稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

なんば養正会で稽古(2018年9月14日)

2018年09月15日 | 剣道・剣術
なんば養正会は古巣だが最近は月に1回程度の稽古である。

仕事が終るのが急いでも18時過ぎ。
それから準備して出かけても途中が渋滞して遅れてしまう。
昨夜も、着替えて面を着けたら、基本稽古と回り稽古が終っていた。


(行くと基本稽古中だった)


(基本稽古が終ると回り稽古が始まる)


(終ったあとは全員で整理体操)


【感想・反省点】

稽古は自由稽古から参加。45分間ほど。
腰が痛いのでどうも調子が出ない。
けっこう蒸し暑いせいかも知れない。

調子が出ないが地稽古の中で何度か基本どおりの面打ちをやってみた。
攻め入ってからでは遅い。攻め入ろうとすると先に相手が打ってくる。
いつでも打てる状態のまま入らねばならない。しかしこれが難しい。
まだまだ自分の体幹が弱いのを自覚してしまう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

課題を作って取り組む(木曜会、2018年9月13日)

2018年09月14日 | 木曜会(誠先生の剣道教室)
四條畷の市民活動センターでの木曜会稽古。今年31回目。
10月からは以前の四条畷西中学校の体育館になるらしい。

稽古内容は、素振り、切返し、正面打ち、相面、小手打ち、小手面打ち。

師匠の指導の要点のみ記す。

少しでも右足に体重が乗ると打てなくなるものだ。
ほんの少しの前傾姿勢が剣道を狂わせる。

(切返しのあとで)
-------------------------------------------------------
昨夜のH警察での稽古で稽古に新八段のM浦八段が参加した。
M浦八段は基本稽古への取り組み方が違う。
1つ1つに自分の課題を作ってやっている。
切返しでも、最初は大きくゆったりと行い、次は呼吸法で行い、
最後は最初から最後まで一呼吸での切り返しをしていた。
基本打ちでも中心を取ったところから打ったり、足をすっと入れて打ったり、
色々なバリエーションで自分の課題を見つけて取り組んでいた。
皆さんも漫然と稽古していては駄目である。
自分の課題、目標を作って取り組むことが大事である。
-------------------------------------------------------

攻めが強すぎても警戒されて打たせてくれない。
打ちますよ!と入るのではなく自然と入ってそこから打つ。
中心を取ってしまうと相手にストレスを与え過ぎる。
打つ前は竹刀の交わる点が中心(体中心)である。
右足を出しながら(ここで初めて)中心を取って打ちに出る。

頭の中で考えていては打つのが遅れる。
いつでも打てる準備が出来ていなければならない。
自分から懸かっていく気持ちではなく、いつでも打てるぞの状態。
気持ちを乗せて間合いに入ること。考えていては遅い。

小手は間合いを考えて。左足が基軸である。
身体が前後にブレていては打てない。左拳の位置は動かさない。
身体を残したままで(左手は伸ばさない)点で打つ。流れないこと。


(正面打ちの稽古)


(竹刀の交わる点が中心である)


(触刃の間)


(交刃の間)


(一足一刀の間)


(右足を出しながら中心を取っていく)


(出した右足をさらに出して一気に打ちに出る)


【感想・反省点】

師匠の言うように最初の切り返しは漫然としていた。
気持ちとしては準備運動のような気持ちだ。

大きくゆったりとした切返しであっても課題はある。
それを忘れて漫然と切返しをしていた。
注意されてからは稽古が終るまで気持ちは張っていた。
大変だが、内容のある稽古になった。稽古は量や時間ではない。

連続写真を撮って気がついた。
師匠の面打ちも全日本剣道優勝大会優勝者の面打ちと同じなのである。
入り方は違うが、竹刀を振り上げる間合いは相手の鍔元なのだ。
自分の打ちは、もっと遠いところで振り上げている。

鍔元まで入って強く打てるということは筋肉以上に手首の柔らかさが必要だ。
いつでも打てる身構え気構え。そして柔らかく素早く打つのが課題である。
そして足を大きく出してもぶれない体幹が大事なのだと改めて思った次第である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長正館定例剣道稽古(2018年9月12日)

2018年09月13日 | 剣道・剣術
東住吉区は矢田中学校の体育館で19時半から。
かなり涼しくなった。稽古日和である。
----------------------------------------
【長正館練習生募集中】
初心者、経験者を問わず練習生募集中。
詳しくは長正館ホームページまで。
http://www.doujyo.net/choseikan/kendo-nyuukan.htm
----------------------------------------

