有馬21万石の久留米城址に行きました。
久留米城は地元では篠山城と呼ばれ、小丘の上に立つ平城です。豊臣秀吉の九州平定後は毛利元就の末子、小早川(毛利)秀包がこの地に封じられて居城としました。小早川はキリシタン大名で、城下には7千人の信徒がいたといわれます。
しかし関ケ原の合戦で西側に組したため改易され、一時田中吉政が柳川城の支城としました。1621年、有馬豊氏が丹波福知山から転封されて以来、明治維新まで250年余の間、有馬家11代の居城となりました。
南西から見た城址です。僅かに堀が残っています。久留米城は天守閣はなく、本丸御殿を多聞櫓で囲み各隅に7つの三層櫓を配していました。
城の正面入口、大手口というのでしょうか、冠木御門のあったところです。
本丸御殿のあった場所には篠山神社があります。三人の藩主が祀られています。
左が拝殿、右手が本殿。
城の東側には腰曲輪の蜜柑丸がありました。その跡地からも城に登ることが出来ます。
蜜柑丸から上がって来たところの月見櫓跡。向こうに見えるのは久留米大学病院です。城址には昔の建造物は何も残っておらず、当時の石組みだけがあります。普段は人気がなく、時折訪れる観光客や昼休みに散歩する会社員などが目につく程度です。春になると花見に来る人が多くなります。
城内にある石造りの小早川神社です。神社といっても祠です。キリシタン大名らしく両扉にアンドレア十字(X型の十字)が刻まれています。
城内には3つの井戸がありました。そのうちの一つ、大井戸。固い岩盤をくり抜いて掘られているそうです。中を覗きましたが暗くてよく見えませんでした。
城内には有馬家ゆかりの歴史資料を展示した有馬記念館があります。レストランを併設しており、畳の間もあります。何度かここで懇親会をしたことがありますが、町中の料亭とは一味違ういい雰囲気でした。
その外、東京の麹町にあった東郷平八郎の旧書斎も城内に移築保存されています。
久留米は城下町でしたが、この城と17ヶ寺が集まる寺町以外には昔の面影はありません。歴史的町名も無くなりました。ただ高級家臣団の屋敷や藩役所などがあった外郭内は、在方の町とは違う雰囲気が残っています。
足跡から訪問しました。失礼しました。
石垣の組み方にも色々あるそうですね。
古城で昔を偲ぶこともたまには良いと思います。
小倉城はどこからでも見えるし形が綺麗ですので
楽しんでおります
桜の咲くころにはとても風情があります
お城を見ますと心が落ち着きます
久留米も城下町だったのです。
小倉城ほど威容はありませんが、静寂で心が落ち着きますね。
城に桜は似合いです。