2021/3/28 創世記3章1-7節「へびのうそ」こども聖書⑨
聖書のお話しを一つずつ読んでいます。先週は、神様に作られた最初の人、アダムとエバが、蛇の嘘を信じて、神様を疑って、神様との約束を破ったために、エデンの園から追い出されたお話しでした。エデンの園を追放された人は、その後、どんな歩みをしていったのでしょうか。今日はその最初の子どもたちのお話しです。
アダムとエバには、カインとアベルという二人の息子が生まれました。アベルは羊を飼い、カインは畑で働く人になりました。ある日、二人は神様に献げ物をしました。アベルは子羊を、カインは畑でとれた物を持ってきました。神様はアベルの献げ物を喜ばれ、そのことでカインは酷く怒りました。「なぜあなたは怒っているのか。あなたが正しいことをしたのならば、祝福を受けるであろう」と神様は言われました。しかしカインには、神様の言葉が耳に入りません。アベルを野に連れ出して殺してしまいました。神様は再び悲しまれました。「これからはおまえが畑を耕しても何も育たない。お前は地のさすらい人となる」と神様はカインに仰いました。
さあ、ここでは悲しいことに、最初の死が起きました。エデンの園で
「この実を食べてはならない。食べる時あなたがたは必ず死ぬ」
と言われていた木の実を食べたとき、すぐに二人が死ぬことはありませんでした。しかし、人はいつか必ず死ぬ者となってしまいました。ところが、その最初の死は、アダムでもエバでもなく、二人の子ども、カインの死が、最初の死だったのです。しかも、それは病気や事故ではありません。アベルの兄、カインが殺した殺人でした。アダムとエバは、自分たちがいつか死ぬことは考えていたでしょう。けれども、自分たちではなく、自分の子どもが、もう一人の息子によって殺される、とは思ってもいなかったでしょう。それは、自分たちの死よりも辛いこと、自分たちの心が死んでしまうような出来事だったと思うのです。
今でも、殺人事件のほとんどは、親族とか面識のある間柄で起きることが殆どです。知らない人にも注意することは必要ですが、知っている同士がこじれてしまうことの方が怖いのです。カインがアベルを憎んだのは、アベルが悪かったからではありません。二人とも神様へのささげ物を持ってきたのです。神様はアベルの献げた羊を受け入れてくださいました。聖書にはアベルの献げたのが、最初に生まれた子どもの、よく太った美味しそうな羊だったと書かれています。そこには、アベルの神様に対する深い礼拝の心が現れています。カインのささげ物は何も書かれていません。神様が、アベルの心のこもったささげ物に目を留めて、カインのささげ物には目を留めなかったとあります。カインはその時、激しく怒り、顔を伏せました。元々カインは、神様に心をこめたささげ物を持ってこなかったのですから、怒る筋合いはありません。あるいは、その時になってハッとして、もう一度改めて、自分の一番良い収穫を取りに戻っても良かったのです。けれどもアベルは、激しく怒り、神様の言葉にも耳を貸さず、神様に怒りをぶつけることは出来ないので、横にいたアベルを憎んで、腹立ちをぶつけて、殺してしまいました。アベルが悪かったのではなく、カインの八つ当たり、とばっちりでした。
神はカインに言われていました。
「なぜ、あなたは怒っているのか。なぜ顔を伏せているのか。もしあなたが良いことをしているのなら、受け入れられる。しかし、もし良いことをしていないのであれば、戸口で罪が待ち伏せている。罪はあなたを恋い慕うが、あなたはそれを治めなければならない。」
怒ったことを神は責めていません。それよりも「なぜ、あなたは怒っているのか」と言われました。私たちの心に、怒りや妬みが起きたとき、私たちは自分の心に注意する必要があります。罪が、私たちの心に入り込んできて、人を殺したり、自分の人生を台無しにしたり、取り返しのつかない過ちを犯させることがあるからです。神様が「なぜ、あなたは怒っているのか」と問われた時、カインが「どうして自分は怒っているのだろう」と考えて、自分がなぜ怒っているのかを神様に申し上げたら、カインは自分の心を治めることが出来たでしょう。けれども、カインは、怒ったまま、顔を伏せるだけでした。自分が神様に、一番良いものを持ってこなかったのだ。アベルは、一番良い物を持ってきたのだから、神様が目を留めてくださったのは当然だ、怒るのは筋違いだ、そう思うからこそ、アベルは顔を伏せたまま、神様に応えようとしませんでした。そして、カインはアベルを殺してしまいます。決して、そんなことをしても何にもならないのに、心を閉ざしてしまうのです。
アダムとエバの子孫である私たちも、カインのように怒り、妬み、過ちを犯しかねない者です。だからこそ、神様は私たちにいつも呼びかけてくださっています。私たちは、自分の心に悪い思いが入ってきたと気づいたなら、それを、隠したり放っておいたりせず、神様の元に持って行きましょう。私たちは、自分が間違っていた時、それを認めるのが恥ずかしくて、愚かなことに、誰かのせいにしたり、身近な人を恨んだりしてしまうことがあります。でも、神様はすべてをご存じです。私たちが間違っていたり、神様を忘れたり、怒ったり、自分を恥ずかしいと思ったりしても、神様は私たちを決して見捨てたり、嫌いになったりはしません。神様は私たちを大切に思ってくださり、間違いをただせるように、怒りや妬みには流されないように、助けてくださいます。神様が私のことを、すべてご存じで、愛してくださり、助けて、祝福してくださる。そこに立ち戻ることが、何よりも大事です。そして、神様はそうしなさいと、呼びかけ続けてくださいます。だからこの時も、カインを追いかけて、カインに語りかけ、チャンスを与えて下さったのです。それでもカインは、その神様に心から帰ろうとはしませんでしたが。
家族や兄弟、とても近い関係は、近いだけに一番ぶつかる関係です。一番、腹も立ち、一番分かってほしい関係です。だけど、家族だって自分の思い通りにはなりません。お互いに、好みや考えや願いの違いがあります。嬉しい事も、腹が立つことも違います。家族でも、気持ちはそれぞれのものです。お互いの気持ちを、我慢せず、押しつけたりせず、お互いに大事にしあう。そうしないと、家族が苦しい場になってしまうことを、カインとアベルの出来事から、深く心に刻まされます。
「神様、あなたは私たちの怒りや妬みや間違いもよく知っておられます。私たちがあなたに自分の問題を持って行くことが出来ることを感謝します。あなたではなく、身近な人に自分の気持ちをぶつけてしまう時、私たちをそこから救い出してください。そして、お互いを本当に大事に、あなたを心から礼拝する歩みへと、どうぞ助け導いてください」
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