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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

岡田豊氏 2/2  

2021-07-20 13:31:25 | 文化

 

>過去や歴史やこれまでの価値観に縛られず、権威に忖度せず、依存せず、自分の頭で自分が良いと信じるやり方を考え、創り、行動する。   

 

そうですね。だが日本人は・奥ゆかしい(深い考えがあるようにみえる)。実は、奥 (考え) がない。だから、浅薄である。日本人は、無哲学・能天気である。政治家には、政治哲学がない。我々の未来社会の有様を大衆に言って聞かせる術がない。だから、政治音痴の状態を脱することは難しい。日本人には、儀式 (作法) ばかりがあって、教義 (考え) というものがない。だから、作法ばかりにこだわって、これを励行する者が権威者となる。子供の時には宮参り。結婚式はキリスト教。葬式は仏式でやる。全ての行為は、気分・雰囲気で決めらてれる。思考を停止している世の中では、作法の墨守を通してしか自己を顕示する方法がない。  

 

>この行為を私は「自考(じこう)」と呼んでいる。>「自考」で、人々は自分の個性と自由と居場所を取り戻し、楽しく生きる。  

 

自考は良いことづくめですね。だが、日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。戦時中は玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)

 

日本人には意思がない。だから意思決定はできない。だが、恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。意思決定が必要な時は、恣意決定に頼ることになる。つまり、事の次第・自然の成り行きで決着をはかる。このやり方は、アニマルも同じである。

恣意はバラバラな単語のままで存在するから文章にならない。だから、意味はない。行為・言動の本人に説明責任はとれない。  

日本人には、恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) があって、意思疎通 (相互理解) がない。恣意 () の探り合い (談合) があって、意見の交換 (議論・対話) がない。恣意決定 (盲目の判断) があって、意思決定 (理性判断) がない。だから、日本人の責任者は説明責任が取れない。未来は一寸先が闇である。危険が一杯である。お変わりのないことが何よりなことである。  

 

>他人の「自考」も受け入れる。 >その自由で楽しいパワーは、社会のあらゆる分野でイノベーションを起こすはずだ。 >停滞した経済が息を吹き返す契機にもなる。 

 

自考比べですね。日本人には意思がない。恣意の自由は自由の履きちがえになり、何処の国でも許されない。だから恣意の日本人は、今も昔も、不自由を常と思えば不足なしになる。   

 

>201810月、ノーベル生理学・医学賞に選ばれた本庶佑・京都大学特別教授の言葉は強烈だ。 >「教科書に書いてあることを信じない。 >常に疑いを持って、本当はどうなってるんだ、という心を大切にする。 >つまり、自分の目でものを見る。 >そして納得する。 >そこまで諦めない」。 >過去に誰かがつくった教科書を信じず、自分が納得するまで諦めないでというメッセージ。 

 

納得できる社会が良いですね。疑惑を晴らすことのできない人ばかりでは心も曇ります。   

 

>自ら実践してきた「自考」を、研究者を目指す子どもたちに呼びかけた。 >◆「自考」を育み、実践する人たち >(中略) >「大事なのは解けることではないし、説明が分かることでもない。 >頭を使うことです」と宮本 [哲也] さん。 >なぜ頭を使うことが大事なのか。 >「それはもう、自分の人生を自分らしく生きるためには必要じゃないですか。 >それ以外に自分らしく生きる方法はありません」。 

 

そうですね。考えの内容は人それぞれです。だから個性が表れる。自分で考えない人々の社会は没個性的ですね。      

 

>宮本さんは高校を中退。 >「自考」しながら自分の生き方を見い出してきた。 >「成功よりも、成長し続けたい」と今も言う。 >(中略) >◆全員が「出る杭」になる日本に  >もし、日本に「自考」が広がっていたら、新型コロナの国産ワクチンはもっと早くできたかもしれない。 >アップルやグーグルに匹敵する企業が日本に生まれていたかもしれない。 >原発事故は防げたかもしれない。 

 

タラレバの話は尽きることがありませんね。   

 

>日本は過去の成功体験から抜け出せずにきた。 

 

日本人は未来の内容が想定外になっている。だから既成事実の追認と人の後追いばかりの生活をしていますからね。これは失敗をしない要領の良いやり方であると考えられています。      

 

