聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

「聖書って、おもしろい!」「ナルホド!」と思ってもらえたら、「しめた!」

問123「義と平和と喜びの神の国が来る」ローマ14章13-19節

2018-05-20 15:54:53 | ハイデルベルグ信仰問答講解

2018/5/20 ハ信仰問答123「義と平和と喜びの神の国が来る」ローマ14章13-19節

 

 主の祈りの第二の願いは

「御国が来ますように」

です。この御国とは「あなたの国」という意味で、

 「国」とはKingdom、王国

という言葉です。これは神が王として治めておられる国や、神の御支配そのもののことです。神が王様となって治めてくださる。もし「御国」を死んだ人がいく「天国」のようなものとして考えていると、

 「御国は早く来ませんように」

となるでしょう。ですから、安心してください。ここでの祈りは、神が王として治めてくださるという、もっと大胆で力強い願いです。そして、イエス・キリストの御生涯は、この「神の国」の教えで始まって、「神の国」の譬えや教えを繰り返し、弟子たちも「神の国の福音」を伝え続けたと聖書は記しています。では、神の国が来ますようにとは、ハイデルベルグ信仰問答はどうまとめてくれているでしょう。

問123 第二の願いは何ですか。 

答 「御国が来ますように」です。すなわち、あなたがすべてのすべてとなられる御国の完成に至るまで、わたしたちがいよいよあなたにお従いできるようにあなたの御言葉と聖霊とによって私たちを治めてください、あなたの教会を保ち進展させてください、あなたに逆らい立つ悪魔の業やあらゆる力、あなたの聖なる御言葉に反して考え出されるすべての悪しき企てを滅ぼしてください、ということです。

 この最初にはまず

「あなたがすべてのすべてとなられる御国の完成」

とあります。神が王としてすべてとなられる「完成」。これも大事なことです。先にも「神の国」とは「死んだ人が行く天国」とは違うと言いました。聖書は、この世界と死んだ人の天国という二階建ての考えではなく、あえて図にするなら、このような流れを考えているようです。

つまり、今の世界はやがて終わって、その後に「永遠の神の国」が始まるのです。それが始まるのは、この世界が終わってからです。それまでも死ぬ人はいますが、先に「永遠の神の国」に行くわけではありません。しかし勿論それまでに死んだ人に「パラダイス」という言い方で語られている過ごし方をするようです。詳しい事は分かりませんが、一つ確かなのは、主とともにいる、ということです。そして、最後にはこの人たちも全員がよみがえって、そこから一緒に神の国に迎え入れられます。こういう大きな流れがあります。二階建てではなくて、むしろ、世界は川の流れのようです。最後には海に流れ込むように、永遠の世界に向かっているのです。そしてだからこそ、そこに向かって、今も、神の国に生きるように、神を王とする生き方を始めさせてほしい。それがこの祈りの解説の第一で言われていたことです。

「私たちがいよいよあなたにお従い出来るように、あなたの御言葉と聖霊とによって、私たちを治めてください」。

 正直言って、私が願うのは

「神の国」

よりも

「私の国」

です。自分が王様のように威張っていたいのです。自分の考えや願いを通すような「神の国」であってほしいのです。聖書は、人間が神から離れて、神よりも自分が王になろうとして、神の元に帰ろうとしない人間の物語です。自分が永遠になろうとしては砕かれる人間たちが登場する物語です。人間は皆、裸の王様みたいなおかしな生き方をしてしまって懲りないのです。第一祈りと同様、第二の祈りでも

「私の国ではなく、あなたの国が来ますように。王は私ではなく、あなたなのです」

と祈るのです。もし、自分が王でいたい、自分の思い通りがいいという願いを握りしめたままなら、神の国はその人にとって決して幸せな場所とは思えないでしょう。永遠の御国なんて真っ平御免です。それが神から離れてしまった人間の罪の現実です。

 

 ですから、私たちは自分に都合の良い神の国が来ると思い込んだりせず、今ここで、御言葉と聖霊とによって治めていただくことを求めます。私たちの心も考えも、生き方も、聖書の御言葉を教えられながら、新しくされ、変えられていくことを求めるのです。また、見えない聖霊のお働きによって、私たちが御言葉を受け入れ、従えるよう、働いて下さることを切に願うのです。

 第二に

「あなたの教会を保ち、進展させてください」。

 教会は神の国の現れです。決してイコールではありません。神の国の完全な支配に比べると、教会は実に不完全で、未完成の集まりです。そしてその弱さや不完全さを通して、神の御支配が本当に恵み深く、あわれみによる御支配であることを現すのです。土の器を通して、謙虚に、神様の慰めを指差すのです。それを忘れて、私たちが神様の支配を振り翳し、暴君になってしまうことがあります。或いは、神を伝えることをすっかり忘れた形ばかりの教会になり、内輪だけの世界を造ってしまうこともよくあります。だから、私たちは祈るのです。

「神の国は…聖霊による義と平和と喜び」

 将来の天国ではなくて、この神の国の現れとして保たれ進展することを祈るのです。神の御支配を祈り、教会が教会として前進していくように、御言葉と御霊によって、教会を通して、神の恵みの御支配が現されていくようにと祈るのです。その教会が祈る事、祈る姿そのものが、神の国の証しです。

 最後に

「あなたに逆らい立つ悪魔の業やあらゆる力、あなたの聖なる御言葉に反して考え出されるすべての悪しき企てを滅ぼしてください」

がありました。この祈りが何と大胆で、驚くほどの内容でしょうか。確かにこの世界には、神の国に逆らう力が様々に働いています。日本の国の政治や経済は大きく揺れ動いています。また、世界にはアメリカのような大国があります。沢山の国々が拮抗しています。そうした世界の中で、私たちは

「神の国が来ますように」。

 天の父よ、あなたの国が来ますように、と祈ります。日本やアメリカ、イスラエルなどの国々を越えた神の国の到来を待ち望みます。国家や民族が争ったり、国境で排除したり、力で競い合ったりする中で、どの国も永遠に続く事は出来ない。ただ、神の国だけが永遠の国になる、と信じます。そして、その国の王は、恵みに満ちたイエス・キリストです。偉そうにする王ではなく、ご自分を献げてくださり、私たち小さな者を顧み、祝福してくださる王です。また、民族や生まれや文化の違いを超えて、どんな人をも受け入れ、一つの国として下さる王です。その国の到来を信じて、待ち望むのです。そして、今の私の生活、また私たちの交わりがそのような国を現すよう祈りなさいとイエスは教えてくださいました。イエスがそう仰った以上、王は今ここでの私たちの中に神の国をもたらしたいと願っておられるのです。信じて、祈りましょう。争ったり裁いたりせず、自分の支配やこの世の力よりも強く素晴らしい神の国を待ち望みましょう。その神の国が、やがて永遠の完成をするのです。

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