19時過ぎからS口二段、I口初段と剣道形7本目まで。

準備運動、素振り、基本稽古のあとは自由稽古。最終13名。
21時で終わる予定が21時を大きく過ぎてしまった。


(19時半までは剣道形稽古)


(準備運動)


(基本稽古)


(初心者は井上館長が丁寧に指導する)


(F六段とK芦五段、K芦五段は右手で振り上げ右足を上げ過ぎるクセが直らない)


(K野三段とK部五段)


(F六段とS口二段)


(K澤三段とH尾二段、K澤三段は打つ前に姿勢が崩れるクセがある)


(次の瞬間、思い切って面に飛ぶK澤三段)


(姿勢は悪いが、良いタイミングで小手を放つK澤三段)


(K川四段とF六段、K川四段はアゴが上がり過ぎるクセが出る)


(K野三段とH尾二段)


(I口初段の子供たちへの指導、自分の打ち間までしっかり入って一挙動で打つ指導)


(稽古終了)


【感想・反省点】

下の者と稽古する時は、自分の基本稽古のつもりで稽古している。
思うところがあって、足で攻め入るのではなく腰で攻め入ることを意識した。
腰を入れていくと相手が反応するのがわかる。わかるがそこまでである。
腰を入れて、攻めを継続したまま打突に繋げるまでは至らない。
動けば即座に打つ、動かなければさらに入って打つ。ああ難しい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤信号で直進してくる車とバイク(2018年9月12日朝)

2018年09月12日 | バイク・クルマ
ほぼ毎日のように通る国道170号線旧道(東高野街道)。
東大阪市池之端の信号で私は北から来て南下せずに右折する。

2018年9月12日朝8時44分頃。
右折のため減速中、信号は青から黄色に変わる。
停止線を越えていたので右折しようと加速を始める。
(後ろには同じように右折車が続いていた)

前から強引に青い車が進入してくるのでクラクションを鳴らす。
信号は両方とも赤になったが、青い車は加速しながら通り過ぎた。
そのあとのバイクも青い車に続いて進入してくる。
横の信号は青なのでこのバイクは完全に信号無視である。

右折車がいる場合、黄色信号では右折車を優先させるべきだ。
でなければ交差点での事故は多発してしまう。
ベテランドライバーなら常識である。
下手くそを通り過ぎて馬鹿としか言いようがない。

今朝の青い車(トヨタルーミー は 17-22)とバイクのように、
右折車がいるのに、黄色信号で加速してくる馬鹿は、
一度(単独事故で)死んでいただきたいと強く願う。

なお、この交差点、南北東西ともに混雑するので、
右折車がいると直進車が進めず渋滞の原因となる交差点である。
そのため右折車がいると、譲ってくれる直進車(特に路線バス)も多い。


(この時点ですでに停止線は越えている、後ろの白い軽バンが通り過ぎたら右折出来ると判断)


(左折トラックのため少し鋭角に右折しようと判断、こちらの後ろに後続の右折車1台あり)


(信号は赤に変わるが青い車が加速してきたので「止まれ」の意味でクラクションを鳴らす)


(赤信号で加速する青い車、後続のバイクも突進してくる)


(こちら歩道上、青い車は少し避けたが、歩道の自転車が驚いて立ちすくむのが見えた)


(後続のバイクが通過する前に、横の信号は完全に青になっていた)


(後部のドライブレコーダーに写った青い車とバイク)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の空、秋の猫、思うことつれづれ(2018年9月10日)

2018年09月11日 | うちの猫の写真
あれほどの猛暑だったのに急に爽やかな気候になった。
良い季節のはずなのに体調が悪い。どうも全体のバランスが悪いようだ。
昨夜の稽古(なんば養正会)も行くかどうか悩んだが結局は休んでしまった。
猛暑に慣れた身体が弛緩して堪えようが無くなったかのようだ。

ネットの動画で全日本剣道優勝大会優勝者の面打ちを見た。
おや?と思ったので何回も何回も見た。仕事そっちのけ。
ああ、なるほどなあ、そうだったのか。あれ、でもどうなんだろう。
理解出来るまでここで詳しくは書かない。

夏の空から秋の空に変わる季節。
空に夏の雲と秋の雲が混在している。
5日の夕方、稽古に向かう時の空は完全に秋の空だった。

猫は相変わらずグウタラとしている。
毎日一回、三匹を、かわりばんこに抱っこして頬ずりしてやるのだが、
どうも皆、一様に迷惑らしい。恩知らずなやつらだ。ちとは我慢ぜい。


