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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

岡田豊氏 1/2  

2021-07-20 13:09:33 | 文化

 

>368799        日本人に残された切り札は、「自考」。 >カニワ ( 26 会社員 )           21/07/19 PM09

>高度経済成長を乗り越え、貧しさがなくなった現代では、正直あまり考えずとも死の危険もなく生きて行けてしまう。  

 

そうですね。政府軍と反政府軍の長期戦も我が国内には存在しませんしね。   

 

>その代償として、笑顔・活力のないゾンビのような日本人になってしまった。>活力なく自殺が増えている実情もある。 

 

退屈男・退屈女が増えすぎましたね。いじめられたら、すぐに自殺する。        

 

>この近年で活力衰弱したのはなぜ?を考えなければならない時代になってきた。 

 

そうですね。人間は自分が好きなことをしている時が一番生き生きしていますからね。   

 

>当たり前だと思っている全てに“本当に?なぜ?”と「自考」することで突破できるのではないか?と筆者が提案する記事を紹介する。  

 

役に立ちそうな記事ですね。    

 

>ーーー引用ーーーーーーー >リンク

>◆息苦しさが日本を縮めた  >海外ニュースの担当になって8年。 > [岡田豊] は世界を見ながら、日本を見つめてきた。 >日本社会は、個人の個性や自由よりも組織や集団の論理を優先してきた。

 

そうですね。日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。学問の発展には関係がない。   

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。これは序列信仰の域に達しているので日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎない。そのため、個人的精神的な意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。      

 

>多様性は浸透せず、息苦しい。 >個性を押さえつける社会は、人々から笑顔と活力を奪う。>経済や社会が閉塞している原因がここにある。

 

そうですね。考えの内容は人・人により違っていますからね。多様性を認めない社会においては思考停止するしかありませんね。       

 

>東京オリンピック・パラリンピックの取材態勢は別として、日本に駐在する外国メディアのスタッフは減る傾向にある。>「日本の魅力が落ちているからだ」(アメリカ系メディア)。>日本がこのまま世界の中で縮んでいくのは、やるせない。

 

同感です。多様性がないところが珍しいというのでは、魅力は落ちてゆくばかりですね。      

 

>少子高齢化で国内市場が小さくなり、資源が限られた日本は、世界とうまく向き合わないと、今の生活水準を維持できなくなる。

 

そうですね。国際社会とうまく付き合う必要がありますね。自国の特殊・例外を売り物にするばかりでは能がない。      

 

>敗戦後、日本はアメリカの政治と経済に“支配”されてきた側面がある。

 

そうですね。日本人は政治音痴ですからね。  

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。これは日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。政治哲学にもなる。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、人間のすることであるから 'どっちもどっちだ' の結論になる。それで無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。

非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。日本人がともすれば異口同音の内容を語るのはこのためである。      

わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。個人の価値判断が抜け落ちている。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べで個性がない。それで、日本人は個人主義が何であるかを理解することが難しい。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、誰からも信頼されない。世界観に基づく協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。     

 

>中国は経済の勢いを増し、覇権を強めている。 

 

中国は中原の鹿を追う伝統的な覇者の国である。覇者の物語は、中国人の愛読書となっている。覇者は周辺諸国に覇権を打ち立てようとして傍若無人のふるまいをし、多大な迷惑をかけている。これは皇帝の時代も国家主席の時代も漢民族のメンタリティが同じであるから変わらない。漢民族は、自分たちの考えを示すために漢字を作った。しかし、彼らは外国人の考えを示すための漢字は作らなかった。だから、外国人に対して自己の内容を発信はできるが、外国人からの内容を受信することは難しい。それで独断専行に陥りやすい。漢文の書物をいくら読んでも外国人の考えは出てこない。だから、中華思想を堅持し自己中心的にならざるを得ない。日夜周辺諸国を中国化することに専心してやまない。中国人が外国人の影響を受けて発想の転換 (paradigm shift) をすることは期待薄である。   

 

>人口の多い中国やアメリカと「量」で競っても勝てない。>アメリカや中国に都合よく呑み込まれないために、日本は世界にとってかけがえのない国になる必要がある。

 

そうですね。我々は頭を使う人間になる必要がありますね。   

我が国には人手不足はあっても、頭脳不足の話しは聞いたことがない。きっと頭脳不足の困難を人手を使って乗りきっているからでしょうね。これでは、他の諸国と同様にわが国はかけがえのない国にはなれませんね。    

