文末脚注
[1] 現在のイスラエルではパニアスが正式名称ですが、観光のためカエサレア・ピリピでも検索できます。イスラエルの観光サイトでは、ラフティングの様子が真っ先に紹介されています。https://israel.travel/upper-galilee/
[2] キリスト 1:1以来のマタイの主題。16回。1:1「アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図。」、16「ヤコブがマリアの夫ヨセフを生んだ。キリストと呼ばれるイエスは、このマリアからお生まれになった。17 それで、アブラハムからダビデまでが全部で十四代、ダビデからバビロン捕囚までが十四代、バビロン捕囚からキリストまでが十四代となる。18 イエス・キリストの誕生は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人がまだ一緒にならないうちに、聖霊によって身ごもっていることが分かった。」、2:4「王は民の祭司長たち、律法学者たちをみな集め、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。」、11:2「さて、牢獄でキリストのみわざについて聞いたヨハネは、自分の弟子たちを通じて」、16:16「シモン・ペテロが答えた。「あなたは生ける神の子キリストです。」」、16:20「そのときイエスは弟子たちに、ご自分がキリストであることをだれにも言ってはならない、と命じられた。」、22:42「「あなたがたはキリストについてどう思いますか。彼はだれの子ですか。」彼らはイエスに言った。「ダビデの子です。」43イエスは彼らに言われた。「それでは、どうしてダビデは御霊によってキリストを主と呼び、」、45「ダビデがキリストを主と呼んでいるのなら、どうしてキリストがダビデの子なのでしょう。」、23:10「また、師と呼ばれてはいけません。あなたがたの師はただ一人、キリストだけです。」、24:5「わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わします。」、24:23「そのとき、だれかが『見よ、ここにキリストがいる』とか『そこにいる』とか言っても、信じてはいけません。24 偽キリストたち、偽預言者たちが現れて、できれば選ばれた者たちをさえ惑わそうと、大きなしるしや不思議を行います。」、24:26「ですから、たとえだれかが『見よ、キリストは荒野にいる』と言っても、出て行ってはいけません。『見よ、奥の部屋にいる』と言っても、信じてはいけません。」、26:63「しかし、イエスは黙っておられた。そこで大祭司はイエスに言った。「私は生ける神によっておまえに命じる。おまえは神の子キリストなのか、答えよ。」」、68「「当ててみろ、キリスト。おまえを打ったのはだれだ」と言った。」、27:17「それで、人々が集まったとき、ピラトは言った。「おまえたちはだれを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか、それともキリストと呼ばれているイエスか。」22 ピラトは彼らに言った。「では、キリストと呼ばれているイエスを私はどのようにしようか。」彼らはみな言った。「十字架につけろ。」
[3] マタイの福音書3章16節。
[4] 欄外に「ペトラ」とあります。語呂遊びでありつつ、「岩」とは旧約聖書に多出する主のモチーフです。創世記49:24(…ヤコブの力強き方の手から、そこから、イスラエルの岩である牧者が出る。)、申命記32:4(主は岩。主のみわざは完全。まことに主の道はみな正しい。…)、Ⅰサムエル記2:2(主のように聖なる方はいません。まことに、あなたのほかにはだれもいないのです。私たちの神のような岩はありません。)、Ⅱサムエル記22:3(身を避ける、わが岩なる神よ。わが盾、わが救いの角、わがやぐら、わが逃れ場、わが救い主、あなたは私を暴虐から救われます。)、32(主のほかに、だれが神でしょうか。私たちの神のほかに、だれが岩でしょうか。)、47(主は生きておられる。ほむべきかな、わが岩。あがむべきかな、わが救いの岩なる神。)、23:3(イスラエルの神は仰せられた。イスラエルの岩は私に語られた。『義をもって人を治める者、神を恐れて治める者。)、詩篇18:2(主はわが巌 わが砦 わが救い主 身を避けるわが岩 わが神。わが盾 わが救いの角 わがやぐら。)、31(主のほかに だれが神でしょうか。私たちの神を除いて だれが岩でしょうか。)、46(主は生きておられる。ほむべきかな わが岩。あがむべきかな わが救いの神。)