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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

教育勅語

2017-07-25 03:24:09 | 政治


>教育勅語は、その冒頭の一句「我ガ皇祖皇宗、國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠ニ、徳ヲ樹(た)ツルコト深厚ナリ」からしてデタラメである。「皇祖」は天照大神または神武天皇を指すとされるが、古事記の記述によれば、神武は何の大義もなく九州から近畿に攻め込み、殺戮とだまし討ちを繰り返したあげく奈良盆地の一角を占拠した侵略者に過ぎない。神武が「徳ヲ樹ツル」など、冗談としか言いようがない。

勝てば官軍である。力は正義である。(Might is right).

>もちろん「皇宗(歴代天皇)」がずっとこの国を治めてきたわけでもない。そんなことはこの「勅語」を起草した者たち自身、重々承知していた。なにしろこの「勅語」が発布されたわずか四半世紀前はまだ江戸時代であり、現に徳川家の将軍が天下を統治していたのだ。
>幕末維新期の一般庶民にとって、そもそも「天皇」など知らないか、知っていても関心の対象外だった。だからこそ、明治の初めから10年代にかけて、民衆に天皇という存在を知らしめ、その権威を見せつける全国巡幸が必要だったのだ。いわば、天皇の顔見世興行である。

いよいよ西洋諸国に対応する国造りですね。

>中略
>このインチキな冒頭部に続いて、「勅語」は (1)親孝行しろ、(2)兄弟仲良く、(3)夫婦も仲良く、(4)友達は信じ合え…と、12項目にわたって「徳目」を説教する。これらの徳目は、時代背景を考えればまあ常識的な内容で、当時の感覚では当たり前の道徳と言っていいものだ。実際、同じような内容は江戸幕府も諸国に高札を立てて説教していたし、寺子屋でも社会生活上の常識として教えられていた。

徳目は、商売繁盛・家内安全のようなものか。処世術を行うときの口実に使われている。その結果は、今だけ、金だけ、自分だけになる。その場限りとなるのは、’あるべき姿’ を内容とする世界観を日本人は持たないからである。世界観の内容は非現実であるから、日本人には縁が無い。我が国においては、前世・現世・来世の内容に展開が無いのもそのためである。その内容は現実離れしていて、日本人には信じることが難しい。日本語には時制というものがないからである。我々は非現実の内容を文章としてとらえることが出来ない。だから、日本人の知恵は、処世術 (現実) の域にとどまっている。

>中略
>だが、教育勅語においては、これらの「まっとうな」徳目は、例えてみれば毒薬を包む糖衣のようなものでしかない。教育勅語が何としても「臣民」の頭に植え付けたかったのは、これらの徳目の最後に置かれた「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ」なのだ。お上がいったん戦争を始めたら、それがどのような戦争であれ、天皇(を頂点に頂く支配階級)の利益のために命を投げ出して戦え、ということだ。これに先立つ11項目は、これを「まっとうなこと」と錯覚させるために置かれていると言ってもいい。

皇民化教育の規範書ですね。序列メンタリティは抜けませんね。臣・吉田茂より
日本語には、階称 (言葉遣い) がある。上とみるか・下とみるかの上下判断は避けて通ることが出来ない。人を見損なってはいけない。我々の上下判断は、強迫観念の域に達している。
日本人は礼儀正しい。その礼儀作法も序列作法で成り立っている。上下判断ができなければ、礼儀正しい日本人にはなれない。序列なきところに礼儀なし。貴方は非国民になれますか。

>もちろん、自民党をはじめとする極右勢力が教育勅語を復活させたがるのも、この最後の「徳目」があればこそのことだ。 教育というものの威力は実に恐ろしい。この「勅語」がすべての学校に「下賜」され、無謬の道徳規範として強制されるようになってからアジア太平洋戦争の敗戦による破滅まで、たった55年しかかからなかったのだ。

国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。とかく、この世は無責任。責任観念が無い。
意思が無ければ、責任もない。日本人には意思が無い。意思は未来時制の文章内容であるが、日本語には時制 (tense) というものがない。だから、日本人には意思が無い。
意思のあるところに方法がある。(Where there’s a will, there’s a way). 意思の無いところには、解決方法がない。無為無策で座して死を待つのか。玉砕か。序列に連なることにより日本人は意思疎通を得て序列協力の力を発揮する。
意思 (will) はないが、恣意 (self-will) (私意・我がまま・身勝手) がある。意思は文章になるが、恣意は文章内容にならない。バラバラな単語のままで腹の底にたまっている。小言・片言・独り言として発せられる。文章にならないから、意味もなければ矛盾もない。だから、下位の者は忖度 (推察) で行動する。リーズン (理性・理由・適当) などは初めからないので、説明責任はとれない。曖昧な言語と忖度は表裏一体をなしている。
恣意を鍛えて意地・根性とする。無哲学・能天気であることも幸いしている。日本軍は強かった。我々は、先の大戦においてアメリカの物量作戦に負けたが、精神力 (恣意の力) では勝っていた。上位の者の目指す恣意の実現に各員奮励努力すれば、南の島に雪が降る。


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