Tycho Brahe
1546年12月14日-1601年10月24日
デンマークで最も有力な貴族家系の後継者として生まれたたデンマークの貴族ですが、天文学者・占星術師・錬金術師として知られ、作家でもありました。
■【成功企業・元気な会社・頑張っている社長】 030 子供の頃からの自動車好きがEV普及にまっしぐら 8307-A829
経営コンサルタントを40年余やってきた経験から、すこしでも皆様のご参考になればとお届けしています。
【成功企業・元気な会社・頑張っている社長】は、皆様から寄せられたり、私が支援したり、見聞したりした企業の事例を紹介していますが、お陰様で、毎回拍手をいただいています。
また、あなたのクライアント・顧問先やお知り合いの会社で、ここで紹介したい企業・団体等がありましたら、是非ご連絡ください。
■ 子供の頃からの自動車好きがEV普及にまっしぐら 8307-A829
「車が大好きで、富士スピードウェイも走っていた。1995年にEV(電気自動車)を知り、なんと素晴らしい技術だとゾクゾクしたことを今でも覚えている」。
こう振り返るのは、EVのリース、レンタル、コンサルティングをはじめ各種EV関連事業をサービスメニューに掲げるLTE(横浜市)の堤健一社長。
堤社長は今から20数年前にEVと出会い、それが転機となって、自称“ハチャメチャな人生”を選択することになる。
同社は2016年3月、堤社長が立ち上げた。大手情報システム会社で3次元CADの開発などに携わっていた堤氏は、EVとの遭遇を天命と捉え、1999年、EV×観光開発を事業目的に脱サラ・起業する。
「3年で資金を使い切ってお手上げ」(堤社長)となった時、縁あって、慶應義塾大学EV研究室の研究員の職を得る。
続いて、大手自動車メーカーでEV開発などに10年以上取り組んだ後、「心技体ともガタが来ていない今のうちに…」との思いを、一緒にEVを広めようとの仲間の声が後押しして、再度起業に挑戦し、今日に至る。
子供の頃からの自動車好きの堤社長は、アマチュアレースに出場し、イタリア車を乗り継いだりもした。
しかし、「排ガス出し放題で良いはずないよなぁ」と、後ろめたさを少なからず感じていた。
そんな中EVを知り、「これだ!」と直感。以後、EVと二人三脚の人生を歩み、その一里塚となるLTEを設立した。
堤社長は「市販の4輪EVのリース、レンタルは大手に及ぶべくもなく数台程度のレベル。
コンサルは少しずつ増え始めていて、とくに電動車両によるレースが大きく浮上している」と、船出間もない同社の手ごたえを語る。
浮上したレースとは、年内にも始まる見込みの、世界各地を転戦するEVレース・シリーズのことで、堤社長は日本企業の協賛を得て日本人ドライバーが活躍する舞台を整えようとしている。
レースのほか「宅配用電動アシスト自転車に力を入れていて、この分野は期待度が高い」(堤社長)。
さらに、電動リバーストライク(前2輪・後1輪の3輪バイク)や電動バギーも企画しているという。
20年以上、EVと向き合ってきた堤社長は、その知見を生かしEV関連の講演会などでも活躍中。
講演では「ドイツのディーゼル車不正ソフト事件を機に世界のEVシフトが進んだ」「内燃機関にも未来があり、“隠れた本命”は天然ガス車だ」などと持論を開陳している。
社名のLTEは、通信規格のLTEをもじったもの。
時代は3G(我慢、犠牲、限界)からLove、Thank、EnjoyのLTEへ…。愛と感謝の気持ちを忘れずに、楽しみながらEV普及にまっしぐら、と意気軒昂な堤社長およびLTEである。
出典: e-中小企業ネットマガジン掲載承認規定に基づき作成
■【きょうの人】 1023 醍醐天皇 菅原道真を太宰府に左遷 ■ 西有 穆山 曹洞宗の僧侶、総持寺貫首
独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。
そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。
■ 醍醐天皇 菅原道真を太宰府に左遷
だいごてんのう
885年2月6日〈元慶9年1月18日〉- 930年10月23日〈延長8年9月29日〉
