2021/11/28 第一サムエル記9、10章「サウル王さま」こども聖書㊳
今から3千年ほど昔、聖書の中の歴史で、はじめて王が立てられました。エジプトの奴隷生活から救い出されて、新しい生活を始めたイスラエルの民は、神を忘れて、他の国のように自分たちにも王様が欲しい、と言い出したのです。そこで、神は王をお与えになることになりました。その時に神が立てられたのが、キシュの子サウルでした。
2キシュには一人の息子がいて、その名をサウルといった。彼は美しい若者で、イスラエルの中で彼より美しい者はいなかった。彼は民のだれよりも、肩から上だけ高かった。
若いといっても、彼には既に青年の子供がいました。家族はあっても若々しく、イケメンで、民の中で一番の長身でした。神は、この人をイスラエルの最初の王として選ばれました。しかしサウルはそんなことは知りません。ただ、いなくなったロバを捜しに、出かけたのです。なかなか見つからず、やってきたのが、あの祭司サムエルの町でした。神は、ロバを捜すサウルたちの足を不思議にも、サムエルと出会うように導いておられました。そして、サムエルには、王となるサウルが来ることを告げていたのです。
九15主は、サウルが来る前の日に、サムエルの耳を開いて告げておられた。16「明日の今ごろ、わたしはある人をベニヤミンの地からあなたのところに遣わす。あなたはその人に油を注ぎ、わたしの民イスラエルの君主とせよ。彼はわたしの民をペリシテ人の手から救う。民の叫びがわたしに届き、わたしが自分の民に目を留めたからだ。」
民が、主を差し置いて「王様が欲しい」と言い出したのは、大変神様に失礼なわがままでした。神を拒むことでした。それでも神は、民を拒んで見捨てはしません。隣のペリシテ人からの攻撃に苦しめられ、叫んでいる声を聞いておられました。神はこの苦しみに目を留めてくださり、サウルを君主としてペリシテ人から救うと決められたのです。そして、ロバを捜してやってきたサウルと出会った時、主はサムエルに告げられました。
17サムエルがサウルを見るやいなや、主は彼に告げられた。「さあ、わたしがあなたに話した者だ。この者がわたしの民を支配するのだ。」
サウルが捜していたロバは、実はもう家で見つかっていました。しかしサウルは、王を捜していたサムエルに見つけられ、捜してもいなかった大きな役割を見つけたのです。しかし、そのことをサムエルから仄めかされた時、サウルは尻込みをします。
21…「私はベニヤミン人で、イスラエルの最も小さい部族の出ではありませんか。私の家族は、ベニヤミンの部族のどの家族よりも、取るに足りないものではありませんか。どうしてこのようなことを私に言われるのですか。」
自分の部族は最も小さく、自分の家は更に小さいのです。自分はただ、ロバを探しに来ただけです、そう遠慮しました。でも神は、サウルを選んでくださったのです。翌朝、
十1サムエルは油の壺を取ってサウルの頭に注ぎ、彼に口づけして言った。「主が、ご自分のゆずりの地と民を治める君主とするため、あなたに油を注がれたのではありませんか。
こう言って、この後のことを予告すると、すべては予告通りになりました。
9サウルがサムエルから去って行こうと背を向けたとき、神はサウルに新しい心を与えられた。これらすべてのしるしは、その日のうちに起こった。
サウルは、新しい心を与えられて、イスラエルを救う王となる準備を始めたのです。サムエルは、イスラエルの民を集めて、サウルを王として紹介する時、こう言います。
18…「イスラエルの神、主はこう言われる。『イスラエルをエジプトから連れ上り、あなたがたを、エジプトの手とあなたがたを圧迫していたすべての王国の手から救い出したのは、このわたしだ。』19しかし、あなたがたは今日、すべてのわざわいと苦しみからあなたがたを救ってくださる、あなたがたの神を退けて、『いや、私たちの上に王を立ててください』と言った。…」
こうは言いながらも、サムエルは神が立てられた王としてサウルを紹介します。
24サムエルは民全体に言った。「主がお選びになったこの人を見なさい。民全体のうちに、彼のような者はいない。」民はみな、大声で叫んで「王様万歳」と言った。
こうしてサウル王が誕生しました。実はこの後、サウルはせっかく王になったのに、人の言葉や評判を恐れて、神に従いません。背の高いイケメンのサウルは、心の中には、自分は小さい、出身部族も最少で、失敗するんじゃないかと、不安を抱えていました。とても悲しい晩年を迎えます。
でも、そのサウルを主は王にしました。その神の選びに、サウルは自信を持てば良かったのです。その恵みを、人々も喜んで良かったのです。
26サウルもギブアの自分の家へ帰って行った。神に心を動かされた勇者たちは、彼について行った。27しかし、よこしまな者たちは、「こいつがどうしてわれわれを救えるのか」と言って軽蔑し、彼に贈り物を持ってこなかった。しかし彼は黙っていた。
ここでは、サウルについて行った人が「神に心を動かされた勇者たち」、サウルを軽蔑して悪口を叩いた人は「邪な者たち」と言われます。後に失脚するにしろ、この最初の所では、そんな不吉な予兆はありません。王を求めた動機が悪くても、神は人々を愛してくださり、サウルを王として選んでくださって、民を治めようとされたのですから。
私たちがロバや小さなものを捜していて、自分のことを小さい、つまらないと思っていても、神様は私たちを捜して、私たちに大切な仕事を任せてくださいます。人があなたのことを、背が高いとか低いとか、誉めたり、けなしたり、何を言おうとも、私たちの内側を神様はご覧になって、私たちを愛し、大切な仕事を果たさせてくださいます。
そして、有り難い事に、私たちは王になろう、救い主になろうとする必要はありません。サウルが失敗し、その後の人間の王様も決して完璧な王にはなれませんでした。それは本当の王であるキリストがやがて来られるからでした。そして、キリストとしてイエスが来られました。最後は十字架にかけられましたが、そこから甦ったキリストこそ、私たちの王であり、救い主です。私たちが自分を小さく、弱いと思う時も、人の言葉に一喜一憂して不安になる時も、イエスが私を治めてくださっています。今、ロバならぬ何かを捜している道でも、その道にも主の導きがあることを信じるのです。
「王なる主よ。サウルを通して、私たちを拒まず、救いたもうあなたの御支配を覚えて、ありがとうございます。私たちが捜しているよりも、遙かに大きく素晴らしい、思いがけないことを、あなたが備えてくださっています。いじけた心から救い出し、勇気と信頼をもって生きる恵みを与えて、あなたの大きな御支配の一部を担わせてください」
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