(9月5日、稽古に向かう途中の信号待ちで西の空を写す)


(トリミングして色調補正)


(星ちゃん、いつもの定位置で)


(月ちゃん、、床で新聞を読むと必ず乗っかってくる迷惑猫さん)


(みーちゃん、一番でかいのに一番臆病、でも好奇心は強い)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

No.23(昭和61年1月15日)白雲自去来=禅の教え

2018年09月10日 | 長井長正範士の遺文


○白雲自去来=禅の教え
人間はすべて迷いの雲にかかって、かすんでいる。
修養すれば白雲は自ら去ると禅で教えてある。剣道もその通りである。
迷わぬ心を作りあげる為の剣道であるにもかかわらず、
いつまで経っても生死の間に入って打とうか、
打たれやせんかと心ばかり働いて迷い乍ら叩き合いしている。
これは剣道ではなく、しない競技である。
(しない競技は間がいらぬ。間に入って当てればそれでよいが)
剣道精神は切落しの精神なり。よくよく心得の事。

○一休和尚の話
或る日、弟子達に、見事な五葉松の盆栽を見せ、
『この曲げた五葉松をどう見たら真っすぐに見えるか』と質問した。

皆が数日、この問題を考えてみたが判らない。
愈々(いよいよ)答えの日が来て、夫々(それぞれ)答えた。
或者は大自然の松を小さな盆栽によくまとめ現してあるとか、
何十年経ったであろうが生々として手入れがゆき届いているとか、
枝ぶりがよいとか等々答えたのであるが皆正解ではない。

その時末席に居った若弟子が『よくいがんでいます』と答えた。これが当りー。
然し一休和尚は「今丁度この辺りに蓮如上人が来ておられると聞く。
この答えは蓮如上人様以外は答えられない筈である。
お前、上人様に聞いたのであろうと言われ、若弟子は「その通りです」と頭を下げたと言う話。

即ちありのままを見る。これが正しい。曲がったものを真直ぐ見るのはいかぬ。
剣道もその通りである。居並ぶ弟子達は成程と悟ったと言う。

○悟りの道はスカッとして人間のアカヌケしたものである。
悟りとは相手の暗示がキチンキチンと当てはまっている。
この世の自然体が即人間であらねばならぬ。
私は高僧が禅の話をされる時、いつも剣道家として剣に置きかえて拝聴している。
そうすると、剣道の修業に大変プラスになる。

○剣道はあらゆるものに生きてゆく。
自然の恩恵に感謝する。そして錬ってゆく=剣禅一如、このところ大切。

○本当のよろこび=苦しい時にもよろこびがある。
苦しい時にもよろこぶ。本物。

○剣道の本当の奥義は、かけず、かからず、表はれず、本当の奥は説明も出来ず。

○相手を打った時の手の内について
ぐっと握りしめて、パッと開くと手の内が白くなる。
これは瞬間血が止まっている。ここが大切。そしてサッと流れる。
これが身体のたんれんにつながるのである。
血液の循環がパッと止まり、サッと流れる。
このくり返しが身体のたんれん上大切である。
この項終り
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

往馬玄武会と宝剣会での稽古(2018年9月8日)

2018年09月09日 | 剣道・剣術
金曜日の夜は深夜の作業があったので事務所に泊まる。
土曜日の朝から受注作業を行い、一段落してから往馬玄武会へ。

往馬玄武会は多様な剣士が集まる。
言ってみれば地元の小規模な合同稽古会のようなもの。
上下関係は無く、和気あいあいムードであるのも良い。
こういう雰囲気は好きだ。子供も入れて12名が集まった。

事務所に戻り仕事の続き。
夕方の一刀流の稽古は時間が無くお休みした。
夜は宝剣会。午前中と同じ生駒市武道館。
参加者は4人だけだが短くも激しい稽古だった。


(往馬玄武会の稽古風景、主に回り稽古方式で万遍なく当たる稽古が多い)


(夜は同じ場所で宝剣会の稽古、残念だが稽古中の撮影は禁止である)


