11月も今日で終わりです。晩秋から初冬へと季節は移りゆきます。吉野ヶ里歴史公園には田や畑があり、稲作や野菜づくりが行われています。今月の半ばには、子ども向けの秋そば収穫体験会がありました。
南のムラと呼ばれているエリアに、ソバ畑があります。10月下旬に来たときには白い花を咲かせていました。
教えてもらいながら、子どもたちがそばを収穫しています。右手には前もって刈り取ったソバが天日干しされていました。
ソバの実です。
後の作業は、あらかじめ干してあるソバで行います。脱穀は殻打ち台で株から実を落とします。この道具は初めて見ました。指導しているのは農家の方でしょう。
箕で殻や葉などを振るい落とします。
小さな子どもの手ではなかなか難しそうです。
作業効率を考えてでしょう、近代的な道具も使っていました。唐箕です。風の力で軽い殻や夾雑物を飛ばし、重い実だけが落ちてくるという優れものです。
脱穀作業を終えたソバの実は、素焼きの壺に入れて倉へ収納します。弥生人の収穫も似たようなものだったのでしょう。ちなみに吉野ヶ里遺跡からもソバ花粉の化石が見つかっているそうです。
この日は孫を連れてきたかったのですが、学校のテスト前なので遠慮しました。孫たちは学年が上がるごとに学校行事や習い事で忙しくなり、爺としては少々寂しさをかこっています。
南のムラを出て広い園内を歩くことにしました。いつものウォーキングコースです。
倉と市のエリアを通ります。
この辺りは大きな壕で取り囲まれ、掘立柱建物が並んでいます。奥の方にはさらに溝で区画された、地区の中でも大型の建物群があり、穀物や各種物資の倉庫と市が開かれたエリアと想定されています。
環壕集落ゾーンを出て甕棺墓列があるゾーンへ歩きます。公園では古代の森と名付けられていますが、建物はなく村外れのさみしさが漂っています。この辺りからは1,000基の甕棺墓が発掘されています。
公園内は手入れが行き届いており、野草はあまり見かけません。
赤ソバ畑です。白ソバより遅く咲いています。
赤いソバの花。ヒマラヤ原産の高嶺ルビーという観賞用の品種です。ソバ収穫体験を指導していた人が、白ソバよりだいぶ収穫量が落ちると話していました。
遠くの脊振山系を背景に広がる一面の赤ソバ畑。
秋の日は釣瓶落しといいます。まだ午後3時過ぎですが、陽射しは弱くススキの穂が輝いています。
各エリアの入り口には水鳥がいます。水鳥は、中国や日本各地の遺跡で埴輪などが出土しています。吉野ヶ里ではどういう意味で水鳥を配しているのか、いつか尋ねてみたいと思っています。
昨日は小学4年の孫娘と食事に行きました。ソバの収穫体験の話をするとピンとこないようでした。作物としてのソバのことを知らないのです。運動できるなら行くけど、という体育会系の彼女らしい答えでした。
おじいさんと遊んでいたかな?
私たちも今は4歳と5歳の孫と遊べますが小学校に上がるまででしょうか?寂しいな?
吉野ヶ里のこと、詳しく説明がありよくわかります
赤いそば畑も華やかでしょうね?
孫が小さかった頃は、毎週のようにせがまれてあちこちへ遊びに行ったものです。
それにしても、いまの子どもは勉強や習い事、部活動で忙しいですね。
日曜日には友達と遊んでいます。
上は大学1年生 来春大学と高校の受験の孫
下が中学1年生で コロナ感染もありますが
今年は誰一人も爺婆に会いに来てくれません・・
年末年始は老妻と二人だけで過ごします・・
東京にいる孫以外は、いずれも我が家の近所に住んでいます。
少し前までは夏休みなどに預かっていましたが、
いまは時々、遊びや食事に連れていく程度です。
コロナ騒動で、みな揃って会食するのは難しいですね。
上の孫息子は中2ですが、いつか一緒に飲みたいと思っています。
それまで私が元気でいて、願いが叶うといいのですが。