>日本人の面白い特徴に、自分たちのことを世界的に標準的な人間だと考えていることがある。
そうですね。各人が標準的な人間になろうと努力していますからね。
>日本人が考える標準的な人間とは、どこかに偏った信念、信仰、思想、考え方を持たない人間ということだ。
全ての考えは文章になる。文章にならないものは考え (非現実) ではない。日本人には、世界観が無い。世界観は非現実の内容であり、日本語には非現実の内容を入れる構文がない。
>この日本人が考える標準的な人間のイメージは、無色透明だ。
そうですね。無哲学・能天気ですね。あっけらかんとしています。
>これは何重にも間違っている。>まず世界的に標準的な人間などいない。
それはそうですね。
>あえて世界的に標準的な人間を上げるとすれば、他者に対して、自らが帰属する文化や信仰などを自信をもって主張することができる人ということだろうか。
自己主張があれば、それは普通ですね。
>日本人が考える偏った信念、信仰、思想、考え方を持たない人間とは逆である。
それはそうですね。日本人のような高文脈文化はほかに無いのでしょうからね。
>世界的には、無色透明な人間はとても無気味な存在と考えられるだろう。
色が付いているから個性的なのでしょう。
……………………………………………………………………………….
>この無色透明なイメージは、日本人が古代より理想としてきた人間像である。
そうかもしれませんね。
>日本人は古代より、人間の理想として清浄性を重視してきた。
穢れの無いのが良いのですね。厄払い・厄介払いが多いですね。
>偏った信念、信仰、思想、考え方、自己中心的、私利私欲、強い欲望を、持たない存在。>その象徴が天皇である。
それは無心か、純粋か。現人神かな。世俗の泥をかぶらない。
>日本の天皇は古代より頂点に存在しきた世界的にも希有な存在であるが、それを可能にした一つの理由がこの清浄性にある。
天皇は、純粋ですね。
>その時代時代に真に実力をもつ権力者がいたが、天皇が生き延びてこられたのは、権力闘争を超越した清浄な存在という位置を、日本人が尊んできたからだ。
そういわれてみると、そうでしょうね。
>たとえば戦前の軍国主義は、無色透明のイメージとはほど遠い。>日本人を悲惨な戦争へ導いた汚れたイメージである。
穢れは払拭しなくてはなりませんね。これが我々の国民性です。
>しかし軍国主義へ導いた満州事変や226事件などの青年将校たちによる「昭和維新」は、まさに清明性によって行われた。
人心を一新する目的ですね。
>昭和恐慌もあり国民が苦しむ中で、権力や富を独占する政治家や財閥という汚れを、天皇の清浄性に基づく公平な国民国家を作るために、排除しようとした。
彼らの動機は純粋ですね。彼らは処世術に従っていない。
>この青年将校たちの清明性を国民も英雄視した。
彼らの純粋さは、民により受け入れられたのですね。
>そして軍国主義は国民国家を上げて進められた。
‘力は正義’ ということですか。
…………………………………………………………………………………………….
>最近、教育勅語が問題になっているが、ここにも清浄性が働いている。
気分・雰囲気の問題ですか。没個性・能天気のすすめですか。
>現代では教育勅語は過去の戦争をイメージする、日本人の清明性にとっては汚れでしかない。
日本人にとっては、穢れがあってはいけないですね。’祓いたまえ、清めたまえ’ ですね。、
>だから嫌悪する。
徳目の羅列を忌み嫌っていますね。
>戦争へ導いたのは教育勅語ではなく、日本人の多様な価値を認めない清浄性である。
そうですね。,没個性を清浄性と言い替えているのですね。個人主義の理解は日本人には難しいですからね。
>そしていまも日本人は基本的には変わっていない。
没個性・清浄性には、今も昔も変わりが無いですね。日本語に基づく性質でしょうから変わりがありませんね。
>きっかけがあれば、清浄性はまた聖戦へ向かうだろう。
日本人は、先の大戦の時のように純粋な気持ちで戦うでしょうね。
>日本人が考える標準的な人間、どこかに偏った信念、信仰、思想、考え方を持たない人間は、世界的な標準ではなく、日本人に偏った考え方である。
無哲学・能天気は、日本人の偏った考え方ですね。
>そして日本人は世界的に標準的な人間ではなく、とても独特な文化をもった人間である。
そうですね。世界最高の高文脈文化 (high-context culture) ですね。
>その清浄性によって日本人は右翼である。
極めて保守的ですね。大和魂の持ち主ですかね。
>右翼や左翼ではなく無思想であろうとする日本人に独特な古来の伝統的な美学を、右翼という。
宵越しの金を持たない。竹を割ったような性質。ナウな感じがしますね。粋な人たちか。
>右翼でなかろうとするほど、右翼になる日本人のパラドクス。
なるほど世間は難しい。
>日本人が目指す無思想は世間に支えられている。
そうですね。瘋癲の寅次郎のようなものか。日本人に人気がありますね。今も昔も変わらない。
>無思想とは島国日本人にみんなと同じであるということ。
日本人は、無哲学・能天気である。個性が無ければ皆が同じになります。