>古びた過去と決別し、ゼロから自分で創る。>私たちの考える力で、これまでの私たち自身と社会のありようを変えてみる。

 

それは大切なことですね。だがしかし、日本人には世界観がない。来るべき世界を熱い心で語る習慣がない。     

日本人の世の中は夢幻の如くになっている。眼前 (現実) の世界とそれ以外の非現実の世界とで出来ている。それ以外の世界は、夢 (未来) の世界と幻 (過去) の世界になっている。日本語には時制がないから、非現実の過去の内容も、未来の内容も文章の内容とはならず、つじつまの合う考えとはならない。だから、日本人の未来と過去は、はかなく当てにならない。それで感傷の材料になっている。

だが、英米人の非現実は確かな考えの内容となり、公式の発表として通用する。キング牧師 (Martin Luther King Jr.) ‘私には夢がある’ と主節で言った。そしてその内容を未来時制の文章 (従属節) を使って明らかにした。

「私には夢がある。それはいつの日かこの国が立ち上がり、真の意味でのこの国の信条、つまりすべての人は平等に作られたというこの国の信条にみあう国になることを」とキング牧師はワシントンD.C.の巨大なリンカーン像の前で群衆に語り掛けた。

I have a dream that one day this nation will rise up and live out the true meaning of its creed: "We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal."   

「私には夢がある。いつかジョージアの赤い丘の上で、昔の奴隷と奴隷所有者の息子たちが兄弟のように一緒にテーブルにつくことができるようになることを……」

I have a dream that one day on the red hills of Georgia, the sons of former slaves and the sons of former slave owners will be able to sit down together at the table of brotherhood.

日本人はそもそも「夢(dream)」とか「信条(creed)」や「信念(conviction)」という言葉が嫌いである。だから、つかみどころのない人間になっている。日本ではこれらは歯の浮くような言葉に聞こえる。非現実 (考え) の内容は、日本語の内容としては意味がないからである。考え (構想) の内容がつかめない。それで日本人は政治音痴になっている。

だが、アメリカ人の多くはそういう言葉が確かな内容であり語られることを期待している。だから、過去のアメリカのリーダーたちもこれらの言葉を自分たちの演説に盛り込むことを常とした。  

 

>「自考」は日本人と日本にとって最強の“切り札”になると確信している。  

 

我々は考える人’ (the thinking man) にならなくてはなりませんね。全ての人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy.      

 

>大学や学校に行かず、迷い、立ち止まる若者と話す機会が最近、増えた。 >そこで「自考」を勧める。 >コロナ禍で当たり前の日常や信じていたものが崩れた今は「自考」の絶好の機会だ。

 

そうですね。見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は ‘嘘’ である。誰しも嘘つきにはなりたくない。だから、自分の非現実を語らない。これが、日本人の思考停止の原因である。日本語には、非現実 (考え) の内容を語る為の時制のある構文がない。

 

>本当は何がしたいのか。 >どう生きたいのか。 >ゼロから考える。 >あなたを苦しめていた過去、モノサシ、慣習と決別する。

 

非現実 (考え) の内容を現実の世界で実現したら、それは人間だけが持つ創造力を発揮したことになります。   

特亜三国 (日本・中国・韓国) の民には、現実があって非現実がない。現実を内容とする文章はあるが、非現実を内容とする文章が存在しない。だから、技術 (実学) があって、哲学 (考え) がない。考えの内容は人様ざまであるので、個性的になる。だが、特亜三国においては、英米流の高等教育が成り立たない。現実の内容を現実の中で再現すれば、それは模倣をしたことになる。非現実の内容を現実の中で実現すれば、それは創造になる。特亜三国の民は、模倣が得意で創造が苦手である。だから、模倣の競争には参入者が多く、創造には少ない。模倣の競争は没個性の競争であり過酷なものになりがちである。アニマル風の競争である。個性を伸ばそう。創造力をつけよう。そして、ゆとりある人間らしい生活をしよう。 

 

 >他人と比べるのはナンセンス。 >やりたいことを自由に見つければいい。 >自分を守り、自分のやり方と自分の居場所を創っていい。 >エゴとは違う。 >自分を守ることができれば、他の人も守れるからだ。 >そうした人が増えれば、日本は、笑顔と活力と知恵があふれる社会に生まれ変わる。  

 