【感想・反省点】

往馬玄武会での稽古は前半は審査稽古。
A七段とともに五段審査、六段審査者の指導を行う。
姿勢、構え、礼の仕方、竹刀の抜き方、構えを解かないなどなど。

後半は回り稽古。まずはM尾六段。稽古は実に20年ぶり。
M尾六段は20年ほど前に雲耀館で一緒に稽古した仲である。
お互いに年を取ったが楽しく良い稽古をした。

宝剣会では、基本稽古のあとは地稽古。
人数が少ないので長めの稽古になる。
師範の石丸七段は近間の攻防が得意だ。
うかうかしてると文字通りボコボコに打たれる。
終わってから「手先で打つな、足と腰を使って打て」と言われた。

遠間からセオリー通りに攻め入って打つと上げ小手と返し胴の餌食になる。
「はい」と答えたものの、近間での打ち合いも稽古だと思っている。
石丸師範の猛攻に対処出来ればあらゆる難剣に対処出来るというものだ。

剣道は面白い。がんばろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

No.22(昭和61年1月15日)剣道で五倫五常の精神をどこで養うかということ。

2018年09月08日 | 長井長正範士の遺文


○剣道で五倫五常の精神をどこで養うかということ。
剣先を合わせ、静から動へと変るその機に望んで五倫五常の道の根源をさぐるのである。
でなければ迷ってしまうのである。
之がため、気剣体の一致、心気力の一致に努力するのである。(№16参照の事)

五倫の道=人の守るべき五つの道
(戦国時代の哲学者孟子が学を孔子の孫、子思の門人に授く。)

1.君臣-義(物事の理に叶ったこと。人のためにつくす。人として当然なすべき正しい道。)
2.父子-親(したしみ)
3.夫婦-別(区別)
4.長幼-序(順序)
5.朋友-信(真実。欺かぬこと。疑わぬこと。)

五常の道=儒教→春秋時代の学者、孔子を祖とする数学

1.仁-いつくしみ、思いやり、博愛
2.義-人の道のためにつくすこと。
3.礼-うやまって拝すること。
4.智-ものごとを理解し、是非、善悪を弁別する心の作用。ちえ。かしこい。
5.信-信実なこと。欺かぬこと。疑わぬこと。

註:以上は恩師、吉田誠宏先生よりご指導頂いたが、
私ごとき未熟者には雲をつかむような深遠にして崇高な教えであり、
生涯かかって皆さんと共に修養してゆきたいと思います。

○服従と盲従とは違うと言うこと。
服従は相手の意思通りに従う。盲従は是非をわきまえずに、盲目的に従うを言う。
この事は剣道に於いては特に大切なことであり、
立派な先生、先輩に服従してゆくところに人間の道が立ってゆくのである。

○声つぶしと言うこと。=一年のうち春秋二回声をつぶすこと。
春の芽の出る時、秋の葉の落ちる時、海が山に向かって腹の底から声をしぼり出す。
これをしっかりやっておれば、どんな時でも声が枯れない。
私は吉田先生よりこれを身をもってご指導頂いた。

○なやす。こなす。ねる。の意味。
なやす-相手が打とうとすると、その剣先をうんとつめる。
こなす-相手の手元を強くするために、表又は裏から軽く攻めて、刃の鎬でこなす。
ねる-うどんを作る時、粉と水でねる。
そのねると同じ意味で間をおかず打ってやり、相手の心と肉体の統合点をねる。

○指導者の心得=下をあつかうのに三段階あり(一刀流)
1.打つようにして打たない→そこを打たす-初歩の間。
2.打つようにして打つ→習熟してくれば。
3.打たぬふりして打つ→出来た者には。

この項終り
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本剣道形、七本目まで(木曜会、2018年9月6日)

2018年09月07日 | 木曜会(誠先生の剣道教室)
木曜会稽古。四條畷の市民活動センター。
今年30回目。人数は30名近く。

実は体調が悪かった。
夏風邪のような頭痛で、出荷が終ってから仮眠した。30分ほど。
起きたら身体がふらつく。めまい。寒気を感じるが汗が出ている。
気温の変化に身体が順応しないようだ。

本日は日本剣道形の稽古。
着替えて素振りをしていると若干体調が戻ってきた。
二人組、お相手は滋賀の若手七段。

師匠の説明の全部は省く。
以下、なるほどと思った部分のみ記す。

一本目は先の気位で。
打太刀は左諸手上段のまま3歩進むが、最後の右足の引き付けが重要。
仕太刀は一拍子で抜いて打つこと。
仕太刀は2歩下がるが、1歩目は小さく、2歩目はやや大きく下がる。
構えを解いて下がる際も、最後の右足の引き付けを忘れないように。