 

>各国から信頼される自立した「質」の高い国だ。 

 

理想は高い方が良いですね。それでは、日本はどんな国でしょうかね。

 'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。' (カレル・ヴァン・ウォルフレン)    

‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)

 ‘日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている。  (ウスビ・サコ)  

 

>◆日本人の切り札は「自考(じこう)」  >日本の活路を見い出し、未来を切り拓くには、どうしたらいいのか。 >手立てはまだ残されている。 >実は単純だ。 

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

 

英語の勉強が流行る。学生は英語のがり勉をする。しかし、その学習効果ははかばかしくない。国際交流が流行る。学生が米国のニューヨーク州のある都市に招かれる。ホウムステイを体験して帰国した学生に尋ねてみた。 ’何という人の家に泊めてもらったの’と。すると、’彼の名前は知っているがその綴り方は分からない’ とその学生は答える。これではホストに対する宛先の書き方も礼状の出し方もままならないであろうと察した。現地の地図の見方もわからないに違いない。 

英語の 'かな書き' 表示が国際交流の邪魔をしているのであろう。これにより日本人はローマ字 (alphabet) 表記に親しみが持てなくなっている。 人類の知識の大半は英語の文献として蓄えられている。我々は英語圏以外の文明も英語を通して解している。 我々も英語を覚えて我々の文化を英語で表現すれば日本の文化を世界に広く伝えることが可能になる。この方法で我々は原書を作る国民に成れる。 

‘かな漢字’ の表記では、日本人以外に読める人はいない。だから、日本人以外の人に我々の知識を伝えるために日本語をローマ字表記にすることは最適の方法である。日本語をローマ字表記にすれば、漢字圏以外の人も直ちに日本語を読み書き話すことができる。これにより国際的な意見交換が盛んになる。そして井の中の蛙は大海を知ることになる。    

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

>私たちそれぞれが、これまでにない、新しい生き方、やり方を自分の頭で考え、創り出すことだ。

 

そうですね。日本人の思考停止に終止符を打つことが必要ですね。  

 

 

 

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遠藤誉氏 2/2  

2021-07-19 08:41:33 | 文化

 

>蔡霞氏の祖父は「日本軍と共謀する役目を負った藩漢年」の部下

>蔡霞氏の母方の祖父は、潘漢年の地下交通員を務めていた。 >藩漢年は拙著『毛沢東 日本軍と共謀した男』で詳述したように、毛沢東の命令を受けてスパイとして上海にある日本外務省所轄の岩井公館の岩井英一に接触し、日本軍に国民党の軍事情報を売った人物である。 >毛沢東は張学良に西安事変(193612)を起こさせて中共側に寝返らせ、国民党の蒋介石に「第二次国共合作」を誓わせた。 >これにより中共軍側は国民党軍側の軍事情報を共有することができるようになり、その軍事情報を日本側に高値で売って、日本軍が国民党軍を打倒しやすいように持って行った。 >国民党も中国人。>毛沢東は自分が天下を取るためならと、自国の民の命を日本側に売ることによって、国共内戦を中共側に有利に持って行ったのである。>これが中国共産党の神髄だ。理念だ。     

 

それは規模の大きな処世術 (損得勘定) ですね。   

 

>それでも「習近平さえ失脚すれば、中国共産党は良い党になる」と主張できるのだろうか?   

 

中国人は皆が同じ穴のムジナのようですね。    

 

>蔡霞氏には『習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』を勧めたい   

>蔡霞氏は、習近平の父・習仲勲が、実は鄧小平の陰謀によって失脚した(1962)という事実を知っているだろうか? >鄧小平には、毛沢東が高く評価していた習仲勲らがいた西北革命根拠地の存在価値を何としても薄めようという狙いがあった。 >「革命の聖地」と言われた延安は、習仲勲らが1920年代末から築いてきた西北革命根拠地にあった。 >毛沢東が長征(1934年~36)の末にようやく辿り着いたのが西北革命根拠地で、その時には中国全土の革命根拠地は全て蒋介石・国民党軍によって殲滅されていて、もし西北革命根拠地がなかったら、毛沢東の革命は失敗し、新中国は誕生していなかっただろう。

 

タラレバの話しですね。  

 

