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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

山中俊之氏 2/2  

2021-07-04 16:21:34 | 文化

 

(1/2の続き) 

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。進歩が期待できる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' ということになり現実肯定主義の中に埋没せざるを得ない。日本人の比較はこれである。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。

非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。日本人がともすれば異口同音の内容を語るのはこのためである。      

わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。個人の価値判断が抜け落ちている。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べで個性がない。それで、日本人は個人主義が何であるかを理解することが難しい。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、誰からも信頼されない。世界観に基づく協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。   

 

>日本の「報道の自由度」は 先進国の中では最下位! > 先述した世界の報道自由度ランキングで、日本は近年、60位台に低迷している。>2021年は67位だ。 

 

我々は自由を愛する国民とは言い難いですね。    

 

>G7サミットに参加する先進国の中では、断然の最下位だ。> 日本が低迷している理由は、記者クラブを通じて官庁が実質的に報道をコントロールしていること、東日本大震災後の福島第一原発に関する報道がコントロールされていることなどがある。

 

報道管制ですね。 日本人は報道の自由も完成にも鈍感ですからね。   

 

> 筆者も霞が関に勤務していたので、首相官邸や中央官庁が記者クラブを通じて報道をコントロールしている実態を側聞することはあった。 >記者クラブに加盟しているメディアの「よく知っている記者」には情報を流し、加盟していないメディアには情報を流さないことは、日常茶飯事であったと思う。 

 

我が国の官邸・官庁が恣意 (私意・我儘・身勝手) 的ですね。  

 

> もちろん日本の報道の自由を、中国や北朝鮮と同列に論じるつもりはない。

 

中国や北朝鮮は権威主義の国ですね。権威主義の国においては、朕は国家である。国を愛せ、朕を愛せである。 さすれば朕も国家も安泰で権威主義は継続する。

勿論、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、常に簡単な事だ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ。 (ヘルマン・ゲーリング)      

 

>しかし、自国のメディアの実態や、報道の自由について、世界が厳しい目線で見ていることは知っていた方がよい。

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)    

 

> グローバルな活躍を志すビジネスパーソンならば、メディアリテラシーを高めて、報道を選別する目を養うべきだろう。

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 

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山中俊之氏 1/2  

2021-07-04 15:47:00 | 文化

 

>ダイヤモンド・オンライン >香港「リンゴ日報」廃刊は氷山の一角!メディア弾圧の歴史を振り返る【DOL特選記事】 > 山中俊之 2021/07/04 06:00

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>624日、香港の「リンゴ日報」が中国共産党により廃刊に追い込まれた。 >メディアは、時に政治や経済を大きく動かす力がある。 >本稿では、メディアの歴史を振り返り (割愛)、今後のメディアのあり方を考えてみたい。(著述家、芸術文化観光専門職大学教授 山中俊之)

>リンゴ日報が廃刊  >北京政府が焦った社会的影響力  

> 624日をもって香港の「リンゴ日報(蘋果日報)」が廃刊に追い込まれた。

 

残念ですね。  

 

>「リンゴ日報」は1995年に香港で創刊された広東語の新聞である。 >創刊したのは、アパレル業界で成功した経営者である黎智英氏。 >同新聞が創刊された背景には、1989年の天安門事件による北京政府の弾圧があったといわれる。> 広州市出身の黎氏は、幼い頃に父親が香港に亡命、母親が労働改造所に送られたため、地元で知的障害のある姉を1人で育てることを余儀なくされるほど辛酸をなめた。 > その後、香港に渡りアパレル業界で成功。>香港有数の経営者になった立志伝中の人物だ。 

 

彼は香港の宝ですね。   

 

> しかし、黎氏は2020年に国家安全維持法違反容疑で逮捕され、215月に起訴された。 >香港の英雄の逮捕は、香港社会、そして世界に大きな衝撃を与えた。 >廃刊後も社説の執筆者が逮捕されるなど、弾圧はとどまるところを知らない。 >ここまでの弾圧は、リンゴ日報の社会的影響力の大きさと、それに対する北京政府の焦燥がうかがえる。> メディアは、時に政治や経済を大きく動かす。   

 

そうですね。ペンは剣よりも強し’ (The pen is mightier than the sword.) ですね。   

 

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> 世界各国の報道の自由を監視するNGO「国境なき記者団(Reporters Without Borders)」による「世界の報道自由度ランキング(2021 WORLD PRESS FREEDOM)」では、北朝鮮、中国、イラン、サウジアラビアなど十数カ国が「大変に問題のある国」として位置付けられている(下の地図で黒く塗られている国々)。> 香港のリンゴ日報廃刊は、世界で行われているメディア弾圧の一事例、氷山の一角にすぎない。>中国という大国が共産党結党100周年を迎えるタイミングで、これまで報道の自由が存在した香港に対して、態度を大きく変えているので、いっそう世界の注目を浴びているのだ。 

 

中国の正体がより鮮明になりましたね。我々は天安門事件を忘れてはいけない。   

 

> 単にメディアが潰されるだけでなく、人が殺害される例もある。 >2018年にサウジアラビアの反体制ジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏が、イスタンブールのサウジアラビア総領事館で殺害された事件は記憶に新しい。 

 

サウジアラビアの政治指導者は良くないですね。   

 

> 筆者がサウジアラビアに駐在していた頃、情報収集のために多くのサウジアラビア人ジャーナリストと自宅で食事を共にした。 >自宅に来る際には、自宅近くで警察の職務質問を受けていた時もあったようだ。 >警察は外国人と会うジャーナリストの行動には過度に神経を使っていた。  

 

彼らは外聞の悪いことをしているのでしょう。     

 

> ロシアでも、ジャーナリスト殺害の疑惑が消えない例が多数ある。>地中海に浮かぶマルタ共和国では、汚職事件を追跡していた女性ジャーナリストが爆弾で殺害されてもいる。 

 

権威主義の国のジャーナリストは命がけですね。   

 

> リンゴ日報の廃刊を、単に中国や香港の問題と捉えるのではなく、世界のさまざまな地域で、報道の自由がどうなっているのか、という視点で見ていくべきだろう。  

 

そうですね。我々は広い視野を持つべきですね。

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。 (2/2へ続く)

 

 

 

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