稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

No.22(昭和61年1月15日)剣道で五倫五常の精神をどこで養うかということ。

2018年09月08日 | 長井長正範士の遺文


○剣道で五倫五常の精神をどこで養うかということ。
剣先を合わせ、静から動へと変るその機に望んで五倫五常の道の根源をさぐるのである。
でなければ迷ってしまうのである。
之がため、気剣体の一致、心気力の一致に努力するのである。(№16参照の事)

五倫の道=人の守るべき五つの道
(戦国時代の哲学者孟子が学を孔子の孫、子思の門人に授く。)

1.君臣-義(物事の理に叶ったこと。人のためにつくす。人として当然なすべき正しい道。)
2.父子-親(したしみ)
3.夫婦-別(区別)
4.長幼-序(順序)
5.朋友-信(真実。欺かぬこと。疑わぬこと。)

五常の道=儒教→春秋時代の学者、孔子を祖とする数学

1.仁-いつくしみ、思いやり、博愛
2.義-人の道のためにつくすこと。
3.礼-うやまって拝すること。
4.智-ものごとを理解し、是非、善悪を弁別する心の作用。ちえ。かしこい。
5.信-信実なこと。欺かぬこと。疑わぬこと。

註:以上は恩師、吉田誠宏先生よりご指導頂いたが、
私ごとき未熟者には雲をつかむような深遠にして崇高な教えであり、
生涯かかって皆さんと共に修養してゆきたいと思います。

○服従と盲従とは違うと言うこと。
服従は相手の意思通りに従う。盲従は是非をわきまえずに、盲目的に従うを言う。
この事は剣道に於いては特に大切なことであり、
立派な先生、先輩に服従してゆくところに人間の道が立ってゆくのである。

○声つぶしと言うこと。=一年のうち春秋二回声をつぶすこと。
春の芽の出る時、秋の葉の落ちる時、海が山に向かって腹の底から声をしぼり出す。
これをしっかりやっておれば、どんな時でも声が枯れない。
私は吉田先生よりこれを身をもってご指導頂いた。

○なやす。こなす。ねる。の意味。
なやす-相手が打とうとすると、その剣先をうんとつめる。
こなす-相手の手元を強くするために、表又は裏から軽く攻めて、刃の鎬でこなす。
ねる-うどんを作る時、粉と水でねる。
そのねると同じ意味で間をおかず打ってやり、相手の心と肉体の統合点をねる。

○指導者の心得=下をあつかうのに三段階あり(一刀流)
1.打つようにして打たない→そこを打たす-初歩の間。
2.打つようにして打つ→習熟してくれば。
3.打たぬふりして打つ→出来た者には。

この項終り
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする