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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

戦前の日本  

2021-07-05 14:10:05 | 文化

 

>368383        日本の古き良き元気な日本を復活させたい!~完全自給自立社会の構築~  >櫻木綾子 ( 23 会社員 )      21/07/03 PM06

>日本の古き良き元気な日本を復活させたい!という想いから完全自給自立社会を構築しようとしている「日本の未来を考える会」。>現在は、完全自給自立社会(モデル都市)の先駆けとして北海道を拠点に「モデル施設」に挑戦している。

>(以下引用リンク)

>結婚 子育て 教育 就職 介護環境 など…  >全ての世代に於いて不安が山積する日本の現状があります。>「戦前の日本は良かった。昔はこうじゃなかった。」と思われるご高齢者、また、そういう話を聞いた事のある方は多いのではないでしょうか?  

 

それは年寄りの口癖のようなものですね。   

 

>昔ながらの助け合いの日本は、一人一人の考え方が共通していた事で実現しており、その考え方は、「修身教育」によって国民全員が一致していました。  

 

そうですね。わが国は画一的な考え方で統一されていましたね。   

 

> 修身教育とは? >戦前の日本にあった、「道徳・人格教育」です。  

 

日本語に従った教育ですね。   

日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。世俗的な上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。   

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。これは序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的な意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

 

>軍国主義の象徴として扱われがちですが、内容は、人として大切な教訓を教えている事が分かります。  

 

無哲学・能天気なところが良くないところですね。政府の暴走が人民により抑えられませんね。      

日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている。’ (ウスビ・サコ)   

 

>今日に続く、世界に誇れる日本人のメンタリティーの形成に大きく寄与した事は否めず、「道徳・人格教育」の重要性は計り知れません。

 

無哲学・能天気な人間は相手から信頼されませんね。   

私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官

 

>今日に続く、世界に誇れる日本人のメンタリティーの形成に修身が大きく寄与した事は明らかであり「人格教育」の重要性は計り知れません。>学校での修身に基づいた人格教育と、それに伴う助け合い精神の社会構造は、世界に誇れる素晴らしいものでした。  

 

修身斉家 治国平天下でしょう。  

 

>戦前の日本は、助け合い精神に基づいた人と人との信頼関係によって成立する社会であり、若い男女は結婚するのが当たり前で、5人も10人も子供を産んでいました。

 

日本人の協力は序列に基づく協力ですね。    

 

>そこには、子供たちの成長を見守るおじいちゃんおばあちゃんがいました。

 

そうですね。大家族でしたね。個人主義が成り立ちにくい社会でしたね。     

 

>その仕組みが家庭だけでなく、村、町、都市、国家まで貫かれていたのが、古き良き日本であったのではないでしょうか。

 

そうですね。序列社会は序列国家を形成していましたね。   

 

>私たちは、古き良き 元気な日本を復活させる為に、正しい国家観・歴史観教育を軸とした、完全自給自立社会(モデル都市)の構築を目指しています。>モデル都市の先駆けとして「モデル施設」に挑戦し、北海道をはじめとして・関東・関西に於いても、期待を超える実績を収める事が出来ました。 

 

おめでとうございます。   

 

>ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

>今後こういった自給自立の暮らし方、同じ理念を持った人たちで集まる暮らし方を求める人が少しずつ増えていくように感じます。>社会が少しずつ本源的になり、あたたかく本来の人間としての本来の生物としての生き方に近づいているように感じます。

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100点病 5/5  

2021-07-05 06:48:06 | 文化

 

>報告と連絡ではありません。 >報告と連絡は危険な習慣です。>これらは物事が完了した後のコミュニケーションなので、「100点病」の私たちの場合、完璧な答案が完成するまで上司と話せなくなります。 >これが仕事を溜める大きな原因なので、一旦(いったん)忘れましょう。>対して、相談はあくまで「相談」ですから、相手はあなたの考えにマルもバツもつけることはできません。>それに、仕事が未完成でも持ちかけることができます。 >まさに「100点病」の特効薬です。 

 

上手に相談できると良いですね。でも、いろいろと気を付けなくてはならないことがありますね。

日本人には意思がない。だから意思決定はできない。意思決定が必要な時は、恣意決定に頼ることになる。つまり、事の次第・自然の成り行きで決着をはかる。このやり方は、アニマルも同じである。

恣意 (私意・我儘・身勝手) はバラバラな単語のままで存在するから文章にならない。だから、意味はない。行為・言動の本人に説明責任はとれない。  

日本人には、恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) があって、意思疎通 (相互理解) がない。恣意 () の探り合い (談合) があって、意見の交換 (議論・対話) がない。恣意決定 (盲目の判断) があって、意思決定 (理性判断) がない。だから、日本人の責任者は説明責任が取れない。未来は一寸先が闇である。危険が一杯である。お変わりのないことが何よりなことである。  

