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■【きょうの人】 1218 柳沢 吉保 綱吉に重用されて権勢を振るう

2020-12-18 06:33:00 | 【話材】 きょうの人12月

■【きょうの人】 1218 柳沢 吉保 綱吉に重用されて権勢を振るう

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

■ 柳沢 吉保 綱吉に重用されて権勢を振るう


 やなぎさわ よしやす、正字体:柳澤吉保、正仮名遣:やなぎさはよしやす
 万治元年12月18日(1659年1月10日)-正徳4年11月2日(1714年12月8日)


 江戸時代前期の幕府側用人・譜代大名で、第5代将軍徳川綱吉も重用され、元禄時代には大老格として幕政を主導しました。

 柳沢氏は、清和源氏の流れを引く、甲斐源氏武田氏一門の末裔を称する、甲斐国北西部の在郷武士団である武川衆に属しました。

 武田氏の滅亡後、武田遺臣の多くが徳川家康の家臣団に組み込まれ、柳沢氏は吉保の祖父にあたる信俊が、家康に仕官しました。

 寛文4年(1664年)12月18日、館林藩主・徳川綱吉に初めて謁見し、これが契機で後に大役を担うことに繋がります。

 世の中で注目される人は、良きにつけ、悪しきにつけ、チャンスをものにするのが上手と言えます。

 コナン度役などを経験した後、川越城を拝領するなど頭角を現し、常盤橋内の隣地に屋敷を拝領しました。

 翌元禄8年4月21日に駒込染井村の前田綱紀旧邸を拝領し、後にこれが六義園となります。柳澤が、なぜ、遠いかが後に名を残すのか、お恥ずかしながら知りませんでしたが、これで納得できました。

 綱吉から徳川将軍家の菩提寺である寛永寺(東京都台東区上野桜木)の根本中堂造営の姪を受け、成功させます。

 それらの功績が認められ、元禄14年(1701年)将軍綱吉から松平姓および「吉」の偏諱を与えられ、松平吉保と名乗るようになりました。

 犬公方の手伝いをしたり、忠臣蔵の判断に大きく関与したり、桂昌院の官位などでは裏工作をしたりと、綱吉寄りの政策を続けました。

 綱吉死後は、次第にその陰が薄れ、隠居後は、江戸本駒込(東京都文京区本駒込6丁目)で過ごし、綱吉がたびたび訪れた六義園の造営などを行いました。

 

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

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【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。


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