日本の第60代天皇(在位:897年8月4日〈寛平9年7月3日〉- 930年10月16日〈延長8年9月22日〉で、諱は、維城(これざね)、のちに敦仁(あつぎみ・あつひと)とも呼ばれました。
臣籍の身分として生まれた唯一の天皇で、はじめ源維城といいました。のち父の即位とともに皇族に列し、親王宣下ののちに敦仁親王に改めました。
宇多天皇の第一皇子で、母は内大臣藤原高藤の女藤原胤子です。養母は、藤原温子(関白太政大臣基経の女)です。
立太子即位の時に、父宇多天皇から剣を下賜され、現在にも続く壺切御剣の始まりといわれています。
父帝の訓示「寛平御遺誡」を受けて藤原時平・菅原道真を左右大臣とし、政務を任せました。
時平の讒言を容れて菅原道真を太宰府・大宰員外帥に左遷した昌泰の変は、聖代の瑕と評されることになりました。近年では、この事件は天皇と時平による宇多上皇の政治力排除のための行動だったと考えられています。
天皇は和歌の振興に力を入れ、延喜5年(905年)には『古今和歌集』の撰進を紀貫之らに命じています。
33年間にわたって記した宸記『延喜御記』全20巻は早くから散逸して現存していませんが、諸書に引用された逸文を次の村上天皇のそれと併せた『延喜天暦御記抄』として伝わっています。
天皇は、はじめ中宮藤原穏子との間に儲けた長子保明親王を東宮とし、その御息所に時平の娘・仁善子を入れていましたが、延喜9年(909年)に時平が死に、2年後には親王も21歳で早世してしまいます。
しかし延長8年6月(930年7月)に、清涼殿落雷事件が起きますと、これ以後体調を崩し、9月22日にはいよいよ病が篤く、皇太子寛明親王(保明親王の同母弟)に譲位しました。
■ 西有 穆山 曹洞宗の僧侶、総持寺独住三世貫首
にしあり ぼくざん
俗名:笹本万吉
文政4年10月23日(1821年11月17日)-明治43年(1910年)12月4日
陸奥国(青森県)八戸出身の日本の曹洞宗の僧侶で、横浜市總持寺独住3世貫首でもあります。法名は瑾英(きんえい)、直心浄国禅師で、俗名は、笹本万吉です。
天保3年(1832年)に地元の長竜寺で出家し、金栄と名乗っていました。天保10年(1839年)に、仙台に移転し、天保12年(1841年)に江戸に出て、吉祥寺旃檀林学寮に入りました。浅草本然寺の泰禅の後を継ぎ、牛込鳳林寺住職となり、小田原海蔵寺月潭全竜の下で修行しました。
瑾英に改名し、1861年、諸嶽奕堂会下の龍海院で修行中に大悟を得て、奕堂より印可を受けました。
宗参寺・鳳仙寺を経て、大教院に呼ばれて中講義・大講義、總持寺出張所監院、本山貫首代理になりました。法光寺・中央寺・可睡斎・伝心寺を経ています。
明治33年(1900年)に、信者の寄付により、横浜に西有寺を創建、翌明治34年(1901年)に總持寺貫首に選ばれます。翌明治35年(1902年)に、曹洞宗管長となりました。明治38年(1905年)に横浜で引退し、明治43年(1910年)12月4日に遷化しました。
著書に『直心浄国禅師語録』4冊、『正法眼蔵啓迪(けいてき)』3冊などがあります。
◆ 【きょうの人】 バックナンバー
歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。
https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f
◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。
一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。
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◆ 【経営コンサルタントのひとり言】
経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。
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【 注 】
【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。
