結婚式から帰り部屋にてPCを起動し、清志郎の死を知った。
シーボーにメールをした。
俺にとっての清志郎は何だったのだろう。
それは小学生の時にテレビで観た記憶が始まりか。
「原発いらない」と歌っていたな。
父ちゃんが「風呂の中で屁をしたような唄い方でしゃあしい」と言ったっけな。
俗に言う「衝撃」は受けなかったがそれから俺の中に当たり前に
彼は凄い人の代表であった。
17の時、バイト先のおっちゃんが「俺の母校の学際に清志郎が来るからスタッフで手伝わないか、あわせてやるよ」と提案があり学校を休み行ったな。
いちばん前でお客さんを制止する手伝いだったな。
あれは「2・3S」だった。
よくある話だが、楽屋などには入れてもらえなかったが。
18の時、いざ上京する俺に従兄弟が手紙をくれた。
たしかリョウタだったと思うが、
「きよしろうのようなロックンローラーになって下さい」と書いてあった。
俺のみならず、
親戚一同、彼は無条件に「ロックンローラー」だった。
アルバムを買い揃えるほどのファンではなかった。
が、昔深夜やっていた「恋のバカンス」の主題歌になっていた「口笛」
という曲が大好きでアルバム「MAGIC」をかった。
シングル集だな。
中学生だったあの頃を思い出す「デイドリームビリーバー」も入っている。
俺が唯一持っている清志郎のアルバムだ。
ハートドロップスをやっていた頃、ドラムの息子ちゃんが三宅さんと
親交があったので清志郎のライブによく誘ってもらった。
ほら貝を吹いていたな。
俺たちのデモテープをもって打ち上げに参加した。
勿論、清志郎に聴いてもらうためだ。
中日の帽子をかぶって彼は現れた。
俺たちは立ち尽くし、話しかけることもできず、その場を去ったな。
色々な各界著名人と接してきたが、話しかけることすらできなかったのは
今のところ彼だけだ。
音楽的に影響はあまり受けていないと思う。
人間としての彼が好きであった。
熱狂的に好きな人々もいるだろうし、またその逆もいるだろうが、
やはり人が死ぬと言う事はとんでもないインパクトだ。
これは俺の文章なので主観である(当たり前だが)。
俺の周りで死んでしまった人々とリンクし悲しい気持ちになるのだ。
俺は俺なりに死に対する答えを出す。
そして記録し前に進むのだ。
記録は具体的なモンじゃなくてもいい。
心の中にそっととっておこう。
イースタンユースの吉野さんがそう言っていた。
明後日はライブだ。
俺は俺なりに唄い、それはロックンロールだ。
マサシの死後、俺は「ロックンロール」っちゅう言葉が心底嫌いになった。
それは表面的であり原宿のリーゼント集団の憧れのように聞えてならなかった。
ただ、今思うことは彼も、彼も、生きる全てを集約しこの言葉に至ったのかな
などと思う。
言い方は自由だ。
「人生を生きる」それすなわち「当たり前の事」
口笛
あの人なら きっと 笑うさ
ぼくの口笛きいたら また ふき出すのさ
信じてる人 よく笑う人 きこえるだろ ほら
寒い季節は すぐ 終るさ
ぼくの口笛 北風に消されても
信じてる人 よく笑う人 変わらないさ あぁ
ぼくの友達を 理解できる人 会わせたい人
あの人なら また きっと 笑うさ
奴の口笛きいたら 顔を背けたりしないさ
信じてる人 よくわかる人 冗談さ あぁ
信じてる人 よく笑う人 可愛いあのひと
シーボーにメールをした。
俺にとっての清志郎は何だったのだろう。
それは小学生の時にテレビで観た記憶が始まりか。
「原発いらない」と歌っていたな。
父ちゃんが「風呂の中で屁をしたような唄い方でしゃあしい」と言ったっけな。
俗に言う「衝撃」は受けなかったがそれから俺の中に当たり前に
彼は凄い人の代表であった。
17の時、バイト先のおっちゃんが「俺の母校の学際に清志郎が来るからスタッフで手伝わないか、あわせてやるよ」と提案があり学校を休み行ったな。
いちばん前でお客さんを制止する手伝いだったな。
あれは「2・3S」だった。
よくある話だが、楽屋などには入れてもらえなかったが。
18の時、いざ上京する俺に従兄弟が手紙をくれた。
たしかリョウタだったと思うが、
「きよしろうのようなロックンローラーになって下さい」と書いてあった。
俺のみならず、
親戚一同、彼は無条件に「ロックンローラー」だった。
アルバムを買い揃えるほどのファンではなかった。
が、昔深夜やっていた「恋のバカンス」の主題歌になっていた「口笛」
という曲が大好きでアルバム「MAGIC」をかった。
シングル集だな。
中学生だったあの頃を思い出す「デイドリームビリーバー」も入っている。
俺が唯一持っている清志郎のアルバムだ。
ハートドロップスをやっていた頃、ドラムの息子ちゃんが三宅さんと
親交があったので清志郎のライブによく誘ってもらった。
ほら貝を吹いていたな。
俺たちのデモテープをもって打ち上げに参加した。
勿論、清志郎に聴いてもらうためだ。
中日の帽子をかぶって彼は現れた。
俺たちは立ち尽くし、話しかけることもできず、その場を去ったな。
色々な各界著名人と接してきたが、話しかけることすらできなかったのは
今のところ彼だけだ。
音楽的に影響はあまり受けていないと思う。
人間としての彼が好きであった。
熱狂的に好きな人々もいるだろうし、またその逆もいるだろうが、
やはり人が死ぬと言う事はとんでもないインパクトだ。
これは俺の文章なので主観である(当たり前だが)。
俺の周りで死んでしまった人々とリンクし悲しい気持ちになるのだ。
俺は俺なりに死に対する答えを出す。
そして記録し前に進むのだ。
記録は具体的なモンじゃなくてもいい。
心の中にそっととっておこう。
イースタンユースの吉野さんがそう言っていた。
明後日はライブだ。
俺は俺なりに唄い、それはロックンロールだ。
マサシの死後、俺は「ロックンロール」っちゅう言葉が心底嫌いになった。
それは表面的であり原宿のリーゼント集団の憧れのように聞えてならなかった。
ただ、今思うことは彼も、彼も、生きる全てを集約しこの言葉に至ったのかな
などと思う。
言い方は自由だ。
「人生を生きる」それすなわち「当たり前の事」
口笛
あの人なら きっと 笑うさ
ぼくの口笛きいたら また ふき出すのさ
信じてる人 よく笑う人 きこえるだろ ほら
寒い季節は すぐ 終るさ
ぼくの口笛 北風に消されても
信じてる人 よく笑う人 変わらないさ あぁ
ぼくの友達を 理解できる人 会わせたい人
あの人なら また きっと 笑うさ
奴の口笛きいたら 顔を背けたりしないさ
信じてる人 よくわかる人 冗談さ あぁ
信じてる人 よく笑う人 可愛いあのひと