>1978年に政治復帰した習仲勲を1990年に再び失脚させたのは、やはり鄧小平だ。>天安門事件後になってもなお、習仲勲が「異なる意見を認める法律を制定すべきだ」と主張したからである。

 

習仲勲は 小異を残して、大同につけですかね。    

 

>だから習近平は国家のトップに立つやいなや、毛沢東を礼賛し革命根拠地を重視し、言論弾圧を強化するのである。  

 

権謀術数ですね。中国人には他に何もありませんね。       

 

>言論の自由を認めよと主張したが故に、父の習仲勲が再度の失脚を余儀なくされたことを熟知しているからだろう。

 

中国は、言論の不自由を常と思えば不足なしですね。   

 

>中国共産党が統治している限り、誰がトップに立とうと言論弾圧は消えない。

 

個人主義がなければ、そういう事になりますね。    

 

>父の理念に背いてでも言論弾圧をしていること自体が、それを証明している。>蔡霞氏が中共に見切りをつけたことは心から歓迎する。拍手喝采したい。

 

そうですね。

中国は中原の鹿を追う伝統的な覇者の国である。覇者の物語は、中国人の愛読書となっている。覇者は周辺諸国に覇権を打ち立てようとして傍若無人のふるまいをし、多大な迷惑をかけている。これは皇帝の時代も国家主席の時代も漢民族のメンタリティが同じであるから変わらない。漢民族は、自分たちの考えを示すために漢字を作った。しかし、彼らは外国人の考えを示すための漢字は作らなかった。だから、外国人に対して自己の内容を発信はできるが、外国人からの内容を受信することは難しい。だから独断専行に陥りやすい。漢文の書物をいくら読んでも外国人の考えは出てこない。だから、中華思想を堅持し自己中心的にならざるを得ない。周辺諸国を中国化することに専心してやまない。この無謀な活動が周辺民族の悲劇となっている。中国人が外国人の影響を受けて発想の転換 (paradigm shift) をすることは期待薄である。   

 

>しかし温室育ちの彼女には見えていないものが多過ぎるように思われてならない。

 

そうですね。それは中国の悪い教育のせいですね。中国人には歴史学も民俗学も役立っていないようですね。      

 

>蔡霞氏には是非とも拙著『習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』を読んで欲しいと願う。  

 

私も中国人と接したことがありますが、彼らは相手 (中国人) を倒すことばかりを考えていようですね。実に力を入れているようです。

外国 (日本) で中国人同士がであっても、彼らは実にそっけないですね。地獄で仏に会ったように喜び合うところを見たことがない。祖国に対する帰属意識が薄いのでしょうね。    

我が国の政治家にも、政治哲学がない人が多い。我々の未来社会の有様を大衆に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っている。上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在を確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことにより仕事にやりがいを感じている。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。 

 

>その上で再度習近平と中国共産党を分析してほしい。>素直で潔癖な人物と見受けられるので、衝撃は大きいだろうが、「客観的事実」を受け入れる度量を持っておられると信じる。  

 

現実直視は必要ですね。   

理解と忖度は似て非なるものであるから注意が必要である。忖度 (推察) は聞き手の勝手な解釈であるから、話し手には何の責任もない。たとえ両者の間に齟齬が存在しても議論にもならない。現実直視になっていないことを忖度の主に指摘しても、'だって、私は本当にそう思ったのだから仕方がないではないか' と懸命に反発するので話にならない。かくして、日本人の対話は不可能になる。 

 

>※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。

>≪この筆者の記事一覧はこちら≫

>[執筆者] 遠藤 誉 >中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士 >1941年中国生まれ。>中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。 >中国問題グローバル研究所所長。 >筑波大学名誉教授、理学博士。 >中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。 >著書に『裏切りと陰謀の中国共産党建党100年秘史  習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』(ビジネス社、322日出版)、『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』、『激突!遠藤vs田原 日中と習近平国賓』、『米中貿易戦争の裏側 東アジアの地殻変動を読み解く』,『「中国製造2025」の衝撃 習近平はいま何を目論んでいるのか』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『卡子(チャーズ) 中国建国の残火』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』、『中国がシリコンバレーとつながるとき』など多数。

 

 

 

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遠藤誉氏 1/2  

2021-07-19 05:40:08 | 文化

>習近平さえいなくなれば中国共産党は良くなるのか? >2021517日(月)1420分 >遠藤誉(中国問題グローバル研究所所長)

()

>昨年、中央党校の元教授・蔡霞氏が在米中に「習近平がいなくなれば中国共産党は良い党になれる」と発言したが、そうだろうか?  

