向羽黒山城の次に笠間城に行きました。ここは続日本100名城112番目の城です。笠間氏が1219年に築城し,江戸時代は浅野氏・井上氏・牧野氏が城主として治めました。石垣・堀・土塁が残り二重櫓は麓の真浄寺に移築されており当時の様子が伺われます。帰路笠間稲荷神社にお参りしました。ちょうど菊まつりが開かれていました。
三春城の次に福島県の向羽黒山城へ行きました。続日本100名城111番目の城です。ここは交通の便が悪く会津若松駅からタクシーで城跡まで行きました。
山城独自の地形が良く残っており城を構成する遺構のスケールの大きさを感じました。麓の城跡資料室で続日本100名城のスタンプを押し御城印を買い会津若松駅へ戻りました。
米沢城の次に福島県の三春城に行きました。続日本100名城110番目の城です。ここは1504年田村氏が築城し蒲生氏・松下氏と城主が続き秋田氏が幕末まで治めました。石垣と土塁・堀などの遺構が残っています。山頂の本丸跡からは三春町が望めます。
白石城の次に山形県の米沢城に行きました。ここは続日本100名城109番目の城です。鎌倉時代に築城され戦国時代は伊達氏・蒲生氏が城主となり江戸時代には上杉氏が幕末まで続きます。堀と土塁で築かれた平城で本丸には上杉神社があります。城内には上杉謙信・直江景勝・上杉鷹山の像がありました。
東北の続日本100名城巡り二日目は続日本100名城105番目の白石城に行きました。
ここは1591年蒲生氏により築城され江戸時代は伊達家の重臣片倉家が治めていました。木造で復元された三重三階の天守は見ごたえがありました。
秋田県の脇本城に行きました。中部国際空港から秋田空港へ。そこからJR男鹿線に乗り無人の脇本駅へ。
ここ脇本城は続日本100名城106番目の城です。東京ドーム32個分という広大な敷地に築城数百年経っても良好に遺構が残っています。
特に巨大な土塁は圧巻でした。城跡からは日本海が望めました。
赤木城の次に和歌山県新宮市の新宮城に行きました。
続日本100名城167番目の城です。この城は,関ヶ原の戦いの後,浅野氏が紀州に入った際に築城されました。浅野氏のあと紀州徳川家の家老として水野氏が入城し,幕末まで続きます。熊野川の河口山上に築かれた近世城郭です。
北畠氏城館の次は三重県熊野市の赤木城に行きました。ここは続日本100名城155番目の城で藤堂高虎が1588年に築城しました。平成元年に国史跡に指定され保存計画に基づき城跡として整備されてます。コンパクトな城ですが見どころ一杯の城でした。
津城の次は続日本100名城153番目の多気北畠氏城館に行きました。
北畠神社で続日本100名城スタンプを押し御朱印と御城印を頂き,北畠神社に参拝のあと戦国時代の庭として有名な北畠氏館の庭に行きました。派手さはなく落ち着いた趣の庭でした。
続日本100名城152番目の津城に行ってきました。この城は織田信長の弟の織田信包が1580年に築城し藤堂高虎により近代城郭として大改修されてます。
幕末まで藤堂家が治めています。石垣が見事な城でした。
岡崎市にある「暮らしの学校」で開かれた講座「三河武士の系譜」を受講しました。今回は第21回目「戸田家」について岡崎歴史かたり人の小川和穂さんが講師となり話をされました。戸田氏は戸田宗光が始祖と言われ松平家3代目松平信光の娘を室としています。松平家と繋がりを持ち,江戸時代に入り徳川譜代として松本藩・宇都宮藩・大垣藩など6家に分かれ幕末まで存続しました。今回は幕府の要職に就いてきたそれら戸田家について学びました。
角牟礼城の次に続日本100名城191番目の中津城に行きました。ここは1588年,黒田官兵衛が築城した日本三大海城の一つです。三度目の登城ですがツアーに最初から組み込まれており訪れました。最初に訪れたのはNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」放映時でした。その時の展示がまだ残っていました。天守閣には長篠合戦図が展示されてます。
臼杵城の次に続日本100名城192番目の角牟礼城(つのむれ)へ行きました。
ツアーの大型バスでは登れないためタクシーで三の丸の駐車場まで行き,そこから歩いて本丸跡へ。途中,眼下に豊後森町が見えました。一番の見どころは穴太積み石垣です。山城としては歩きやすい城でした。
佐伯城の次に続日本100名城193番目の臼杵城に行きました。ここは1556年に大友義鎮により築城され江戸時代には稲葉氏が幕末まで治めました。
もともと臼杵湾に浮かぶ小島に築かれた城であり本丸まで登るとその位置関係が良く分かります。ここも戦国時代の野面積みの石垣と江戸時代の算木積みの石垣が見られます。
臼杵の街はフォークソングの名曲「なごり雪」「22才の別れ」が映画化された時,舞台になっています。
延岡城の次に続日本100名城194番目の佐伯城に行きました。
この城は1601年に毛利高政が築城し毛利氏は幕末まで続きます。本丸まで4つの登山道があり,今回は最も緩やかな独歩碑の道を歩きました。30分ほどで頂上へ。一番の見どころは4段の階段状の石垣です。岩村城の石垣によく似てました。
本丸跡からは豊後水道が望めます。
下山して武家屋敷を散策しました。