先週、吉野ヶ里歴史公園へ行きました。「ヶ里」という名前は条里制の名残りといわれていて、地図を見るとこの辺りには「ヶ里」という地名があちこちにあります。
東口の歴史公園センターから、田手川に架かる「天の浮橋」を渡って環壕集落へと向かいます。橋を歩いていると、現代から古代へタイムスリップするような気分になります。むかし行ったことがある江戸東京博物館でも、入り口から日本橋を渡って江戸の展示ゾーンへ入る、同じような趣向がありましたね。
南内郭です。この日はゴールデンウィークということもあり、駐車場は満車状態でした。
ここは環壕集落の中心部に位置し、遺構から支配者層の居住地域と推定されています。
掛け小屋には当時の織物などの再現品が展示されていました。ボランティアが説明してくれます。
二重の柵列で囲まれた王の家。
南内郭から北へ歩きます。吉野ヶ里遺跡は南北に連なる丘陵地帯に展開しています。ウマノアシガタやミヤコグサが黄色い花を咲かせていました。
北内郭へ来ました。まつりごとが行われていたと考えられている、遺跡の中で最も重要な場所です。写真右の太い柱は遺跡の中で最大の建物で3階建てです。首長たちの会合や祭祀などの様子が人形で再現されています。向こうにある斎堂が特別公開されていました。
さらに北へ。北墳丘墓へ来ました。手前には祠堂と小規模な甕棺墓列があります。
墳丘墓の内部。墳丘墓は違う種類の土を何層にも重ねた築山で、14基の甕棺やガラス製の管玉、剣が出土しました。歴代の王の墓と考えられています。
一旦、環壕を出ました。北墳丘墓のすぐ近くです。
林が切り開かれています。今日の目的地はここでした。ここは日吉神社の境内地で、神社の移転に伴い10年ぶりに発掘が再開されることになりました。
この場所の北側付近で発掘された甕棺墓からは、イモガイの腕輪36個をつけた司祭者とみられる女性の人骨や、前漢時代の銅鏡が出土しています。今回の発掘で何が出てくるのでしょうか。
この日は午前中に鍬入れ式があり、昨日まで一般公開されていました。発掘する面積は4,000平方メートルで、2年ほどかけて調査が行われるそうです。
さらに北にある大規模な甕棺墓列。ここでは500基の甕棺が出土し、一部は開口した状態で展示されています。
遺跡がある丘陵を下り、いつもの散策コースを歩いて戻ることにしました。
園内を巡回しているバスが来ました。一度だけ乗ったことがあります。
緑陰が濃い林を歩いていると気持ちが落ち着きます。
再び環壕の内側に入り倉と市のエリアへ来ました。高床式の倉庫群があり、市が開かれていたと考えられています。古代の有明海は今よりも内陸部まで進入していました。すぐ近くには海の交易を思わせる鰐神社もあります。
物見櫓は南内郭です。
向こうの建物と大テントでは石包丁づくりや火起こしなどの体験ができます。6年ほど前、孫たちと来た時に勾玉づくりを体験させたことがあります。結構時間がかかりましたが、いい土産になりました。
渋滞に巻き込まれないよう早めに帰ることにしました。古代の遺跡や林の中を歩いているときは日常の雑念を忘れています。逆茂木のある環壕入口を出て現代へと戻ります。
昨日は石橋文化センターのバラフェアへ出かけました。バラの香りに酔いました。
遺体を入れたらしい壺には感激物です。
吉野ヶ里では弥生時代前期(紀元前5世紀)から後期(紀元1世紀~3世紀)の全ての時期の遺構・遺物が発見されているそうです。
このうち、弥生時代後期の後半(紀元3世紀頃)の物を復元整備の対象としているそうです。
2個の大型土器を合わせて遺体を入れる甕棺は
北部九州独特の形式だそうです。
吉野ヶ里を歩いていると、ひょっこり弥生人と出会いそうな気になります。
小さな日吉神社には貴重なものが埋まっているのではと
その当時想いを馳せたものでした
さぁこれから歳月をかけて発掘ですね
どのようなものが発見されることでしょう
新聞によると、何かが出てくることは間違いないようです。
アッと驚くような物ではないと思いますが、
発掘の続報を楽しみにしています。
古代に思いを馳せながら自然の中を歩くのは
健康的ですし、気分転換にはもってこいです。