>過去や歴史やこれまでの価値観に縛られず、権威に忖度せず、依存せず、自分の頭で自分が良いと信じるやり方を考え、創り、行動する。
そうですね。だが日本人は・奥ゆかしい(深い考えがあるようにみえる)。実は、奥 (考え) がない。だから、浅薄である。日本人は、無哲学・能天気である。政治家には、政治哲学がない。我々の未来社会の有様を大衆に言って聞かせる術がない。だから、政治音痴の状態を脱することは難しい。日本人には、儀式 (作法) ばかりがあって、教義 (考え) というものがない。だから、作法ばかりにこだわって、これを励行する者が権威者となる。子供の時には宮参り。結婚式はキリスト教。葬式は仏式でやる。全ての行為は、気分・雰囲気で決めらてれる。思考を停止している世の中では、作法の墨守を通してしか自己を顕示する方法がない。
>この行為を私は「自考(じこう)」と呼んでいる。>「自考」で、人々は自分の個性と自由と居場所を取り戻し、楽しく生きる。
自考は良いことづくめですね。だが、日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。
意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。戦時中は玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。
' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)
日本人には意思がない。だから意思決定はできない。だが、恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。意思決定が必要な時は、恣意決定に頼ることになる。つまり、事の次第・自然の成り行きで決着をはかる。このやり方は、アニマルも同じである。
恣意はバラバラな単語のままで存在するから文章にならない。だから、意味はない。行為・言動の本人に説明責任はとれない。
日本人には、恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) があって、意思疎通 (相互理解) がない。恣意 (腹) の探り合い (談合) があって、意見の交換 (議論・対話) がない。恣意決定 (盲目の判断) があって、意思決定 (理性判断) がない。だから、日本人の責任者は説明責任が取れない。未来は一寸先が闇である。危険が一杯である。お変わりのないことが何よりなことである。
>他人の「自考」も受け入れる。 >その自由で楽しいパワーは、社会のあらゆる分野でイノベーションを起こすはずだ。 >停滞した経済が息を吹き返す契機にもなる。
自考比べですね。日本人には意思がない。’恣意の自由’ は自由の履きちがえになり、何処の国でも許されない。だから恣意の日本人は、今も昔も、’不自由を常と思えば不足なし’ になる。
>2018年10月、ノーベル生理学・医学賞に選ばれた本庶佑・京都大学特別教授の言葉は強烈だ。 >「教科書に書いてあることを信じない。 >常に疑いを持って、本当はどうなってるんだ、という心を大切にする。 >つまり、自分の目でものを見る。 >そして納得する。 >そこまで諦めない」。 >過去に誰かがつくった教科書を信じず、自分が納得するまで諦めないでというメッセージ。
納得できる社会が良いですね。疑惑を晴らすことのできない人ばかりでは心も曇ります。
>自ら実践してきた「自考」を、研究者を目指す子どもたちに呼びかけた。 >◆「自考」を育み、実践する人たち >(中略) >「大事なのは解けることではないし、説明が分かることでもない。 >頭を使うことです」と宮本 [哲也] さん。 >なぜ頭を使うことが大事なのか。 >「それはもう、自分の人生を自分らしく生きるためには必要じゃないですか。 >それ以外に自分らしく生きる方法はありません」。
そうですね。考えの内容は人それぞれです。だから個性が表れる。自分で考えない人々の社会は没個性的ですね。
>宮本さんは高校を中退。 >「自考」しながら自分の生き方を見い出してきた。 >「成功よりも、成長し続けたい」と今も言う。 >(中略) >◆全員が「出る杭」になる日本に >もし、日本に「自考」が広がっていたら、新型コロナの国産ワクチンはもっと早くできたかもしれない。 >アップルやグーグルに匹敵する企業が日本に生まれていたかもしれない。 >原発事故は防げたかもしれない。
タラレバの話は尽きることがありませんね。
>日本は過去の成功体験から抜け出せずにきた。
日本人は未来の内容が想定外になっている。だから既成事実の追認と人の後追いばかりの生活をしていますからね。これは失敗をしない要領の良いやり方であると考えられています。
>古びた過去と決別し、ゼロから自分で創る。>私たちの考える力で、これまでの私たち自身と社会のありようを変えてみる。
それは大切なことですね。だがしかし、日本人には世界観がない。来るべき世界を熱い心で語る習慣がない。
日本人の世の中は夢幻の如くになっている。眼前 (現実) の世界とそれ以外の非現実の世界とで出来ている。それ以外の世界は、夢 (未来) の世界と幻 (過去) の世界になっている。日本語には時制がないから、非現実の過去の内容も、未来の内容も文章の内容とはならず、つじつまの合う考えとはならない。だから、日本人の未来と過去は、はかなく当てにならない。それで感傷の材料になっている。
だが、英米人の非現実は確かな考えの内容となり、公式の発表として通用する。キング牧師 (Martin Luther King Jr.) も ‘私には夢がある’ と主節で言った。そしてその内容を未来時制の文章 (従属節) を使って明らかにした。
「私には夢がある。それはいつの日かこの国が立ち上がり、真の意味でのこの国の信条、つまりすべての人は平等に作られたというこの国の信条にみあう国になることを」とキング牧師はワシントンD.C.の巨大なリンカーン像の前で群衆に語り掛けた。
I have a dream that one day this nation will rise up and live out the true meaning of its creed: "We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal."