二本目の中段の構えが低過ぎる者が多い。
一足一刀の間で剣先の延長線上が相手の正眼になる高さで構える。

三本目の打太刀はしっかりと仕太刀の水月を突くこと。
仕太刀の突き返しは胸部。あとは気当りなので突かない。

四本目は陰と陽で様子を見る構え。
打太刀の八相の構えは、上段を取るぞぉ~、でも八相。
仕太刀の脇構えは、上段に構えるのか、え
打ちは「気打ち」で打ちにあらず。お互いに上段を通って打つ。
巻き返す時は突こうとした瞬間に鎬を使って巻き返す。左手は頭上。

五本目の仕太刀は打太刀の上段に対して左拳に剣先を付ける。
打太刀はしっかり右足を引き付けて、物打ちが仕太刀の頭上に届くように打つ。
仕太刀の残心は緩急をつける。剣先を顔の中心に付ける時はゆっくり。左上段は早く。

六本目
【註】五つの構え(五行の構え)
上段の構えは火の構え、中段の構えは水の構え、下段の構えは土の構え、
八相の構えは木の構え、脇の構えは金(ごん=かね)の構え
 火<水<土<木<金 これを五行相剋(そうこく)と言う。
中段(水)に対して下段(土)になり、下段(土)に対して上段(火)となる。
再び上段(火)に対して中段(水)となり、しかたなく中段に戻って小手を打つ。

下段から攻め上げる時は相手の左拳を攻め上げる。
摺り上げ小手は払い小手にならないように。

七本目
打太刀は仕太刀の胸部を突く。気当りの突き。
仕太刀の右足は進行方向に向くが、2歩目の左足の向きは横に出すのがコツ。
胴を打って抜いた時の腕と刀は一直線(腕と平行)となる。
元に戻る時は7歩ぐらいで戻る。打太刀が大きく回ると元の位置に戻りやすい。
戻る足捌きのやり方はいろいろあり、相手と事前に合わせると良い。
胴を打たずに脇を打っている者が多い。(終ってからの雑談で・・)


(狭いので二班に分かれて行った)


(仕太刀の目付は打太刀から外さない)


(刀と腕が平行であって床と平行では無い)


(胴を打つ時の左足の向きにコツがある)


【感想・反省点】

剣道形は概ね理解していたつもりだが間違っていたことに気がついた。
一本目の仕太刀が左諸手上段から構えを解いて中段に戻る時、
右足から下がっていたが日本剣道形解説書には、
-------------------------------------------------------
打太刀が剣先を下段から中段につけ始めるので、
仕太刀も同時に左足をひいて諸手上段を下ろし、相中段となり
-------------------------------------------------------
とある。どこにも右足から下がって相中段になるとは書いていない。

今まで長正館や、本日のお相手(A野七段)には間違って教えていた。
深くお詫びし反省し、以後気をつけたいと猛省する次第である。

なぜ間違ったか?

昔(恐らく日本武道館武道学園時代)に、
「剣道形は進行方向にある足から動かし動かした後は最後の引き付けが大事である」
と強く教えられてきたからだろうと思うのである。

六本目の仕太刀の上段から戻る足は右足からである。
高段者でも間違っている者が多いのがこの足である。

何の疑いも無く一本目も同じと考えていた。
今までずっと右足から下がっていたが指導されたことも無い。

つまり、通常の右足が前の場合、
前に出る時は右足から、下がる時は左足から踏み出す。
右に行く時は右足から、左に行く時は左足から踏み出す。
進む方向の足から動くことが自然と身体に染み付いていたわけだ。


で、ここからは独り言。

と、ここで(いつものことながら)疑問が残る。
元の大日本帝国剣道形には足捌きは書いていないのである。
-------------------------------------------------------
(打太刀が)下段ヨリ剣尖ヲ中段ニ着クルヲ仕太刀モ同時ニ上段ヲ下ロシ相中段トナリ
-------------------------------------------------------

つまり「左足」は、昭和56年12月7日制定において書き加えられた部分なのである。

色々な先生方の剣道形を拝見させていただくと、
大きく踏み出し左上段に残心を取った場合、戻る足捌きにいくつかの特徴が出る。
(あくまで大きく踏み出し左上段に残心を取った場合だけである)

右足から動き出そう(ピクッと動く)とするが左足から引く。
引く距離が足りずに横手合わせにならない。
横手に合わせようとして打太刀(あるいは仕太刀)が調整する。
同じく、間合が詰まり、妙に構えが小さくなっている。