 

それは彼女の希望的観測でしょうね。    

 

>彼女は天安門事件まで人民を殺害するのは日本軍と国民党軍だけだと思っていたという。  

 

彼女の頭の中にはきっとお花畑があるのでしょう。  

 

>元中央党校教授の「習近平さえいなくなれば」の論法    

>中国共産党員の幹部候補生を養成する中国共産党中央委員会党校(中共中央党校)(略称:中央党校)の退官教授だった蔡霞氏が昨年6月に在米中のある集まりで喋った20分間の声が録音されネットで公開されたことがある。 >そこでは「習近平は暴力団のボスで、党内の全ての人(党員)は習近平の奴隷(奴才=奴隷根性の人)であり、人権も法治もすでになく、習近平は一線を退いて隠居すべきだ」という趣旨のことを言っている。 >そこで中央党校では10回ほど彼女に電話を掛けてきて「帰国しろ」と要求したが、身の安全が保障されないので帰国しないと回答し、昨年817日に党員として除籍になった。 >その後、数多くのアメリカ・メディアから取材を受けているが、その中で彼女が「習近平さえいなくなれば、共産党は良い党になる」と言っていることが気になる。  

 

おそらくそれは彼女の幻想のようなものでしょうね。   

 

>そうだろうか? >中国共産党そのものが「罪悪」であって、誰がトップに立とうと変わらないのではないだろうか? 

 

中国人も日本人と同様で、罪を知らない民族でしょうね。   

日本人には罪がない。意思の無い人には罪がない。意思の無い人には被害者意識はあっても、加害者意識がない。だから日本人は罪悪感に苛まれることがない。これはこれはアニマルも同じです。だから、日本人には罪がない。

日本人に謝罪を勧めたらどうなるか。それは自虐行為の勧めと受け取られて恨みを買う事必定である。 日本人は贖罪を語らない神道・仏教の周辺に集まっている。とにかく、罪の匂いのするものは日本人は嫌いです。それは陰気のもとになる。 

罪の意識のない人には、病める魂の救済も必要でない。だから、贖罪の為の宗教 (キリスト教) も、わが国では力を持つに至らなかった。

戦後の占領軍のWGIP ( War Guilt Information Program: 戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画) も見事に失敗しました。日本人に対する罪悪感の宣伝はカエルの面に小便の状態になったのです。 

 

>人民を虐殺したのは天安門事件が初めてではない     

>何よりも驚いたのは、蔡霞氏が198964日に起きた天安門事件で鄧小平が民主を叫ぶ若者を中国人民解放軍に武力弾圧せよと命じて断行したことに関して「私はそれまで解放軍は人民を守るためにいるのであって、人民を殺すのは日本軍と国民党反動派のみだと思っていました」と吐露していることだ。

 

蔡霞氏は、中国共産党に完全に教育されていましたね。何処の国でも為政者は程度の差こそあれ自分たちに都合の良い教育内容を民に施していますからね。      

 

>まだ新中国(現在の中国=中華人民共和国)が誕生する前の1948年、毛沢東は1947年から食糧封鎖し始めた長春に対して、林彪との往復書簡の中で「長春を死城たらしめよ」と言っている。

>私の兄弟はその中で餓死し、私は長春から脱出するために餓死体が敷き詰められた上で野宿し、恐怖のあまり記憶喪失になった経験を持つ。

>長春だけでも、中国共産党軍によって餓死させられた無辜の民の数(中国人)は数十万に上る。

>毛沢東にとって、そんなことは全く意に介す必要のないことで、「人民などは雑草のようなもので、いくら刈り取っても後からあとから生えてくるので、ざっと300万人くらいは殺してもどうということはない」と考えていた。   

 

彼は戦国の覇者でしたね。    

 

>新中国誕生直後には、解放軍を引きつれた王震が、新疆地区で30万人ほどのウイグル人を手当たり次第に殺戮した。 >「銃弾」により女子供も含めて虐殺している。 >彼は鄧小平の下で、国務院副総理にまでなっているではないか。 

 

類は友を呼ぶですね。 Birds of a feather flock together.    

