稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

剣道講和(敬老の日に話した内容、年不明)- 4/5

2017年12月13日 | 長井長正範士の遺文
こうした心がけで稽古すると以心伝心必ずや相手も同調し息の合った稽古が出来るものである。
それを打った当たったと、ことさらに相手に意思表示し、
残心どころか逆にオーバーな動作で押し付けるように示し、
一時、稽古を中段するごときは相手の心にキズをつけ、もはや剣道から離れ、
単なる暴力に過ぎないことを自覚せねばならない。

もっと剣道を真剣に考えることが大事である。
残心は以上のような立派な稽古の流れの中にスムーズにとどまることなく行われていくのである。
即ち技と技との間の心がけが残心であり、
残心があればこそ中途半端な技に留まらず次への技へと淀むこともなく対応する事が出来る。
これを古流の形で体得して欲しいものである。

さて稽古終了せば相手を打太刀と心得、蹲踞も従い、感謝の念を抱きつつ納刀する。
打太刀の立つに合わせて立ち、後へ下がるにしても合わせ、そうして礼をするのである。

審査なら上座に二人呼吸を合わせ、一緒に礼をし、同じく退場する。
座して静かに面を取り、お互いに有難うございましたと礼をすることは当然であろう。
この感謝の気持ちの中に湧くものは正しい判断の反省と、次の稽古への新たな希望が生まれ、
人間的に益々向上するものと信じる。

(続く)


(昭和45年6月、長正館にて少年指導)
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