アマテラスは弟スサノヲのしたことを“登賀米受而<トガメズテ>”、更に、その原因まで愛情を懸けて周りの者たちを宥めております。それが
”酔而吐散<エイテ ハキチラス>”
即ち、お酒を飲んで余り飲みすぎて、それを吐いただけであって、決して、大小便(屎麻理)を散らしたのではないと弁護しております。誠にお優しい弟思いの姉でしょうかね。
これからもわかるように、当時、神の世にも、既に、あ酒は神々の間にも飲まれていた証拠です。ここで日本の歴史に初めて「お酒」が登場します。これが、後に出雲の国でのスサノヲがオロチ退治をする場面で「お酒」を使う事の誘因になっているのです。誠に上手な文章の構成だと思いませんか。
何処までも優しい姉を書いております。更に、その優しさはまだまだ有ります。田の畔をめちゃめちゃに壊したスサノヲに対してもその優しさが現れております。
“我那勢命<アガ ナセノミコト>”
最大限の敬愛を込めて「なせのみこと」と弟を呼んでいるのです。
「弟が畔を壊したのも、溝を埋めたのも」
“地矣阿多良斯登<トコロヲ アタラシ ト>”
「そこは新しく開くと立派な田になると思って」。
”為如此登<カクシツラメト>”
「あのように壊したのです。」と。・・・なんて心やさしい姉でしょうかね。
ここで一言
。
「教育勅語」だなんて、何だか今日の政治は変な方向に向かっているように思えるのですが、それよりも、もっと、このような古事記からのお話を小学校の道徳の時間に取り入れるべきではないでしょうかね。どうお思いでしょうかね?????