 

>毛沢東が建国後も、どれだけ多くの無辜の民を死に追いやったか、知らないはずはないだろう。>三反五反運動、反右派闘争、大躍進時の大飢饉、文化大革命など全てを含めれば、7000万人ほどは殺しているというのが通念ではないのか?  

 

政権は死者の上に築かれるのでしょうね。   

 

>銃弾を使った殺戮だけが虐殺ではない。>中央党校では、このようなことを教えないのかと、逆にあまりの「党賛美の純粋培養」の中で党員幹部を育てていることに驚きを禁じ得ない。 

 

純粋培養・洗脳教育が政権への道でしょうね。彼らも無哲学・能天気ですから、この世の行き着く先等考えたことがない。       

 

>胡錦涛はチベット鎮圧が鄧小平に評価されトップに立った

>蔡霞氏は「胡錦涛時代は民主を求めて、非常に良かった」という趣旨のことを言っている。>しかし、そもそも胡錦涛はチベット自治区の書記として、19893月のチベット動乱に対して戒厳令を布告したことで有名で、戒厳令は中国建国来初めてのことだ。>その2ヵ月前の1月、ラサにおいて抗議運動に加わった僧侶に公開死刑を行っており、直後にパンチェン・ラマ10世が急死したことに関しても胡錦涛が関係しているとチベット人(チベット自治区のチベット族の人たち)は信じている。

 

周辺の民族は漢民族の被害ばかりを受けますね。 

中華 (ちゅうか)  [外国との交渉が少なかった時代に] 自国を、世界の中心にある、一番優れた国とみなしたこと。[狭義では、漢民族のそれを指し、またその呼称としても用いられる]    東夷 (とうい)  [東方の野蛮人の意] 昔、中国から見た東方諸国の称。[広義では朝鮮・沖縄を含み、狭義では日本を指した]     南蛮 (なんばん)  [南方の野蛮人の意] 昔、中国で、インドシナなど南海地方の諸民族の称。 西戎 (せいじゅう)  [西方の野蛮人の意] 昔、中国で、チベット族やトルコ族など西方の異民族の称。北てき (ほくてき)  [北方の野蛮人の意] 昔、中国で、匈奴 (きょうど)・韃靼 (だったん) などの遊牧民族の称。   

 

>同年6月に天安門事件が勃発した際も、鄧小平の武力弾圧を真っ先に支持したのが胡錦涛だ。 >異論を押さえつけるためには武力弾圧を断行することを胡錦涛は支持しているのである。 

 

中国人相手では、それしかないといった感じですね。議論・対話は不可能の世界ですね。      

 

>だからこそ鄧小平に認められて、江沢民の次に国家指導者になるよう指名された。>胡錦涛が国家のトップに立つことができたのは、自由を叫ぶ民衆を武力で鎮圧するために建国後初めて発布した戒厳令があったからであり、天安門事件で武力弾圧をした鄧小平を真っ先に支持したからであることを蔡霞氏は知らないわけではあるまい。

 

誰もが自分に都合の悪いことは忘れがちですね。   

 

>それとも、それさえ、中央党校では教えない(知らされてない)のだろうか? >私はむしろ、そのことに驚きを禁じ得ないのである。 >完璧に美化され、フィルターにかかった「美しい党史」のみを中央党校で教えてきたのだとすれば、そのこと自体が「罪悪」だ。

 

そうですね。中国人に罪悪感はないでしょうね。     

 

 

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学歴エリート  

2021-07-17 11:51:22 | 文化

>368726        偏差値教育で加速、学歴エリートの傲慢さと驕り、

>持国天 ( 喜寿 )         21/07/16 PM10

>・中央省庁へのキャリア試験の応募者が劣化してきたと聞く。

>この間の霞ヶ関次官クラスの不祥事や言い訳発言を聞くに、若者のキャリア試験受験意欲が減退するのは当然だろう。  

 

日本人には大人になる為の勉強がない。だから教養がない。

() しかしいったん、大学に入れば、控えめに表現しても、成績と出席の基準はたるんでいる。大学を含め、日本の子供たちが習うものごとの中核は、主として十八歳までに吸収される。’ (フランク・ギブニー)

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' がある。無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。

非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。日本人がともすれば異口同音の内容を語るのはこのためである。      

わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。個人の価値判断が抜け落ちている。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べで個性がない。それで、日本人は個人主義が何であるかを理解することが難しい。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、誰からも信頼されない。世界観に基づく協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。  

