聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

「聖書って、おもしろい!」「ナルホド!」と思ってもらえたら、「しめた!」

2020/2/2 ローマ3:19~24「神の律法はプレゼント」ニュー・シティ・カテキズム15

2020-02-02 16:39:04 | ニュー・シティ・カテキズム
2020/2/2 ローマ3:19~24「神の律法はプレゼント」ニュー・シティ・カテキズム15

 今日の説教題「神の律法はプレゼント」。神は人間に、大事な律法(戒め、命令)を与えてくださいました。その律法の中心は、
「神を愛し、隣人を自分自身のように愛する」
ことです。私たちが神を愛すること。そして、隣人を愛すること。神は愛のお方ですから、人間を創られたのも、愛するためでした。私たちは神を愛し、隣人を自分のように愛するために創られたのです。嬉しいことです。律法は、その神の愛を私たちに命じます。しかし、神を愛し、隣人を愛する事はとても難しいことです。いいえむしろ、律法を守ることが出来る人はいない。一番肝心の、神との関係を人間が壊した時以来、人は神の律法を守ることは出来なくなって、律法という言葉自体嬉しくありません。では、どうして神は私たちに律法を下さっているのでしょうか。誰も律法を守れないのであれば、律法を与える必要なんてないではありませんか、というのが今日のお話です。
第十五問 誰も神の律法を守れないのであれば、律法の目的は何ですか?
答 律法の目的は、私たちが神の聖なる御性質とみこころを知り、私たちの心の罪深さの本質と不服従を知り、それによって、私たちには、救い主が必要であるということを知ることです。また律法は、私たちが救い主の御前にふさわしい人生を生きることを教え、勧めます。
 ここには、律法の目的が4つあげられています。つまり、神が私たちに律法を下さったのには4つの目的がある、ということです。
 第一は、私たちが神の聖なる御性質と御心を知ること。
 第二は、私たちの心の罪深さの本質と不服従を知ること。
第三は、私たちには救い主が必要であるということを知ること。
第四に、私たちが救い主の御前にふさわしい人生を生きる事を教え、勧めること。
 この四つです。
 第一の「神の聖なる御性質と御心を知ること」は、神が聖なる愛の方だと言うことは、律法で分かる、ということです。人間が律法を守れないから、と言って、律法もハードルを下げて、「他の神は二人までOK。嫌な人は殺しても良い。姦淫も盗みも嘘も少しなら許す」としたらどうでしょう? 私たちはきっと、神のことを小さく引き下げて考えないでしょうか。神は聖なるお方です。そして、私たちの心の奥底にまで、一切の妥協をせずに、聖なる生き方を求めるお方です。私たちは、律法を通して、神が聖なるお方であり、神の願いやお考え、ご計画が完全に聖いことを知るのです。それが律法の第一の目的です。
 次の第2以下は、先のローマ人への手紙3章の言葉を引きながら見ていきましょう。
ローマ3:19私たちは知っています。律法が言うことはみな、律法の下にある者たちに対して語られているのです。それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためです。20なぜなら、人はだれも、律法を行うことによっては神の前に義と認められないからです。律法を通して生じるのは罪の意識です。
 ここには、律法が私たちの心に罪の意識を生じさせるとあります。律法を通じて、自分の罪を知り、神が求めている高い律法の前に、自分の罪が分かるのです。律法がなければ、私たちはいい加減に思うでしょう。けれども神の律法を通して、私たちは自分が紛れもない罪人だと分かります。「人と比べて」とか「みんなもやっている」とか言い訳は出来ないし、自分の考えの間違いに気づかされます。律法は、私たちに罪の意識を生じさせてくれるのです。それも律法の大事な目的です。しかしそれでは終わりません。
 第3に、律法は私たちに救い主が必要であることを教えてくれます。罪の断罪では終わらず、その罪からの救い主がいてくださる! これも律法の目的の一つです。
3:21しかし今や、律法とは関わりなく、律法と預言者たちの書によって証しされて、神の義が示されました。22すなわち、イエス・キリストを信じることによって、信じるすべての人に与えられる神の義です。
 律法とは関わりなく、つまり「律法を守ったかどうかに関係なく」、律法と預言者たちの書、つまり旧約聖書は神の義を証ししています。「人間が正しく生きよ」という要求ではなく、「イエス・キリストを信じることによって、信じるすべての人に与えられる神の義」が神の律法の証しなのです。人の罪から救う救い主がおられる。十戒を与えた神は、人を奴隷状態から救い出してくださった方。私たちを罪からも救い出してくださるお方。神の言葉は、救い主を証ししています。そのことを教え、私たちを救い主へと向かわせてくれるのが律法です。
 最後に律法はその救い主の御前にふさわしい人生を生きることを教え、勧めてくれます。律法が示すのは、救われた者としての生き方が、どのような歩みか、どのように生きる事が私たちの道なのかを丁寧に教えてくれます。
3:31 それでは、私たちは信仰によって律法を無効にすることになるのでしょうか。決してそんなことはありません。むしろ、律法を確立することになります。
 救い主イエスを信じたら、もう律法は要らない、のではありません。むしろ、私たちが律法を守れないことを認めて、救い主イエスを信じる時、初めて律法の道に踏み出すのです。律法は、神との関係が壊れたままでは、守りようがありません。救い主イエスによって神の子どもとされる時、イエスは私たちの心に律法を教えてくれます。律法が示す神を愛し隣人を愛する生き方を、私たちに教え、励ましてくださるのです。
 多くの物語で光は大事な役割を果たします。光が照る時、真実の象徴です。闇の中の悪の正体を暴き、戦いが始まり、希望が出て来ます。弱さや辛い事実を見ることもありますが、光によって人が変わるのです。聖書の書かれたギリシャ語で、光をフォースと言います。フォースとは力であり光のこと。そして人は光の物語に憧れています。
 律法は光です。私たちに罪を示します。自分の罪を示されるのは痛いけれども、そこから闇と決別して、勝利が始まるのです。そして、そこに私を救う方、救い主であるイエスが見えます。そして律法に照らされて、立ち上がって、進むべき道に歩み出すことが出来ます。それはフォース、光であり、神からの素晴らしいプレゼントです。神が私たちを照らすために下さった光の言葉、聖書を毎日読んで、光の力を頂きましょう。

「すべての良いものを与えてくださる神よ、あなたの律法は正義を現します。確かに律法は自分自身の罪を責めます。しかし、律法によって私たちはあなたの聖さと偉大さを知り、ひとり子イエスの完全な従順を知ることができました。私たちは完全には程遠い者です。どうか、あなたの律法にいつも感謝と賛美を捧げ、私たちに救い主が与えられていることを喜ぶことが出来ますように。アーメン」
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