「私には夢がある。いつかジョージアの赤い丘の上で、昔の奴隷と奴隷所有者の息子たちが兄弟のように一緒にテーブルにつくことができるようになることを……」
I have a dream that one day on the red hills of Georgia, the sons of former slaves and the sons of former slave owners will be able to sit down together at the table of brotherhood.
日本人はそもそも「夢(dream)」とか「信条(creed)」や「信念(conviction)」という言葉が嫌いである。だから、つかみどころのない人間になっている。日本ではこれらは歯の浮くような言葉に聞こえる。非現実 (考え) の内容は、日本語の内容としては意味がないからである。考え (構想) の内容がつかめない。それで日本人は政治音痴になっている。
だが、アメリカ人の多くはそういう言葉が確かな内容であり語られることを期待している。だから、過去のアメリカのリーダーたちもこれらの言葉を自分たちの演説に盛り込むことを常とした。
>「自考」は日本人と日本にとって最強の“切り札”になると確信している。
我々は ‘考える人’ (the thinking man) にならなくてはなりませんね。全ての人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy.
>大学や学校に行かず、迷い、立ち止まる若者と話す機会が最近、増えた。 >そこで「自考」を勧める。 >コロナ禍で当たり前の日常や信じていたものが崩れた今は「自考」の絶好の機会だ。
そうですね。見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は ‘嘘’ である。誰しも嘘つきにはなりたくない。だから、自分の非現実を語らない。これが、日本人の思考停止の原因である。日本語には、非現実 (考え) の内容を語る為の時制のある構文がない。
>本当は何がしたいのか。 >どう生きたいのか。 >ゼロから考える。 >あなたを苦しめていた過去、モノサシ、慣習と決別する。
非現実 (考え) の内容を現実の世界で実現したら、それは人間だけが持つ創造力を発揮したことになります。
特亜三国 (日本・中国・韓国) の民には、現実があって非現実がない。現実を内容とする文章はあるが、非現実を内容とする文章が存在しない。だから、技術 (実学) があって、哲学 (考え) がない。考えの内容は人様ざまであるので、個性的になる。だが、特亜三国においては、英米流の高等教育が成り立たない。現実の内容を現実の中で再現すれば、それは模倣をしたことになる。非現実の内容を現実の中で実現すれば、それは創造になる。特亜三国の民は、模倣が得意で創造が苦手である。だから、模倣の競争には参入者が多く、創造には少ない。模倣の競争は没個性の競争であり過酷なものになりがちである。アニマル風の競争である。個性を伸ばそう。創造力をつけよう。そして、ゆとりある人間らしい生活をしよう。
>他人と比べるのはナンセンス。 >やりたいことを自由に見つければいい。 >自分を守り、自分のやり方と自分の居場所を創っていい。 >エゴとは違う。 >自分を守ることができれば、他の人も守れるからだ。 >そうした人が増えれば、日本は、笑顔と活力と知恵があふれる社会に生まれ変わる。
あるべき姿の世界がはっきりしないと社会に関する建設的な話し合いは無理でしょうね。
>そんな話をすると、若者の表情は崩れ、少し笑ってくれる。 >その学校が合わないなら、別の居場所で待ってくれている人たちがいる。>新しい道はいつでも見つけられる。
全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。矛盾を含まない文章は全て正しい考えを示している。考えの内容は人によりけりである。だから、正解は一つではない。色々ある。
>会社の評価に一喜一憂し、生き様を変える必要はない。
そうですね。家畜・社畜の生活よ、さようなら。見栄と外聞から決別しよう。
>職場が苦しく、やりたいことができないなら、職場を変革するか、自分で起業すればいい。 >歳を重ね、夢がかなわなかったと諦めるのは寂しい。 >第二の人生こそ、これまでより輝きたい。 >政府のコロナ対応が不十分で住民を守れないなら、自治体は独自の知恵で行動すればいい。 >「自考」の時だ。
そうですね。無哲学・能天気ではいられない。能動的な人間になろう。
>「自考」してみると、例えば、アベノミクスが推進した多額の財政出動や異次元の金融緩和が、考える力を奪う対症療法にすぎなかったと気付く。 >出る杭を叩いて可能性をつぶすより、全員が出る杭になるように育てる方が良いと思い付く。
そうですね。未来の社会を建設する方向で行きましょう。
>100人の生き方をたった3本のモノサシで測るのはやっぱり息苦しい。>100人全員の100本のモノサシを創りたい。
そうですね。私達には自己判断が必要ですね。そうすれば、現在の衆愚政治から脱出できます。わが国には (利己主義でない) 個人主義が必要です。
>私たち全員が自分のやり方と居場所を見い出し、それぞれの持ち場で、自分と日本の未来を切り拓く源泉になる。>自分のやり方を創っていいのだから、きっと楽しい挑戦になる。
そうですね。自分のやりたい事をやる時には自然と力が入りますね。楽しい人生を送りましょう。満足する良い結果が得られます。
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