、19:14(私の口のことばと 私の心の思いとが 御前に受け入れられますように。主よ わが岩 わが贖い主よ。)、27:5(それは 主が 苦しみの日に私を隠れ場に隠し その幕屋のひそかな所に私をかくまい 岩の上に私を上げてくださるからだ。)、28:1(主よ 私はあなたを呼び求めます。わが岩よ どうか私に耳を閉ざさないでください。私に沈黙しないでください。私が 穴に下る者どもと同じにされないように。)、31:2(私に耳を傾け 急いで私を救い出してください。私の力の岩となり 強い砦となって 救ってください。)、61:2(私の心が衰え果てるとき 私は地の果てから あなたを呼び求めます。どうか 及びがたいほど高い岩の上に 私を導いてください。2 神こそ わが岩 わが救い わがやぐら。私は決して揺るがされない。)、62:6(神こそ わが岩 わが救い わがやぐら。私は揺るがされることがない。7 私の救いと栄光は ただ神にある。私の力の岩と避け所は 神のうちにある。)、71:3(私の避け所の岩となってください。いつでもそこに入れるように。あなたは私の救いを定められました。あなたは私の巌 私の砦なのです。)、73:26(この身も心も尽き果てるでしょう。しかし 神は私の心の岩 とこしえに 私が受ける割り当ての地。)、78:15(荒野で 神は岩を割り 大いなる深淵の水を 豊かに飲ませてくださった。16 あふれる流れを 岩からほとばしらせ 水を 豊かな川のように流れさせてくださった。)、78:20(確かに 神が岩を打たれると 水が湧き出て 流れがあふれた。だが神は パンも与えることができるのか。民のために 肉を用意できるのか。」)、78:35(彼らは思い出した。神が自分たちの岩であり いと高き神が自分たちを贖う方であることを。)、81:16(しかし主は 最良の小麦を御民に食べさせる。わたしは岩から滴る蜜で あなたを満ち足らせる。」)、89:26(彼は わたしを呼ぶ。『あなたはわが父 わが神 わが救いの岩』と。)、92:15(こうして告げます。「主は正しい方。わが岩。主には偽りがありません。」)、94:22(しかし主は私の砦となり 私の神は 私の避け所の岩となられました。)、95:1(さあ 主に向かって 喜び歌おう。私たちの救いの岩に向かって 喜び叫ぼう。)、104:18(高い山は野やぎのため 岩は岩だぬきの隠れ場。)、105:41(主が岩を開かれると 水がほとばしり 川となって砂漠を流れた。)、114:8(神は 岩を水の潤う沢に変えられた。硬い岩を 水のあふれる泉に。)、137:9(幸いなことよ おまえの幼子たちを捕らえ 岩に打ちつける人は。)、141:6(彼らのさばき人たちが 岩の傍らに投げ落とされるとき 彼らは私のことばが どんなに優しいものだったかを知るでしょう。)、144:1(わが岩なる主が ほめたたえられますように。戦いのために私の手を 戦のために私の指を鍛えられる方が。)、イザヤ書17:10(あなたが救いの神を忘れ、あなたの力の岩を覚えていなかったからだ。それゆえ、あなたが好ましい植木を植え、他国のぶどうのつるをさしても、)、26:4(いつまでも主に信頼せよ。ヤハ、主は、とこしえの岩だから。)。
また、当然、マタイの福音書では7章の「岩の上に家を建てる」たとえが思い起こされるでしょう。7:24(ですから、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人にたとえることができます。25雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家を襲っても、家は倒れませんでした。岩の上に土台が据えられていたからです。)
[5] 「教会」というのも福音書ではこことマタイの18章17節にしか出てこない言葉で、建物のことではなく、集会、集まりのことです。ギリシャ語エクレシアは、旧約聖書のギリシャ語訳では、ヘブル語カーハルの訳語として、申命記31章30節(32章1節)、ヨシュア記8章35節(9章8節)、士師記21章8節、Ⅰ歴代誌29章1節に用いられます。
[6] 加藤常昭『マタイによる福音書 3』
[7] この場合の「天の御国」も、「天国」いわゆる、「死後に救われていく幸福の場所」ではなく、天の父が王として治めたもう王国のこと。つまり、ここまでも語られてきた、イエスの福音の一員であることです。
[8] ヨルダン川の源流 バニアス http://hashim.travel.coocan.jp/israel/israel019.htm
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