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そうですね。各人が標準的な人間になろうと努力していますからね。
>日本人が考える標準的な人間とは、どこかに偏った信念、信仰、思想、考え方を持たない人間ということだ。
全ての考えは文章になる。文章にならないものは考え (非現実) ではない。日本人には、世界観が無い。世界観は非現実の内容であり、日本語には非現実の内容を入れる構文がない。
>この日本人が考える標準的な人間のイメージは、無色透明だ。
そうですね。無哲学・能天気ですね。あっけらかんとしています。
>これは何重にも間違っている。>まず世界的に標準的な人間などいない。
それはそうですね。
>あえて世界的に標準的な人間を上げるとすれば、他者に対して、自らが帰属する文化や信仰などを自信をもって主張することができる人ということだろうか。
自己主張があれば、それは普通ですね。
>日本人が考える偏った信念、信仰、思想、考え方を持たない人間とは逆である。
それはそうですね。日本人のような高文脈文化はほかに無いのでしょうからね。
>世界的には、無色透明な人間はとても無気味な存在と考えられるだろう。
色が付いているから個性的なのでしょう。
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>この無色透明なイメージは、日本人が古代より理想としてきた人間像である。
そうかもしれませんね。
>日本人は古代より、人間の理想として清浄性を重視してきた。
穢れの無いのが良いのですね。厄払い・厄介払いが多いですね。
>偏った信念、信仰、思想、考え方、自己中心的、私利私欲、強い欲望を、持たない存在。>その象徴が天皇である。
それは無心か、純粋か。現人神かな。世俗の泥をかぶらない。
>日本の天皇は古代より頂点に存在しきた世界的にも希有な存在であるが、それを可能にした一つの理由がこの清浄性にある。
天皇は、純粋ですね。
>その時代時代に真に実力をもつ権力者がいたが、天皇が生き延びてこられたのは、権力闘争を超越した清浄な存在という位置を、日本人が尊んできたからだ。
そういわれてみると、そうでしょうね。
>たとえば戦前の軍国主義は、無色透明のイメージとはほど遠い。>日本人を悲惨な戦争へ導いた汚れたイメージである。
穢れは払拭しなくてはなりませんね。これが我々の国民性です。
>しかし軍国主義へ導いた満州事変や226事件などの青年将校たちによる「昭和維新」は、まさに清明性によって行われた。
人心を一新する目的ですね。
>昭和恐慌もあり国民が苦しむ中で、権力や富を独占する政治家や財閥という汚れを、天皇の清浄性に基づく公平な国民国家を作るために、排除しようとした。
彼らの動機は純粋ですね。彼らは処世術に従っていない。
>この青年将校たちの清明性を国民も英雄視した。
彼らの純粋さは、民により受け入れられたのですね。
>そして軍国主義は国民国家を上げて進められた。
‘力は正義’ ということですか。
…………………………………………………………………………………………….
>最近、教育勅語が問題になっているが、ここにも清浄性が働いている。
気分・雰囲気の問題ですか。没個性・能天気のすすめですか。
>現代では教育勅語は過去の戦争をイメージする、日本人の清明性にとっては汚れでしかない。
日本人にとっては、穢れがあってはいけないですね。’祓いたまえ、清めたまえ’ ですね。、
>だから嫌悪する。
徳目の羅列を忌み嫌っていますね。
>戦争へ導いたのは教育勅語ではなく、日本人の多様な価値を認めない清浄性である。
そうですね。,没個性を清浄性と言い替えているのですね。個人主義の理解は日本人には難しいですからね。
>そしていまも日本人は基本的には変わっていない。
没個性・清浄性には、今も昔も変わりが無いですね。日本語に基づく性質でしょうから変わりがありませんね。
>きっかけがあれば、清浄性はまた聖戦へ向かうだろう。
日本人は、先の大戦の時のように純粋な気持ちで戦うでしょうね。
>日本人が考える標準的な人間、どこかに偏った信念、信仰、思想、考え方を持たない人間は、世界的な標準ではなく、日本人に偏った考え方である。
無哲学・能天気は、日本人の偏った考え方ですね。
>そして日本人は世界的に標準的な人間ではなく、とても独特な文化をもった人間である。
そうですね。世界最高の高文脈文化 (high-context culture) ですね。
>その清浄性によって日本人は右翼である。
極めて保守的ですね。大和魂の持ち主ですかね。
>右翼や左翼ではなく無思想であろうとする日本人に独特な古来の伝統的な美学を、右翼という。
宵越しの金を持たない。竹を割ったような性質。ナウな感じがしますね。粋な人たちか。
>右翼でなかろうとするほど、右翼になる日本人のパラドクス。
なるほど世間は難しい。
>日本人が目指す無思想は世間に支えられている。
そうですね。瘋癲の寅次郎のようなものか。日本人に人気がありますね。今も昔も変わらない。
>無思想とは島国日本人にみんなと同じであるということ。
日本人は、無哲学・能天気である。個性が無ければ皆が同じになります。
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