あるべき姿の世界がはっきりしないと社会に関する建設的な話し合いは無理でしょうね。   

 

>そんな話をすると、若者の表情は崩れ、少し笑ってくれる。 >その学校が合わないなら、別の居場所で待ってくれている人たちがいる。>新しい道はいつでも見つけられる。 

 

全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。矛盾を含まない文章は全て正しい考えを示している。考えの内容は人によりけりである。だから、正解は一つではない。色々ある。   

 

>会社の評価に一喜一憂し、生き様を変える必要はない。

 

そうですね。家畜・社畜の生活よ、さようなら。見栄と外聞から決別しよう。      

 

>職場が苦しく、やりたいことができないなら、職場を変革するか、自分で起業すればいい。 >歳を重ね、夢がかなわなかったと諦めるのは寂しい。 >第二の人生こそ、これまでより輝きたい。 >政府のコロナ対応が不十分で住民を守れないなら、自治体は独自の知恵で行動すればいい。 >「自考」の時だ。  

 

そうですね。無哲学・能天気ではいられない。能動的な人間になろう。          

 

>「自考」してみると、例えば、アベノミクスが推進した多額の財政出動や異次元の金融緩和が、考える力を奪う対症療法にすぎなかったと気付く。 >出る杭を叩いて可能性をつぶすより、全員が出る杭になるように育てる方が良いと思い付く。

 

そうですね。未来の社会を建設する方向で行きましょう。   

 

>100人の生き方をたった3本のモノサシで測るのはやっぱり息苦しい。>100人全員の100本のモノサシを創りたい。  

 

そうですね。私達には自己判断が必要ですね。そうすれば、現在の衆愚政治から脱出できます。わが国には (利己主義でない) 個人主義が必要です。        

 

>私たち全員が自分のやり方と居場所を見い出し、それぞれの持ち場で、自分と日本の未来を切り拓く源泉になる。>自分のやり方を創っていいのだから、きっと楽しい挑戦になる。

 

そうですね。自分のやりたい事をやる時には自然と力が入りますね。楽しい人生を送りましょう。満足する良い結果が得られます。   

 

 

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岡田豊氏 1/2  

2021-07-20 13:09:33 | 文化

 

>368799        日本人に残された切り札は、「自考」。 >カニワ ( 26 会社員 )           21/07/19 PM09

>高度経済成長を乗り越え、貧しさがなくなった現代では、正直あまり考えずとも死の危険もなく生きて行けてしまう。  

 

そうですね。政府軍と反政府軍の長期戦も我が国内には存在しませんしね。   

 

>その代償として、笑顔・活力のないゾンビのような日本人になってしまった。>活力なく自殺が増えている実情もある。 

 

退屈男・退屈女が増えすぎましたね。いじめられたら、すぐに自殺する。        

 

>この近年で活力衰弱したのはなぜ?を考えなければならない時代になってきた。 

 

そうですね。人間は自分が好きなことをしている時が一番生き生きしていますからね。   

 

>当たり前だと思っている全てに“本当に?なぜ?”と「自考」することで突破できるのではないか?と筆者が提案する記事を紹介する。  

 

役に立ちそうな記事ですね。    

 

>ーーー引用ーーーーーーー >リンク

>◆息苦しさが日本を縮めた  >海外ニュースの担当になって8年。 > [岡田豊] は世界を見ながら、日本を見つめてきた。 >日本社会は、個人の個性や自由よりも組織や集団の論理を優先してきた。

 

そうですね。日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。学問の発展には関係がない。   

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。これは序列信仰の域に達しているので日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎない。そのため、個人的精神的な意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。      

 

>多様性は浸透せず、息苦しい。 >個性を押さえつける社会は、人々から笑顔と活力を奪う。>経済や社会が閉塞している原因がここにある。

 

そうですね。考えの内容は人・人により違っていますからね。多様性を認めない社会においては思考停止するしかありませんね。       

 

>東京オリンピック・パラリンピックの取材態勢は別として、日本に駐在する外国メディアのスタッフは減る傾向にある。>「日本の魅力が落ちているからだ」(アメリカ系メディア)。>日本がこのまま世界の中で縮んでいくのは、やるせない。

 

同感です。多様性がないところが珍しいというのでは、魅力は落ちてゆくばかりですね。      

 