など、ここはやはり、右足から下がるのが自然であり、
理合(残心の取り方)的にも無理の無い考えだと思うがいかがであろうか。
せめて「どちらでも良い」としてくれないものか。と思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長正館定例剣道稽古(2018年9月5日)

2018年09月06日 | 剣道・剣術
東住吉区は矢田中学校の体育館で19時半から。
定例稽古(正規の稽古)は7月25日以来である。
(8月は夏休みだが今年初めて5回もの自主稽古を実施した)

東大阪から1時間20分もかかってしまった。
空いていれば30分で来れる距離である。
台風21号の後遺症があったのかも知れない。
電車も遅延しているという話だ。

急な用事や残業、風邪で参加者は合計8人だった。
先週より涼しいとはいえまだまだかなり蒸し暑い。

初心者のTちゃんには井上館長が所作の指導。

準備運動、素振り、基本稽古のあとは自由稽古。
K君にはともかく大きく声を出すよう指導した。
途中で有段者のみで相面の稽古を行う。
そのあとは自由稽古だが21時をかなり過ぎてしまった。

終了後にS口二段と形稽古。6本目、7本目の裏表。


(面着け、奥では初心者指導)


(基本稽古開始)


(井上館長のTちゃん指導)


(K部五段と井上館長)


(K川四段とS口二段)


(同じく)


(同じく)


(同じく)


(同じく)


(K部五段とK川四段)


(井上館長とS口二段)


(K芦五段と井上館長)


【感想・反省点】

久々にS口二段の写真を多く撮ってみた。
姿勢が崩れていないかどうかを見るためである。
特に問題は無いように思える。

ここからは独り言。

「遠間から打て」は指導者がよく口に出す言葉だ。
少し剣先が交わったところで「そこから打て」ということもある。

遠間から無理やり飛ぼうとすると当然右足が上がる。
上がると「右足が上がっている」と言われる。

正しい姿勢で確実に打つには間合を詰めて打つ必要がある。
正しく打てる間合まで入って打つと「近い」と言われる。

近間で正しく打てるようになってから、少しずつ遠く打てるようにする指導と、
ともかく遠間から打つのだ・・という指導の狭間で剣士は悩む。

遠間から打つにはしっかりした体幹が必要となる。
体幹も出来ていないのに無理やり遠間から打つと姿勢が崩れる。
前傾姿勢で体軸がブレ、右回転に捻りながら打って左脇が空いたり、
アゴが上がったり、跳ね足になったり、打つ際に右足を大きく上げてみたり、
結果として踵を痛めることもよくあることだ。

ともかく遠間で打てるようになってから姿勢を矯正するという指導もあるが、
この方法は私にはどうしても無理があるように思える。

まずは近間で正しく打てるようにすることだ。
そこから攻めて打つことを覚え、打ち間を徐々に遠ざけるというほうが、
指導としては間違っていないように思える。

(実際には「自分の打ち間までどう入るか」という稽古が重要になる)

下の者が遠間から打ってくるのを捌くのは楽である。
まさか自分が楽だから「遠間から打て」というのではあるまい。
まずは「正しく打てること」が大事。これが正しいという打ち間は無い。
打ち間は人それぞれの力量で違うと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台風21号(2018年9月4日)

2018年09月05日 | つれづれ
台風21号が来ているが仕事柄(ネット通販)休むわけにもいかぬ。
ガラガラの道を奈良から東大阪まで車で来た。
晴れ間が出て台風が来ている風には見えない。

天気は午前11時過ぎから急転した。
時間が経つにつれ風が強くなる。
14時がピークだと思った。
雨は思ったほど強くはなかった。

事務所はベランダのフェンスが壊れた以外は被害無し。
佐川急便の集荷が無くなったのは痛い。
お客様全部にお詫びのメールを送る。

帰りは渋滞していた。家もなんら被害無し。


(台風21号の進路)


(宇宙から見た台風21号)


(一番風が強かった14時頃の雨量)


(事務所近くの信号機)


(赤だけひっくり返っていた)


(帰り道は倒木の撤去作業で渋滞していた)

--------------------------------------

以下はおまけ。

21号の進路は第1室戸台風、第2室戸台風の進路と似ていると言う、
第2室戸台風(1961年-昭和36年9月16日)の時は実家の屋根が飛んで大変だった。
当時の写真が残っているので下に添付しておきます。


(台風前の実家、引っ越したばかり)


(屋根のほとんどが吹き飛ばされた)