 

>氷山の一角が佐川次官/福田次官/山田内閣報道官であろうが、それぞれ中身が違えども、傲慢さと驕りが共通項ではなかろうか。 

 

お山の大将か、井の中の蛙か。    

 

>そして経産省官僚の入省年次数年の若手から、とんでもない犯罪が発覚している。 >コロナ禍の制度設計にあたる官僚が、制度に精通しているがゆえにその裏をかいて、遊興に嵌って私腹を肥やしたなど、聞いたことがない犯行だ。>そして、バレバレで見え透いた犯罪で、彼らの驕りは一線を越えてしまっていると感じます。

 

日本人には意思がない。意思の無い人間には加害者意識がない。罪の意識もない。だから大人になれない。  

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。戦時中は玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)

日本人には意思がない。だから意思決定はできない。意思決定が必要な時は、恣意決定に頼ることになる。つまり、事の次第・自然の成り行きで決着をはかる。このやり方は、アニマルも同じである。

恣意 (私意・我儘・身勝手) はバラバラな単語のままで存在するから文章にならない。だから、意味はない。行為・言動の本人に説明責任はとれない。  

日本人には、恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) があって、意思疎通 (相互理解) がない。恣意 () の探り合い (談合) があって、意見の交換 (議論・対話) がない。恣意決定 (盲目の判断) があって、意思決定 (理性判断) がない。だから、日本人の責任者は説明責任が取れない。未来は一寸先が闇である。危険が一杯である。お変わりのないことが何よりなことである。

日本人には意思がない。意思の無い人には責任がない。ちょうど死刑執行人のようなものである。人は死んでも彼らは殺人罪に問われない。彼らには殺意という意思がないからである。

意思の無い世界には、西洋流の責任も無い。イザヤ・ベンダサン=山本七平訳の<日本教について>の中で、日本語の責任について述べられています。

‘、、、、、「責任」という日本語には、「応答の義務を負う=責任(レスポンシビリティ)」という意味は全くないのみならず、「私の責任だ」といえば逆に「応答の義務がなくなる」のです。、、、、’ (引用終り)

‘兎角、この世は無責任’ という事か。

自己の意思を表せば当事者・関係者になる。表さなければ傍観者にとどまる。意思表示の無い日本人は常に傍観者にとどまっていて、孤高の人になっている。孤立無援になりやすい。わが国は、世界の中にあって、世界に属していない蚊帳の外。

日本人には罪がない。意思の無い人には罪がない。意思の無い人には被害者意識はあっても、加害者意識がない。これはアニマルも同じです。だから、日本人には罪がない。

日本人に謝罪を勧めたらどうなるか。それは自虐行為の勧めと受け取られて恨みを買う事必定である。 日本人は贖罪を語らない神道・仏教の周辺に集まっている。とにかく、罪の匂いのするものは日本人は嫌いです。それは陰気のもとになる。 

罪の意識のない人には、魂の救済も必要でない。だから、贖罪の為の宗教 (キリスト教) も、わが国では力を持つに至らなかった。

 戦後の占領軍のWGIP ( War Guilt Information Program: 戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画) も見事に失敗しました。カエルの面に小便の状態になったのです。 

 

>・共通一次試験が導入され、その一期生世代が佐川氏ら3人だ。 >受験戦争が苛烈化して、答えありきの詰込教育と暗記がパターン化した。

 

答ありきの問題は採点が容易で序列順位が容易に得られます。全てが個性の表現である回答では序列化は難しい。    

 

>受験脳と化した制度欠陥が噴出し始めた世代の勝ち組が彼らエリートだ。 >中央省庁や大企業キャリア、弁護士やマスコミ人や政界人となって、受験脳世代が日本の指導層を形成してしまった。 

 

思考を停止した状態であるので、彼らは無哲学・能天気ですね。   

 

>人事権を一手にした安倍政権にあそこまで見え透いた卑屈な忖度ができるのは、右脳を封印した左脳人間の彼ら、受験脳世代だからだろう。  

 

哲学 (非現実・考え) がなく、処世術 (現実・損得勘定) があるからでしょうね。   

 

>科挙に準じたごときキャリア試験制度は、貧困の圧力が社会を覆っていた時代の残債でしかない。  

 

科挙に準じた試験制度は身分制度を廃止した時の代替えの制度だったのですね。   

 