 

>「未完成だけど、相談していい?」「分からない点があるので相談したいです」と周囲にコメントを求めることが、「100点病」克服の第一歩です。 >大学の課題でも就活のことでも、どんなに小さなことでもよいので気楽に始めてください。 >あなたが就活や仕事でしくじらないよう、心からの祈りとエールを送ります。 

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

>いかがでしたか? >転職先での挫折から、「100点病」に気付いためいこさん。>徐々に忍び寄るこの病で、次にしくじるのはあなたかもしれません……。>先人の失敗に学び、よりよい社会人生活に備えてくださいね。 

 

そうですね。我々日本人には学ぶべき事柄がまだまだ一杯ありますね。

 

>では、また次の「しくじリーマン」のエピソードでお会いしましょう。>※こちらは20177月に公開された記事の再掲です。

 

 

 

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100点病 4/5  

2021-07-05 06:25:43 | 文化

 

>仕事はテストのように答案を完成させる必要はないこと、他人のコメントは私の間違いを指摘するための赤ペンではないことに気付いたのです。  

 

それは良かったですね。下と見られたという感情を刺激されると碌なことにはなりませんからね。   

 

>「そんなの当たり前じゃん」と笑ってしまいますよね。でも、こんなことはありませんか? >・先輩や友達に「私の短所って何だと思う?」と聞くのは勇気がいる  

 

相手は偉そうにと感じるでしょうね。相手の気分を害します。     

 

>・バイトや研究室で、人からアドバイスを受けると何となく否定されたような気持ちになる  

 

下と見られたと感じるからでしょう。   

 

>・サークルやゼミ活動の中で、「自分に任されたことは人に頼らずに完成させたい」と気合いが入る   

 

日本人には意思がない。だから、恣意に気合が入る。自分に意思の無い人は、相手の意思をも認めない。そこで、責任 (responsibility) のない社会の混乱が起こります。事態に対処できる責任者が存在しない。社会の目的が成就されることはない。建設的な内容が得られずに泣き寝入りになる。日本人には諦めが肝心である。  

肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。

徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り)                

 

>これは全て、学生時代の私のことです。>思い当たる節のある人は、知らず知らずの間に「100点病」予備軍になっているかもしれません。>そう、あなたの背後に「100点病」は忍び寄っているのです!  

 

無哲学・能天気でありながら他人から褒められたいの一心ですね。  

 

>君がしくじらないために:今日から「相談」を口癖に!「報告・連絡」は忘れよう  >ギクっとしたあなたが同じしくじりに陥らないために、今から何ができるでしょうか。 >私からのアドバイスは、「相談」を口癖にすることです。 

 

馴れ合いは良くないので気を付ける必要がありますね。‘なあなあ主義’ とは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。   

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

 

>報告・連絡・相談、いわゆる「報連相」のうち、最初の2つは忘れてください。>大切なことなのでもう一度言います。>あなたがすべきことは「相談」です。 

 

自分には考えがないので相手に相談するという姿勢にならないように気をつけましょう。   

 

 

 

 

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100点病 3/5  

2021-07-05 06:04:36 | 文化

 

>彼らに作りかけの案を持ち込んで「これからどうしましょう?」と相談するのはナンセンス。  

 

彼らは政治家なのですかね。政治家であれば政権交代で彼らは一掃されるでしょうね。       

 

>時間を掛けても、完成品を仕上げて報告する方が喜ばれました。   

 

どうやら政治家のようですね。   

 

>もちろん全ての公務員には当てはまりませんが、少なくとも当時の私は「100点の答え」を出し続けるスタイルでも評価されていたし、それに何の違和感も覚えませんでした。 >こうして私は、仕事を数カ月単位で溜(た)めるようになったのです。 

 

床の間の置物のような上司は、専門職としては不向きですね。   

 

>「使えない高学歴」の誤解。彼らも100点病患者かも  >皆さんは「高学歴は仕事ができない、使えない」と聞いたことはありませんか。 

 

それは半ば常識のようになっていますね。   

 

>自分自身が仕事のできない東大卒になった経験から、私はこの意見は一部正しくて、一部は的外れだと感じています。  

 

それは何も東大卒ばかりの問題でもないようですがね。  

 

>「勉強ばかりで人の気持ちが分からない、自分が一番賢いと思っていて指示を聞かない、だから高学歴は使えない。」 >私はそんな論調に触れるたび、一人の東大卒としてムカムカしていました。 >私は絶対に違う。 >大学の友達にもそんな子はいなかった。 >この説は大嘘(うそ)だ。 >そう思っていました。 >実際のところ、東大ではコツコツ勉強してきたタイプの真面目な学生が圧倒的多数派です(テレビで見るような天才ばかりではありません)。 >彼らは模試やテストで「天才と自分に圧倒的な差がある」と嫌というほど知っているので、賢さを過信するどころか非常に謙虚です。 