(後片付け、左端に母、中央が叔父、右で座っているのが私)


(勝手口からみた台所、懐かしい1ドアの冷蔵庫が見える)


(少しあとの修理が始まる頃、右側にお袋、私、祖父が座って食事をしている)



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

No.21(昭和61年1月10日)三十、四十、七十、と言うこと

2018年09月04日 | 長井長正範士の遺文


○三十、四十、七十、と言うこと
一度テレビのクイズに出しても面白いと思うのですが、これは年齢を表しているのです。
即ち、三十才、四十才、七十才で果たして何を意味した年齢であるのだろう。
それは三十才は相撲の限界、四十才は柔道の限界を言い、七十才になっても尚、
出来るのが剣道であると言う数字を表しているのである。

そして剣道は七十才台に入って、剣が益々冴え、八十才になっても、立派な稽古が出来る。
これが本物の剣道であると言えよう。

このように考えてみると、すべて肉体的な力の鍛錬には限度があり、
(例えば若い時、米俵を高々と持上げても六十才過ぎて、
これを持上げられるだろうか。それは出来ない)これに対し精神鍛錬は無限である。

如何に剣道には力よりも精神の鍛錬の方が大切かが判る。
力も技のうちと言うような相撲や、現在の柔道とは自ら違うのである。

特に剣道では精神的な無形の力が術(註)をあみ出してゆく。
そしてその術から道へと昇華され本物の剣道に入ってゆくのである。

これを考えずして、よい年をして、若い時と同じように、(自分の調子で、
どんと踏み込んで打っていったり、スピードで叩き合いしたり、腕力で
打ち勝とうとする等)力にたよった剣道をする者は長続きする筈がない。
(ここのところは№3、№10を参照されたし)

 (註) 術とはたね明かししたり、なぜそんな不思議なことが出来るのかと
    口頭で説明を聞いたりして、何んだそうかと簡単に思って、
    いざ、自分がやってみると、そうはうまくゆかない。

    即ち長年の間、鍛錬した賜ものによって体得したものを術と言う。
    世に奇術、魔術、忍術、馬術等、術のつくもの皆それである。
   (術は目に見えぬものである。)

○心の鍛錬について
鍛錬は憂い、嘆き、悲しみ、嫉妬の罪悪の心を打ち沈めてゆく。(宗教では我を捨てる)
そしてあらゆる迷いの心を肝を錬ってなくす。(№2参照のこと)

この肝を錬るために形をやるのである。形はかたちではない。形には名称がある。
その名称をつけられた精神を具現してゆく。古流の形を鍛錬すれば心が動揺しない。
自源流(粕井註:自顕流、もしくは示現流か?)は砂の上を走って足あとがつかない迄修業すると言う。
正林寺拳法(粕井註:少林寺拳法か?)は水の上を走れるまで修業すると言う。

いずれもここまでいかなければ本物をつかめないだろう。
道は深遠にして生涯極めつくし難し。死ぬ迄修業である。

○構えの手足のバランスについて
剣道の正眼の構えで竹刀を持った両拳の巾が、両足のつま先の巾と同じであること。
槍やなぎなたの構えも然り、巾広くまたがっただけ両拳の巾も広く同じである。

ここが大切で背の高いコンパスの長い者はそれなりに手足の巾が等しく広いのは当然で、
腰を中心としたバランスの動きが大切で、アンバランスは心身の鍛錬につながらない。完
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長正館月例稽古(2018年9月2日)

2018年09月03日 | 剣道・剣術

(湯里小学校の正門前)


(カギ開け当番だったので、カギを開け、誰か来るのを待っている間に記念撮影)

東住吉区湯里小学校の体育館。
17時~18時は一刀流、18時半~20時が剣道稽古の予定。
とても蒸し暑くて蚊が多い。二日酔いで元気無しやる気無し。

一刀流は人数が少なく4人で刃引の稽古。
時間が余ったので剣道形の稽古。

剣道稽古は全部で12名。
7月と同じく無理をしないで誰でも自由に面を外して良いことにした。
こういう蒸し暑い時の稽古は無理をしないことが鉄則である。
18時半から開始したが7月と同じで1時間で終了した。


(月例稽古は準備運動と素振りのあとは基本はせず、すぐ自由稽古である)


(井上館長の定位置)


(井上館長に懸かるS口二段、遠間から打てと言われ戸惑っているようだ)


(出稽古のF井六段とK芦五段)


(K芦五段は右手で振り上げるクセがあるので出小手の餌食になり易い)