>貧困の圧力が消滅した今や、全く人々のためにならない選抜制度である。  

 

選抜制度は害悪をまき散らす処世術になりましたね。    

 

>だから人の心や時代の意識潮流が読めない、霞ヶ関官僚の喜劇にしか見えない。  

 

教養がないの一言に尽きますね。官僚の喜劇は国民の悲劇でもある。政治音痴の国民の深刻な悲劇である。      

 'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。' (カレル・ヴァン・ウォルフレン)    

‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)

 ‘ 日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている。’   (ウスビ・サコ)   

 

 

 

 

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東大36位・京大54位 2/2  

2021-07-16 20:33:01 | 文化

 

>そうした理由で海外に行った研究者の中にも、実は日本に戻りたいという人は多いのです。>しかし、そもそも日本の大学には教員のポジションがない。>どこの国の人でも、同じ待遇、あるいは少し下がるぐらいだとしても、海外より母国の大学で研究したいものですが、ポジションがないとなると選択のしようがない。

 

そうですね。人間序列に空席などはありませんね。   

 

> また日本の大学では、若手の場合、何年も助教として教授のお手伝いをするといった序列が今も残っています。  

 

日本人には意思がない。だから、受動ばかりで能動がない。そして、日本人はお手伝いにしかならない。  

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。戦時中は玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)  

 

>一方、これは中国に限りませんが、海外では30代前半の研究者が教授のお手伝いではなく独立して自分の研究室をもつことが可能です。  

 

自分自身の研究計画ができれば、独立した研究は可能ですね。    

 

>これは日本ではほぼ不可能ですから、若い研究者にとって海外には大きなチャンスがあるわけです」   

 

そうですね。日本人も海外に雄飛できる日が来ると良いですね。 

 

> 一方、日本の研究者が中国で研究することについては、国内から問題視する声も上がる。>海外から優秀な研究者を集める中国の人材招致プロジェクトである「千人計画」だ。>菅義偉内閣は今年2月の国会で、千人計画に関する質問主意書に対する答弁書を出した。>そのなかで同計画について「研究活動の国際化、オープン化に伴い、利益相反、責務相反、科学技術情報等の流出等の懸念が顕在化しつつある状況」などと触れており、日本政府は対応を検討している。

 

世界中から中国政府の孔子学院に疑惑の目が向けられていますね。   

 

> 先の在中研究者も、千人計画に応募して中国へ渡った一人だ。>同氏は匿名で取材を受ける理由として、「自分は技術流出と無縁な基礎研究者であるにもかかわらず、千人計画を通して中国への違法な技術流出や軍事研究に関わっているといった脅迫や嫌がらせを受けたから」と話した。 

 

中国は透明度の低い国ですからね。     

 

>「『中国は役に立つ技術をもつ研究者を引き抜いている』と思っている人もいるようですが、むしろ日本のほうがすぐ役に立つ研究ばかり重視しています。  

 

そうですね。日本人には哲学 (虚学) がない。科学は科学哲学ですからその成果は考えの内容になります。日本人の目はもっぱら実学 (技術) に向けられていますので、科学に対する日中の成果に差が出ますね。   

 

>基礎科学の研究はかなり余裕がある国でないとできないので、少子高齢化で財政も厳しい日本で予算が減らされてしまうのは仕方のないことかと思います。 >すぐに役に立つかどうかわからない基礎科学の研究者が日本ではどんどん追いやられ、中国など海外に行って研究をしているのです」

 

無哲学・能天気なわが国民に対する当然の帰結でしょうね。   

 

> 日本の大学が研究力を伸ばし、国際的に評価されるにはどうしたらいいのか。   

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)       

 

>前出の角南さんはこう指摘する。 >「中国の場合、教員の若返りが大きかったと思います。 >重点大学を指定して新しい取り組みを始めたときに、海外から多くの教員が帰国し、新陳代謝が起きました。 >日本は人材の流動性が低く、出身大学に残って教員として学生を教えるということが多い。  

 

そうですね。我が国に存在する人間序列が人材の流動性を低めている原因ですね。  

日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。   

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。これは序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的な意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。        

 

>海外だけでなく、国内でも大学を移動して『武者修行』に行かせ、競争力を高めていく改革が大事かと思います」  

 

そうですね。一事が万事ですね。日本語の研究がいっそう必要になりますね。       

 

>(文/白石圭)  

 

 

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