gooブログはじめました!

日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

疲れている現代の組織 2/2  

2021-07-09 13:58:20 | 文化

 

>しかし、次に就任したマーク・ペレーズ艦長は違った。 >大西洋に出て通常訓練をつつがなく行っていたある日のことだ。 >私は潜望鏡で大型商船を発見した。 >ソナー員がその存在を音で確かめようとしたが、通常モードの潜水艦では、音の「受信」しか認められていないため、船までの距離が正確にわからなかった。>私はソナー班の班長に、冗談めかして、アクティブ・ソナーを使って商船にピン(音)を打てばわかるじゃないか、と言った。>潜水艦がピンを打つことはめったにない。>すると、ペレーズ艦長が私の横にやってきてこう言った。>「なら、やればいいじゃないか」>彼がそう言ったのは、ソナーでピンを打つには艦長の許可がいるとわかっているからだ。>私が気まずく感じているのを察して、艦長はさらにこう続けた。 >「君がひと言、『艦長、訓練のためにソナーでピンを打ちます』と言えばいいじゃないか」 >私は思い切って口を開いた。 >「艦長、訓練のためにソナーでピンを打ちます」 >艦長はひと言 「よろしい」と答えてその場を立ち去った。 

 

艦長は部下の提案を許可したのですね。ペレーズ館長は違っていた。      

 

>1人残された私は、初めて艦を動かす責任を担うことになった。>それからの30 、ソナー室にいる全員が、代わる代わるソナーでできるあらゆる組み合わせを使ってピンを打ち、海面上で動いているものの正体を探った。 >ソナー員はいつもと違う操作を楽しんでいた。  

 

そうでしょうね。上意下達の仕事ばかりでは、仕事に飽き飽きしますからね。     

 

>ソナー班の班長は、班員の訓練ができて喜んでいた。>私も楽しかった。 >一緒に働くチームを指揮する権力と能力が自分にあるという実感。 >それは私にとっての強壮剤となった。 >それからは、当直に就く時間を心待ちにするようになり、当直でない時間は勉強にあて、自分のチームでの訓練の新しいやり方を思い描いた。

 

良かったですね。働きながら学習が可能になりましたね。   

 

>====中略====

>●10年後にも圧倒的な成果を出す   

>私が艦長に就任しているあいだ、サンタフェはすばらしい働きを見せた。 >ただそれだけだったら、書店の棚の大半を占めている、リーダーという個人を中心としたリーダーシップ物語と何も違わない。 >本当の意味での成功は、10年後の働きぶりを評価して初めてわかる。 >サンタフェは10年経った時点でも優れた働きを続けていて、士官も下士官兵も信じがたいほどの高確率で昇進を遂げた。 

 

士官・下士官の昇進率が委ねるリーダーシップの評価の基準になりますね。   

 

>これこそ、委ねるリーダーシップを通じて受け継がれていくものなのだ。>「委ねる」リーダーシップは、「命じる」リーダーシップと構造から根本的に違う。  

 

委ねるリーダーシップは部下を信頼するリーダーシップですね。   

 

>その中核には「誰もがリーダーになれる」という信念がある。 >リーダーシップを、限られた人だけが持つ特殊な資質だと思うのは間違いだ。 >人間なら誰もが持ち合わせている。 >それを仕事のあらゆる面で発揮してもらうのだ。 

 

そうですね。 総力戦の体制ですね。     

 

>誰もが自分の仕事に満足している世界を思い浮かべてみてほしい。>そこは、誰もが自分の知力を存分に発揮し、自分を高めたいという意欲に満ちあふれた世界だ。 

 

そうですね。理想的な人間の姿ですね。理想的な社会の姿ですね。        

 

>人間という種に授けられた認知の力を存分に使い、目の前に問題が現れるたびに解決していく姿がそこにはある。>突き詰めれば、本書は、既存のリーダーシップ構造が機能しない現在の環境にあって、仕事に不満を抱えるすべての人にとって行動を起こすきっかけとなるものである。  

 

そうですね。全ての人の不満解消は、現今の社会の機能不全の打開策になりますね。   

 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)   

 

 

 

 

 

 

.

