稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

№109(昭和62年12月1日)

2020年04月26日 | 長井長正範士の遺文


〇名人とは
一般的に技芸にすぐれた人、その道に深く通じている人を指して言いますが、ここに名人とは如何なる人かを一例を挙げて申し上げましょう。

昔、江戸に歌の名人がおりまして、全国にその評判が広がってきました。当時、都は京都にありまして、それを聞いた京のお歌どころの宗匠(そうしょう)は一体その江戸の宗匠はどれほどの名人か一度招待して試してみようということになり江戸の宗匠のところに使いを出しましたが、京の町奉行は皆に命じて粗相のないよう、あちこち整備し、特に三条大橋の板が大変痛んで腐っている所もあるので、真新しい桧(ヒノキ)の板を四角く切ったり細長く切ったりして穴の開いている所を修理させ、準備万端整えて、今や遅しと江戸の宗匠の来るのを橋の袂で待ち受けておりました。

折りしも約束通りの期限に差廻しの駕篭(かご)に乗った宗匠が山科を通り、三条大橋の袂に着きました。奉行一行は鄭重に長旅の労をねぎらい、篭から降りた宗匠を先導して、大橋を渡ろうとした途端に京の宗匠が「この橋を見て何んと詠む」と江戸の名人に言ったところ、間髪を入れず

「来て見れば、さすが都は歌どころ 橋の上にも色紙短冊」

と詠んだので一同は感嘆の余り、唖然としました。

やがて大橋を渡って西へ進み、堺町通りの四つ辻まで参りましたところ、右(北)の方から花嫁の行列がやって来ましたが、折り悪しく左(南)の方から葬式の行列がやって来て、すれ違いになったので、しばし一行は足をとめて待った。その時、京の宗匠が「あれを見て何と詠む」と問いかけましたところ、くだんの宗匠はすかさず

「世の中は 色と恋のさかい町 しに(死に)ゆく人と、されにゆく人」

と詠んだので、皆は一層感心致しまして、宗匠の俗世間に通じた粋人に心もなごみ、急遽予定を変更致しまして、これから島原のいろ里へ案内しよう、という事になり、一行は島原へと向かいました。

今はもうずっと家が立ち並んでおりますが、その当時は、まだ家もまばらで、すっかり田舎めいて、今は花ざかりの菜畑のほとりを歩いてゆきますと、路ばたに、すっかり履き古して、鼻緒の切れた藁草履を捨ててありましたので、道案内の一人がこれをポンと投げ捨てました。それを見た京の名人が、客の名人に「さあ、これを見て何と詠む」と、まあ何という無理難題を持ちかけたたものでしょう。名人はすかさずこれに応えて

「世の中は、葉花がくれの、ほととぎす 血を吐くことが、いやでこそあれ」

と詠んだのです。即ち今、世の中は花ざかりの好季節で、うららかなこの日に、今まで血を吐くほど鳴いていたホトトギスが、いやになって、葉っぱの花の中へかくれたわい。という意味ですが、何と粋なことに役に立たない、すり切れた草履をほととぎすにたとえ、血を(地を)吐く(履く)ことがいやでこそあれ(役に立たなくなったのであろう)。このうららかなよい日に一抹の哀れの風情を感じるわい。と、かけて詠んだのはさすが。

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【編集記】
この記事は、2017年12月25日の記事とほぼ同じ内容になります。
長井藩士は、連番のものと、配布用に書いたものと、同じ内容で2種類書かれたと推測します。

名人について(昭和62年12月1日)1/2
https://blog.goo.ne.jp/kendokun/d/20171225/
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