■【信頼できる経営コンサルタントの選び方 10のポイント】11 まとめ
経営コンサルタントに依頼してみたいけど、「いくらくらいかかるのか?」「本当に効果があるのだろうか?」など、ご心配な経営者・管理職の皆様は多いかと思います。
何万人という中から、自社に最適な経営コンサルタントを見つけ出すことは至難の業です。経営コンサルタントを選定せざるを得ないときにどのようなポイントに重点をおいたらよいのでしょうか?独断と偏見でまとめてみました。
経営者・管理職向けですが、裏を返しますと、経営コンサルタントや士業の先生にも参考となると信じます。
■ まとめ
十数回にわたりまして、「信頼できる経営コンサルタントの選び方」につきましてお話してきました。
それらを振り返りながら、目と目的なアドバイスを記述したいと思います。
「社員研修慣れ」とか「経営コンサルタントずれ」という言葉があります。その罠に気をつけましょう。
経営革新に熱心な企業の多くは、一度は経営コンサルタントに依頼をしている経験がおありでしょう。
その多くが「経営コンサルタントを使ったけど、大して効果がなかった」とおっしゃいます。
既述の通り、残念ながらホンモノのプロに会うことができる確率が非常に低いことが原因であることが多いです。また、依頼をする経営者側に真贋判定に誤りがあることが多々あります。
経営コンサルタントを次々と変えている企業もあります。そのような企業の経営者と話をしますと、「いろいろなコンサルタントにあってきたので、コンサルタントの見分け方は非常に上手になった」とシャーシャーとして言っています。
そのような経営者に、いろいろと提案しますと、「先生、そんなことはどの企業でも常識でしょう」「そんなことは知っています」「そのようなことは過去にやってきました」「その方法は効果がないですね」という返事が返ってきます。
「では、なぜ御社は、今このような問題を抱えているのですか?」と質問を返しますと、きちんとした回答が返ってきません。
経営コンサルタントずれをしてしまって、経営コンサルタントに依頼するという意味がわからなくなってしまっているのです。
その結果、経営コンサルタントの提案がどのような意味を持つのかを理解できなくなっている可能性が高いのです。
同様なことが社員研修でも言えます。
社員研修に熱心な企業は、今までにいろいろなテーマで研修をやってきていますので、今までにやったことのないテーマで講師をできる人を見つけるのが難しくなるほどです。
どうでも良いようなテーマで研修をしても、経済学の基本である効用低減の法則といわれますように、効果が少なくなっているのです。これを社員研修の「麻薬性」と言います。
プロの経営コンサルタントは、「経営コンサルタント不要な企業作り」を目指します。
彼等は、コンサルティングをしながら、経営コンサルタントがいなくても自分達だけで継続し、効果が持続できるような仕組みを、風土として定着させていってくれるのです。
そこまで、依頼側の企業が、特に経営者自身が経営コンサルタントの使いこなしができていないことが原因であることが多いのです。
経営コンサルタントを使うことにより、下記のことを身につけることが肝要です。
1.経営コンサルタントを使いこなせる力
2.温かい管理を愚直に実施できる企業創り・仕組み創り
3.当たり前のことが当たり前にできる企業作り
そして、経営コンサルタントの苦言を取り入れられる経営者の度量と、自分が先頭に立って旗振りをする気概がなければ、経営コンサルタントを使いこなして、成果を上げることは困難でしょう。
経営コンサルタント選びのポイントは、その経営コンサルタントがこれまで何をやってきたかではなく、どのような考えでクライアント・顧問先と取り組む経営コンサルタントであるかなのです。
皆様方のますますのご発展とご健康を祈念します。
■ バックナンバー
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■【きょうの人】 1022 空也上人 口から仏像が出て来る!!
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■ 空也上人 口から仏像が出て来る!!