(F六段と井上館長、咽喉元を制される)


【感想・反省点】

長正館の暑気払いで飲み過ぎたので、昼間の仕事もはかどらなかった。
16時に事務所を出発。気持ちが優れず一般道を止め高速で向かう。
一般道で渋滞にはまるのがイヤだったから。

稽古は休み休みやった。S口二段には返し胴を教える。
基本的には問題なく使えるのであとは実線で打ち馴れることだ。

自分的には剣先をどこに付けるのかという課題。
自分の剣先が甘いと自覚しているので意識してみた。
あとは駄目。途中で何回か吐きそうになった。お酒が残ってる感じ。
稽古では、とうとう1回も良い面は打てなかった。


(今夜は酒は飲まないと思っていたが水分補給として軽く2本だけ頂いた)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長正館暑気払い(2018年9月1日)

2018年09月02日 | 剣道・剣術
久々の暑気払いである。
大池橋の予約専門焼肉店「味園」である。
大阪の剣道人には結構名が売れている。

鶴橋からコリアタウンを抜けて大池橋の味園まで。距離は2.5キロほど。
途中で良く冷えた日本酒を3本買っていく。

急な集まりで人数は少なかったが宴会は盛り上がった。
むちゃくちゃ飲んでしまった。ダメ押しのビールが効いたかも。

家に帰ってからの記憶がほとんど無い。
よく無事に帰れたもんだ。


(御幸通り商店街のコリアタウンを抜けていく)


(井上館長の挨拶のあと、K芦先輩の乾杯の音頭で始まる)


(豪華豪勢なお肉)


(お決まりの集合写真)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

No.20(昭和60年12月1日)興生産業株式会社の社是から

2018年09月01日 | 長井長正範士の遺文


○巽義郎君(前述した、やまびこ会館を作った竹馬の友)に教えられた事
(以前お話したことをまとめました)

もう十五年も前の話だが、或る日、東成区にある彼の会社
(電機、機械工具の興生産業株式会社-当時社長-現会長)を訪れた時、
「長井君、長い間、考えぬいた挙句、ようやく出来たんだが会社の社是を見てくれ、
どうかな、もっといい表現の仕方あれば直してくれ」と相談を受け、
その社是を見て驚いた。そこには、

『売る商品に心を乗せて、物皆に感謝し、商売を楽しむ無欲の欲』

と書いてある。私はそのすばらしい社是を見て暫くは絶句した。
その間、私の脳裏に剣道もそうではなかろうかと、
遠慮がちに教えてくれる彼の友情に万感胸を打ち「うーん」と思わず唸ったのである。

私は直すどころか、この社是こそ即ち剣道の精神と教えられたのである。
数日後、彼の依頼により額用にと書かせて頂いたが、その後、会社を訪れるたびにこの額を見て、
わが字ながら益々道の深遠なるを思い知らされるのである。

「売る商品に心を乗せて」=剣道で構えた時、相手に対し、自分の最高の道徳を竹刀に表現してゆく。

「物、皆に感謝し」=大宇宙、大自然のすべてのものに感謝報恩の念を抱き

「商売を楽しむ」=剣道を楽しむ境地まで進まねばならぬ。
 即ち三昧(精神を一事に集中し、心のおもむくままに余念がない)の境地。

「無欲の欲」=非常に意味深遠で簡単には表現出来ないが、
 商売で金を儲けたいのは山々だが、その欲の心を押さえ、
 捨て身のサービスをするところに薄利だが結局、儲けさして頂く。
 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれの如し。

一体商売ではよくある事で、
去年ある商品が大変値よく売れたが品薄で、結果として余り儲からなんだ。
今年はこのような事のないようにと安い時に澤山仕入れてひと儲けしようと、
たくらんでいたが、いよいよ販売の時期となると値下がりしてさっぱり売れず、
持ちになって赤字になった例の如く思わくは禁物である。

剣道も己だけの調子で打ってやろう勝ってやろうと
打って出たら必ずやられるのと同じである。

このように自分の欲を一切捨ててしまうところに生きる道があるので、
剣道精神も亦、一刀流の切落しの精神から出ていると言っても過言ではあるまい。
このような意味で巽義郎君をただの親友でなく心から尊敬しているわが師と思っている。完

---------------------------

【粕井注記】

興生産業株式会社のホームページを拝見すると社是があった。



↓興生産業株式会社のホームページ
http://kousei-sangyo.co.jp/outline/index.html

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする