博士 (Ph.D.) の称号をお持ちでない方が大勢おられるのではないですか。これでは、我が国に頭脳不足が生ずるはずがありません。
>※※※引用、以上※※※
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