くうや
延喜3年 - 天禄3年9月11日 (新暦):903年 - 972年10月20日)
平安時代中期に京都で生まれた浄土宗の僧で、阿弥陀聖(あみだひじり)、市聖(いちのひじり)、市上人とも称されます。
口称念仏の祖で、民間における浄土教の先駆者と評価されます。空也流の念仏勧進聖は、鎌倉仏教の浄土信仰を醸成したとされています。
俗に天台宗空也派と称する一派においても祖と仰がれていますが、空也自身は、複数宗派と関わりを持つ超宗派的立場を保ちました。
没後も空也の法統を直接伝える宗派は組織されませんでした。よって、空也を開山とする寺院は天台宗に限らず、在世中の活動拠点であった六波羅蜜寺は、現在真言宗智山派に属します。(空也の没後中興した中信以降、桃山時代までは天台宗でした)。
踊念仏、六斎念仏の開祖とも仰がれますが、空也自身が、いわゆる踊念仏を修したという確証はありません。
門弟は、高野聖など中世以降に広まった民間浄土教行者「念仏聖」の先駆となり、鎌倉時代の一遍に多大な影響を与えました。
遺命により11月13日をもってその忌日とし、踊り念仏を修して空也忌法要が行われます。
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■【きょうのおすすめ】 あたりまえ経営のきょうか書 1 経営トップは、このようにして変身せよ
二兎を追うブログ
経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うブログで、毎日複数回つぶやいています。
いろいろなカテゴリーに及んでいますので、その中でも、とりわけお薦めのブログをご紹介します。
■【あたりまえ経営のきょうか書】
■ 1 経営トップは、このようにして変身せよ ■
リーマンショックやコロナショックにより、多くの経営者・管理職・ビジネスパーソンが自信をなくしてしまっています。一方で、過去の成功体験から、時代の変化に気づかずに、従来の延長線上で事業を続けている人達もいます。
激動の時代に、不況感に苛まされるのではなく、「不況」が「普況」、すなわち不況期でも健全経営ができる企業体力を持つことが、今日、求められる発想法です。すなわち、「不況が、普況で、普況を富況にする」のが、経営者の役割であり、それを支えるのが管理職や、その下で働く人達の成すべきことだと考えます。
1970年代から経営コンサルタントという職業を通して、感じ、学び、コンサルティングしてきましたので、それをご紹介します。読者の皆様に、それを感じ取っていただけますと幸いです。
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■【あたりまえ経営のきょうか書】
https://blog.goo.ne.jp/konsarutanto
(ドアノブ)
◆ ツイッターでのつぶやき
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■ 1 経営トップは、このようにして変身せよ ■
リーマンショックやコロナショックにより、多くの経営者・管理職・ビジネスパーソンが自信をなくしてしまっています。一方で、過去の成功体験から、時代の変化に気づかずに、従来の延長線上で事業を続けている人達もいます。
激動の時代に、不況感に苛まされるのではなく、「不況」が「普況」、すなわち不況期でも健全経営ができる企業体力を持つことが、今日、求められる発想法です。すなわち、「不況が、普況で、普況を富況にする」のが、経営者の役割であり、それを支えるのが管理職や、その下で働く人達の成すべきことだと考えます。
1970年代から経営コンサルタントという職業を通して、感じ、学び、コンサルティングしてきましたので、それをご紹介します。読者の皆様に、それを感じ取っていただけますと幸いです。
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■【きょうの人】 1021 江戸川 乱歩 探偵事務所勤務の経験を活かした小説
独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。
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■ 江戸川 乱歩 探偵事務所勤務の経験を活かした小説
えどがわ らんぽ、旧字体:江戶川 亂步
1894年(明治27年)10月21日 - 1965年(昭和40年)7月28日)
大正から昭和期にかけて主に推理小説を得意とした小説家・推理作家です。
戦後は推理小説専門の評論家としても知られています。実際に探偵として、岩井三郎探偵事務所に勤務していたという経歴を持っています。
本名は平井 太郎(ひらい たろう)で、日本推理作家協会初代理事長を務め、位階は正五位、勲等は勲三等です。