 

天才には大衆教育は必要ないでしょうね。それは個性の問題でしょうね。      

 

>それに、入社後に「使えない」と断じられる高学歴の学生たちは、そもそも選考を経て内定を得ています。 >人事には、最低限の協調性やパーソナリティが評価されているはずです。 >それを踏まえると、企業のおじさんたちがいう「人の言うことを聞かないロボットのような高学歴」は虚像に過ぎないと思うのです。 

 

おじさんたちは人の言うことを聞くロボットを求めているのでしょうね。   

 

>彼らの実情は、仕事でも「100点の答え」を求めてしまう、私のような人たちではないでしょうか。 >学校で先生の添削を受け続けた経験から、職場では完成した仕事を上司に示せるまで抱え込んでしまうのです。 >そんな仕事の進め方は、こまめな相談を当然とする上司に「こいつは周囲に意見を求めようとしない、言うことを聞かないやつだ」と誤解されるでしょう。  

 

自分の考えか他人の考えかが判別できないような内容が求められているのでしょうね。   

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。戦時中は玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)    

 

>仕事ができない高学歴の正体は「100点病」患者たちかもしれません。

 

正解は幾らでも存在する世の中であるのに残念なことですね。    

 

>しくじりから得た学び:仕事に「100点」はない、他人のコメントは赤ペンじゃない。こんな私を笑いますか? >さて、こんな私は社会人3年目でやっと「100点病」を自覚しました。 

 

100点病に罹っている人には、思考停止と記憶万能がありますね。自分自身のニュー・アイディアとは無縁ですね。ですから他人の考えを受け売りする専門家になります。    

イザヤ・ベンダサンは、自著<ユダヤ人と日本人>の中で、我が国の評論家に関して下の段落のように述べています。

評論家といわれる人びとが、日本ほど多い国は、まずあるまい。本職評論家はもとより、大学教授から落語家まで (失礼! 落語家から大学教授までかも知れない) 、いわゆる評論的活動をしている人びとの総数を考えれば、まさに「浜の真砂」である。もちろん英米にも評論家はいる。しかし英語圏という、実に広大で多種多様の文化を包含するさまざまな読者層を対象としていることを考えるとき、日本語圏のみを対象として、これだけ多くの人が、一本のペンで二本の箸を動かすどころか、高級車まで動かしていることは、やはり非常に特異な現象であって、日本を考える場合、見逃しえない一面である。 (引用終り)  

 

 

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100点病 2/5  

2021-07-05 04:54:12 | 文化

 

>このプレッシャーは、大学に合格してからも消えませんでした。>東大生は、入学後もテストで成果を出さねばならないのです。 

 

世界にはより良い大学が沢山あるというのに、どうして東大生ばかりが没個性の励みに邁進するのでしょうかね。 

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。進歩が期待できる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' ということになり現実肯定主義の中に埋没せざるを得ない。日本人の比較はこれである。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。

非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。日本人がともすれば異口同音の内容を語るのはこのためである。      

わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。個人の価値判断が抜け落ちている。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べで個性がない。それで、日本人は個人主義が何であるかを理解することが難しい。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、誰からも信頼されない。世界観に基づく協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。井の中の蛙はこの状態を嘆いているであろうか。      

 

>東大では3年生から法学部や文学部といった学部・学科に配属されますが、その選択権は12年生時代の成績順に与えられます。>この「進学振り分け」と呼ばれる制度によって、ガリ勉タイプの東大生は入学直後からテスト勉強に明け暮れ、希望の学部・学科への道を走り続けることになります。

 

自己の哲学の形成はおざなりになっているようですね。このような状態では無哲学・能天気の日本人が増えるのも当然でしょうね。      

 

>公務員を経て「100点病」は重症に >就職後の公務員生活でも、私は相変わらずでした。 >上司に間違いを指摘されないよう、作り込んだ書類を持って報告に行く。 >答案にバツが付くのを恐れていた学生の頃と同じように働いていました。 >お役所は、私のような「100点病」患者でも褒められる環境でした。   

 

日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。学生の励みはわが国の学問の発展に寄与していない。それは処世術の励みだからである。      

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。階称の問題を放置している状態では構造体格は難しい。

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。これは序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的な意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

 

>人事異動が頻繁にあり、業界知識や前例に精通しない上司の下で働くことも多かったからです。

 

精通しない専門家は困りものですね。   

 

 

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