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日常の中に俺があり、俺の中に日常がある。それは矛盾の中にひそむ真実である。真実を記録する。それは事実になる。

救いの手紙

2009年05月14日 23時19分20秒 | Weblog
俺たちはある事で傷つく。
些細な事で傷つく。些細では無い事でも傷つく。
その逆もある。
そして当人にとって重大な傷は他人がなんと言おうと
心の中にズーととどまるのだ。

俺の中に存在した傷はある男のメールにより救われた。
救おうと書いた文章でないにしろ、
それは確実に「救いの手紙」だった。

正直明るい内容ではなかった。
が、俺は救われたのだ。

傷を忘れる事はできない。
ただ、それをある意味自分に都合の良い解釈にできるのは
実は自分ではなく他人であるのかもしれん。
それは自分の中にある根本にある軸のような物に
基本「偽りなし」と自信があってこその「他人の救い」かもしれん。
ならば自分か。
矛盾か。いや円になって繋がっているのか。

結論は「共感」であった。

共感したいな。
言葉を交わす事以外で共感は不可能かな。
音楽があるじゃないか。
と自分に言い聞かせてみる。

目と目があった瞬間に共感は不可能かな。
恋みたいなものか。
恋は遠い日の花火ではない。

想像は自由だ。

寂しいので共感するのではない。
直感的に根本に軸があり、そこが同じである前提での共感だ。
なんかよくわからん事になってきたのでこの話は終わりだ。

ビールをもう一本頂こう。

現在バイトちゃんにて6連勤の4日が終了した。
意味がわからんぐらいにドタバタしている。
残業の日々であるが以前ほど疲れない。
救われた俺は何処までもタフガイである。

明日は「今とウ」の練習だ。
明日は残業せん。

今は何でもできる気がするのだ。
俺の歌で誰かが救われればそれで良い。