ペンネーム(江戸川乱歩)は小説家の、エドガー・アラン・ポーに由来するということは、推理小説にご興味のある方であれば、想像がつくでしょう。
三重県名賀郡名張町(現・名張市)で、名賀郡役所書記の平井繁男・きくの長男として生まれました。平井家は武士の家柄で、乱歩の祖父の代まで藤堂家の藩士として勤め上げました。
1917年(大正6年)11月、鳥羽造船所電機部に就職し、庶務課に配属されました。技師長に気に入られ、社内誌「日和(にちわ)」の編集や子供へおとぎ話を読み聞かせる会を開くなど地域交流の仕事に従事しました。
1923年(大正12年)、『新青年』とう雑誌で、『二銭銅貨』でデビューしました。欧米の探偵小説に強い影響を受け、本格探偵小説を志し、黎明期の日本探偵小説界に大きな足跡を残したのです。
江戸川乱歩の小説は色々な形で出版され、光文社文庫の「江戸川乱歩全集」(全30巻)、創元推理文庫(全20巻)をはじめいろいろな形で出版されました。
助手の小林少年が登場する名探偵・明智小五郎シリーズは、コナン君にも通ずるものがあり、少年達の心をわしづかみにしました。
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■【経営士ブログ】1-03 日本経営士協会 理事長からご挨拶
■【きょうの人】 1020 ■二宮 尊徳 歩きスマホの先駆者 ■夢窓疎石(夢窓国師) 禅宗の僧ですが庭園設計者としても知られる
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■ 夢窓疎石(夢窓国師) 禅宗の僧ですが庭園設計者としても知られる
むそう そせき
道号が夢窓、法諱が疎石
建治元年(1275年)- 観応2年/正平6年9月30日(1351年10月20日)享年76
鎌倉時代末から南北朝時代・室町時代初期にかけての臨済宗の禅僧です。
伊勢国(三重県)出身で、幼少時に出家し、甲斐国(山梨県)に移住、1283年に甲斐市河荘内の天台宗寺院平塩寺(現在は廃寺)に入門しました。空阿に師事し、真言宗や天台宗などを学びました。
1292年に奈良の東大寺で受戒し、京都建仁寺の無隠円範に禅宗を学びました。その後、鎌倉へ赴き、円覚寺や建長寺等で禅宗を学び、1305年には浄智寺で印可を受けました。
正中2年(1325年)に、建武の新政を開始した後醍醐天皇の要望により南禅寺の住持となりました。1335年に後醍醐天皇から「夢窓国師」の国師号を授けられました。
生前に夢窓国師・正覚国師・心宗国師、死後に普済国師・玄猷国師・仏統国師・大円国師と7度にわたり国師号を歴代天皇から賜与され、七朝帝師とも称されます。
世界遺産に登録されている京都の西芳寺(苔寺)および天龍寺のほか、瑞泉寺などの庭園の設計でも知られています。その作風は、自然の眺望・景観を活かしつつ、石組などによって境地を重んじる禅の本質を表現しようとしたものといわれています。
■ 二宮 尊徳 歩きスマホの先駆者
にのみや たかのり
天明7年7月23日(1787年9月4日)-安政3年10月20日(1856年11月17日)
江戸時代後期の経世家、農政家、思想家です。自筆文書では、金治郎(きんじろう)と署名している例が多いのですが、一般には「金次郎」と表記されることが多いです。
諱の「尊徳」は正確には「たかのり」と読みますが、「そんとく」という読みで定着しています。
経世済民を目指して報徳思想を唱え、報徳仕法と呼ばれる農村復興政策を指導しました。
四字熟語 経世済民
http://www.glomaconj.com/joho/keieijoho.htm#17
相模国足柄上郡栢山村(現在の小田原市)に、百姓二宮利右衛門の長男として生まれました。
尊徳は、まず生まれた堀之内村の中島弥三右衛門の娘・きの(キノ)を妻としますが、離縁、20歳も若い、貞淑温良ななみ(波子)と結婚しました。
文化5年(1808年)、母の実家川久保家が貧窮するとこれを資金援助し、翌年には二宮総本家伊右衛門跡の再興を宣言し、基金を立ち上げるなど、成果を出しています。
小田原藩で1,200石取の家老をしている服部十郎兵衛が、金治郎に服部家の家政の建て直しを依頼し、千両もの負債を償却し、頭角を現しました。
文政4年(1821年)には、小田原藩主大久保家の分家であります宇津家の旗本知行所が荒廃していて、再興救済を藩主より命じられました。農民の抵抗で苦労しましたが、再建しました。
晩年近く、天保4年(1833年)には、天保の大飢饉が関東を襲いましたが、金次郎の力を充分に発揮しました。
二宮金次郎といえば、戦前には、どの学校にも銅像が建っていると言えるほど、一般的でした。背中に芝を背負い、本を読む姿は、子供達へのお手本でした。今日では、歩きスマホが非難を浴びていますが、当時は、むしろ誉められる行為だったのですね。
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