2週間ほど前に吉野ヶ里を歩いてきました。歴史公園センターの入場ゲートから、田手川に架かる橋を渡って環壕集落ゾーンに入っていきます。向こうに北内郭の主祭殿が見え、橋の上では中国風の黄色い吹き流しがなびいています。ただし、描かれている龍の爪は3本です。
南内郭です。10月の上旬だというのにまだ夏の暑さが残っていて、この日はいつもの半分の距離を歩くことにしました。ただ空気が乾燥しているので蒸し暑くはありません。吉野ヶ里には何度も来ており、いつもの変わらぬ風景です。
物見櫓から南内郭を俯瞰した景色。支配者層の居住地域です。
南方を展望します。住居などの遺跡は柵列の内側にあります。
この区画だけ二重に柵列が設けられていて、王の住まいだったと考えられています。
向こうの小丘は歴代の王族が葬られている北墳丘墓。手前に小規模な甕棺墓列があります。小屋は死者を祭礼する祠堂。
秋の訪れを告げている墳丘墓のススキ。内部は歩いて見学できるようドーム状になっており、発掘時のままに保存されていています。
巡回バスが通る園路を歩いていきます。
数キロにわたり遺跡を取り囲む柵列と環壕。水を湛えていたことが確認されていないので、「濠」ではなく「壕」という表現をしているそうです。そばを田手川が流れていますが、遺跡は丘陵の上にあるのです。
屋根の葺き替え作業が行われていました。歴史公園が開園して20年がたちます。
南のムラで白いそばの花が咲いていました。来月の半ばころに収穫されます。このエリアは一般の人々の居住地域であると考えられています。
いつも、ここを歩いているとひょっこり弥生人と出くわすような気がします。
ムラの近くで見たドングリ。古代ではドングリは貴重な食糧でした。自宅近くのいつも買い物で通る道筋に縄文時代後期の遺跡があります。20年ほど前にバイパス建設のため発掘された際、遺跡から大量のドングリと容器のアミカゴが出土しました。
遺跡はいまは道路の下に埋まっていますが、現地には説明版が立てられています。
出土したドングリのほとんどはイチイガシだったそうです。
1時間半のウォーキングでした。
昨日は学童保育所連合会の理事会がありました。この週末は道の駅の駐車場も満杯で、郊外に通じる幹線道路は渋滞していました。緊急事態宣言の解除を受けて社会活動も元に戻りつつあります。我慢も限界にきたのか世の中には解放的な気分が漂っていますが、コロナ禍が終息したわけではありません。
縄文人の食べ物、大量のドングリがそのまま残っていて生の生活を覗けた気がします。それも埋められてしまったとか。仕方がないこととはいえ残念な気がします。わが家のお隣が建築時に発掘調査すると縄文住居跡が出ました。柱の跡や竈の跡には黒しすすが残っていましたが、調査終了と同時に埋め立ててマンションが建ってしまいました。地続きのわが家の下にも多分あると思っています。
歴史のある所では遺跡の上に住居が建っていることがありますね。
新開地に住む者からすれば、古い記憶を重ねてきた土地柄なんだと思います。
昔から人が住むのに適した土地だったのでしょう。
紹介した縄文遺跡は発掘品が文化財収蔵庫へ保管され、いまは道路の下に眠っています。
アミカゴとドングリは時々、代表的な縄文時代の生活遺品として紹介されています。