■【きょうの人】 0122 ■ 黙阿弥 歌舞伎狂言作者 ■ 大塩 平八郎 大塩平八郎の乱の首謀者
独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。
そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。
■ 黙阿弥 歌舞伎狂言作者
河竹黙阿弥(かわたけ もくあみ)
文化13年2月3日(1816年3月1日) - 明治26年(1893年)1月22日)
旧字体では「默阿彌」と印しました。江戸時代に日本橋で生まれた歌舞伎狂言作者です。
江戸・日本橋の裕福な商家吉村勘兵衛の二男に生まれましたが、若い頃から読本、芝居の台本、川柳や狂歌の創作にふけるようになりました。それが高じて、14歳で親から勘当されてしまうほどでした。
貸本屋の手代となって生計をたてるようになるのですが、仕事はそっちのけで朝から晩まで読書三昧の日々を送ったのですが、これが将来の糧となりました。
やがて「芳芳」の雅号で狂歌や俳句、舞踊などで頭角をあらわすようになり、とうとう貸本屋を辞めて、芝宇田川町の踊りの師匠お紋(歌舞伎役者二代目澤村四郎五郎の娘)の紹介で、五代目鶴屋南北の門下となりました。
抜群の記憶力の持ち主で、『勧進帳』などは若い頃から読み尽くしているので暗記して難役・弁慶をつとめる七代目市川團十郎を後見する程にまで成りました。二代目 河竹 新七(かわたけ しんしち)を襲名し立作者となりました。
幕末には市川小團次との提携により『三人吉三廓初買』(三人吉三)を始め名作を次々に発表するようになり、ついには歌舞伎狂言作者の売れっ子作家となりました。
明治26年(1893年)1月22日に、77才で歿しました。
■ 大塩 平八郎 大塩平八郎の乱の首謀者
おおしお へいはちろう
寛政5年1月22日(1793年3月4日)-天保8年3月27日(1837年5月1日)
江戸時代後期の儒学者、大坂町奉行組与力で、大塩平八郎の乱を起こしました。
通称は、平八郎、諱は正高、のち後素(こうそ)、字は子起、号は中斎です。
揚羽の家紋を持ちます大塩家は、今川氏の末流で、代々大坂東町奉行組与力を務めていました。平八郎は初代の大塩六兵衛成一から数えて8代目にあたります。
大塩平八郎の欄を蜂起する前年の天保7年(1836年)秋、米価高などの影響で、甲斐国「天保騒動(郡内騒動)」や、三河国挙母藩の「加茂一揆」などの大騒動が各地で発生しました。
各地で不穏な動きが出て、砲術を中心とする軍事訓練が開始されました。
大潮は、蔵書を処分するなどして私財をなげうって、救済活動を行います。しかし、もはや武装蜂起によって奉行らを討ち、豪商を焼き討ちして灸をすえる以外に根本的解決は望めないと考えました。
天保8年に門人、民衆と共に蜂起します。大塩平八郎の乱です。腐敗した役人にも目をつぶることができなかったのでしょう。
しかし、同心の門人数人の密告によって事前に大坂町奉行所の知るところとなり、蜂起は不発に終わりました。
その後、一旦は、逃げ延びましたが、告発により、再び窮地に追いやられ短刀と火薬を用いて自決することになりました。享年45でした。
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【 注 】
【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。