さくら日記でございます。

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★助けられた記憶は本当の信頼関係へ 光秀の正室・妻木煕子の「黒髪伝説」

2020-09-28 10:28:23 | 「食べ物」


お疲れ様です。
みなさまお元気ですか?

今日はいただき物です。
2019年にちょっとした不注意から
「大腿骨頸部骨折」


2ヶ月くらいの入院を経て
なんとか回復、
現在は、日常生活はほとんど問題なく
過ごせるようになりました。

そんな出来事があった1年後
全職場の先輩が
ハシゴから落ちて
同じ「大腿骨頸部」を骨折

私よりさらに、厳しい状態だったのですが
先日退院されたということで
このお菓子をいただきました。



頂いたのは
福井の
名代石窯焼き煎餅「五月ヶ瀬」
「さつきがさね」と読むそうです。

そして、パッケージが期間限定ということで
「明智光秀公「黒髪伝説」」の包装バージョン
2020年大河ドラマ「麒麟がくる」
にちなんでの期間限定のようです。

みなさま歴史は詳しいでしょうか?
私のほうは、それほど詳しくなく
友人と飲んでいる時など
歴史的な名将の話が出てくる時があるのですが
そんなときは、聞き手に徹してしまう
そんな感じです。

ですが、今回
先輩が元気に復活したという
ことで頂いたお菓子に
こんな包装があったので
ちょっと、いつものようにネット検索です。

明智光秀と言えば、みなさまご存知
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将

「天正10年6月2日(1582年6月21日)
早朝、京都本能寺に滞在中の織田信長を
家臣・明智光秀が謀反を起こして襲撃した」

「本能寺の変」で登場する歴史的人物

そんな「明智光秀」
愛妻家という一面があったようです。

正室は「妻木煕子(つまき ひろこ)」ただ一人と言われ
いろんな話が残っているそうです。

その中の一つが
この包装紙に書かれている「黒髪伝説」です。

◆「黒髪伝説」って

光秀は主君である斎藤道三・義龍の親子の
争いに巻き込まれ
義龍に居城の明智城を攻められて
戦いに敗れてい以降、放浪生活の身となります。

その後、美濃から越前へと逃れ
称念寺(福井県坂井市丸岡町長崎)の門前に
寺子屋を開き生計を立てて
いたようです。

なので、その時代はお金もなくて
暮らしは大変。
そんなときに光秀を支えたのが煕子でした。

当時、「連歌会」という
武士の仲間同士もちまわりで
互いにもてなし合う会
があったのですが

いざ、自分がもてなさなければならないとき
になって困ってしまいます。

客人をもてなすだけの
お金が無かった
のです。

光秀は途方に暮れて困り果てるのですが
それを救ったのが煕子です。

ほかの武士の家の食事よりも
さらに豪華な食事を容易して
客人をもてなした
のです。

食事が終わった後
光秀は煕子にどうやってもてなすお金を
工面したのかと尋ねます。

すると、煕子は髪を覆っていた頭巾を取り
自分の髪を売った
のだと打ち明けました。

たった一度のもてなし料理のために
自らの長い黒髪を売ってまで
光秀を支えたのです。

光秀はこの煕子の献身的な支えに感謝して
出世して城持ちになっても
側室を置かなかったと言われています。

諸説によると
煕子は美人だったからとか
子供の数からすると実は他にも女性がいた
などなど様々な話もありますが

困っていたときに助けられた時の恩は
心に残り、最も大きな信頼関係へ繋がる。
そんなふうにも思います。

詳しくは、こちらの動画に
いろいろと語られてました。
なかなかグットだったので
興味がある方はご覧ください。

光秀の正室・妻木煕子 光秀の愛妻家エピソード


ということで
今日は
助けられた記憶は本当の信頼関係へ
光秀の正室・妻木煕子の「黒髪伝説」
でした。