 

 

 


疲れている現代の組織 1/2  

2021-07-09 13:41:07 | 文化

 

>368495        1年で激変!「命令」をやめた組織で起きたこと  >真鍋一郎 ( 32 会社員 ) 21/07/08 PM07

>以下(リンク)引用

>----------------

>●上司も部下も疲れている現代の組織   

>近年、人々の労働意欲が低下し、生産性に莫大な損失を与えている。 >会社に貢献する気持ちや、仕事に対する思い入れ、やりがいを失った社員は、組織の利益をむしばみ、同僚のやる気をそぐ。 >確かに、会社にとっての利益の損失も大きいが、私の感覚としては、働く人々が失った喜びや幸福感の喪失の大きさは、その比ではないように思う。 

 

そうですね。それは臣民にとっての帝国が滅亡する時のようなものですね。    

 

>一方、経営者や幹部は、社員の情熱や責任意識の欠如に困惑している。 >やる気を鼓舞するつもりで決断を委ねても、「言われたことをやるだけ」の立場を心地よいと感じている社員のほうが多いと思い知らされる。 

 

そうですね。日本人には意思がない。日本人の言動は能動がなくて受動ばかりである。刺激がなくて心地よい。何事もお変わりのないことがよいことです。        

 

>雇う側と雇われる側の両方がこのような状態にある原因はただ1つ。 >痛ましいほど時代遅れになった、リーダーシップのあり方が問題なのだ。 

 

そうでしょうね。日本人には意思や責任や説明責任は想定外になっていますからね。筋の通った出来事は日本人の社会では起こらない。

肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。

徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り)

 

>私は、アメリカ海軍で時代遅れのリーダーシップを直に体験した。 >海軍兵学校で学ぶリーダーシップの教科書には、リーダーになるとはどういうことかが、次のように記されていた。 >リーダーシップとは、技術、科学、あるいは天分を通じて、1人の人間がほかの人間の思考、計画、行動を導く能力と権限を手にし、彼らの服従心、自信、尊敬、忠実な協力を獲得して、巧みに操ることである。 >要するに、海軍、そしてほとんどの組織におけるリーダーシップは、人を支配することがすべてなのだ。 

 

軍隊とは大体がそういうところでしょうね。危急存亡の折の態勢の訓練に終始するでしょうね。    

 

>このリーダーシップモデルでは、人は2種類に分けられる。>リーダー(命じる者)と部下(命令に従う者)だ。>今日におけるリーダーシップに関する研究や、私たちが学び実践することの大半は、リーダーが部下に命じるという構造に基づいている。

 

そうでしょうね。上意下達の体制でしょうね。   

 

>リーダーが部下に命じるという構造では、実に多くのことを成し遂げることができる。 >そのリーダーが優秀であればなおさらだ。 >農業の発達と普及も、エジプトのピラミッドも、産業革命時代の工場も、すべてこのリーダーシップ構造が可能にしたものだ。 >リーダーが部下に命じるというやり方があまりにも大きな成功をもたらし続けてきたからこそ、それは私たちの目に魅力的に映り、やめることができないのだろう。 >しかし、このモデルが発達したのは、主な仕事が肉体労働だった時代だ。  

 

そうですね。肉体労働の時代のリーダーシップですね。   

 

 

>物理的な作業を効率よく行わせることに主眼が置かれている。 >6人でこぐガレー船ならそれでも問題ないだろうが、原子力潜水艦を動かすとなればそうはいかず、想像力や自発性がすべてとなる。 

 

我が国では、人手不足はあっても頭脳不足の話は聞いたことがない。これは、精神労働を肉体労働に置き換えて仕事を処理しているからでしょうね。天下の秀才の出番はないですね。      

 

>●私がサンフィッシュで感じた喜び   

>原子力潜水艦では、技術的な専門知識がリーダーシップの基本となる。>私が新人士官として初めて乗った攻撃型原子力潜水艦サンフィッシュの艦長は、その哲学を体現する人物だった。  

 

彼は旧式のリーダーシップを発揮する人ですね。