>少子高齢化で国内市場が小さくなり、資源が限られた日本は、世界とうまく向き合わないと、今の生活水準を維持できなくなる。

 

そうですね。国際社会とうまく付き合う必要がありますね。自国の特殊・例外を売り物にするばかりでは能がない。      

 

>敗戦後、日本はアメリカの政治と経済に“支配”されてきた側面がある。

 

そうですね。日本人は政治音痴ですからね。  

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。これは日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。政治哲学にもなる。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、人間のすることであるから 'どっちもどっちだ' の結論になる。それで無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。

非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。日本人がともすれば異口同音の内容を語るのはこのためである。      

わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。個人の価値判断が抜け落ちている。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べで個性がない。それで、日本人は個人主義が何であるかを理解することが難しい。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、誰からも信頼されない。世界観に基づく協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。     

 

>中国は経済の勢いを増し、覇権を強めている。 

 

中国は中原の鹿を追う伝統的な覇者の国である。覇者の物語は、中国人の愛読書となっている。覇者は周辺諸国に覇権を打ち立てようとして傍若無人のふるまいをし、多大な迷惑をかけている。これは皇帝の時代も国家主席の時代も漢民族のメンタリティが同じであるから変わらない。漢民族は、自分たちの考えを示すために漢字を作った。しかし、彼らは外国人の考えを示すための漢字は作らなかった。だから、外国人に対して自己の内容を発信はできるが、外国人からの内容を受信することは難しい。それで独断専行に陥りやすい。漢文の書物をいくら読んでも外国人の考えは出てこない。だから、中華思想を堅持し自己中心的にならざるを得ない。日夜周辺諸国を中国化することに専心してやまない。中国人が外国人の影響を受けて発想の転換 (paradigm shift) をすることは期待薄である。   

 

>人口の多い中国やアメリカと「量」で競っても勝てない。>アメリカや中国に都合よく呑み込まれないために、日本は世界にとってかけがえのない国になる必要がある。

 

そうですね。我々は頭を使う人間になる必要がありますね。   

我が国には人手不足はあっても、頭脳不足の話しは聞いたことがない。きっと頭脳不足の困難を人手を使って乗りきっているからでしょうね。これでは、他の諸国と同様にわが国はかけがえのない国にはなれませんね。    

 

>各国から信頼される自立した「質」の高い国だ。 

 

理想は高い方が良いですね。それでは、日本はどんな国でしょうかね。

 'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。' (カレル・ヴァン・ウォルフレン)    

‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)

 ‘日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている。  (ウスビ・サコ)  

 

>◆日本人の切り札は「自考(じこう)」  >日本の活路を見い出し、未来を切り拓くには、どうしたらいいのか。 >手立てはまだ残されている。 >実は単純だ。 

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

 

英語の勉強が流行る。学生は英語のがり勉をする。しかし、その学習効果ははかばかしくない。国際交流が流行る。学生が米国のニューヨーク州のある都市に招かれる。ホウムステイを体験して帰国した学生に尋ねてみた。 ’何という人の家に泊めてもらったの’と。すると、’彼の名前は知っているがその綴り方は分からない’ とその学生は答える。これではホストに対する宛先の書き方も礼状の出し方もままならないであろうと察した。現地の地図の見方もわからないに違いない。 

英語の 'かな書き' 表示が国際交流の邪魔をしているのであろう。これにより日本人はローマ字 (alphabet) 表記に親しみが持てなくなっている。 人類の知識の大半は英語の文献として蓄えられている。我々は英語圏以外の文明も英語を通して解している。 我々も英語を覚えて我々の文化を英語で表現すれば日本の文化を世界に広く伝えることが可能になる。この方法で我々は原書を作る国民に成れる。 

‘かな漢字’ の表記では、日本人以外に読める人はいない。だから、日本人以外の人に我々の知識を伝えるために日本語をローマ字表記にすることは最適の方法である。日本語をローマ字表記にすれば、漢字圏以外の人も直ちに日本語を読み書き話すことができる。これにより国際的な意見交換が盛んになる。そして井の中の蛙は大海を知ることになる。    

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

>私たちそれぞれが、これまでにない、新しい生き方、やり方を自分の頭で考え、創り出すことだ。

 

そうですね。日本人の思考停止に終止符を打つことが必要ですね。  

 

 

 

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