邇邇藝命往一行が、苦労に苦労を重ねて、ようやくに、葦原中国への出口である天浮橋に到着されます。そこからです
“宇岐士摩理。蘇理多多斯而<ウキシマリ ソリタタシテ>”
と書かれておりますが、これ又、「何が何んだかさっぱり分からず」????その意味する所をと、又、宣長先生にです。でも、先生もですが、
“此ノ語甚心得難し”
としております。それほど、この11文字は難解な語句なのだそうです。そこで、宣長先生は、その解決の糸口を「日本書紀」から引きづり出しております。そして。彼は言います。
“宇岐士摩<ウキジマ>は、地の堅まらずて、浮て泥<ヒジ>の如くなる故に、(蘇理<ソリ>は橇で)此ノ物に 乗て、とほり賜ふなり。多多斯<タタシ>は、立之に同くて、橇に乗て発<タタ>し行く意なり・・・”
とも解釈できるのだけれども、
"・・・・そもなほさだかにも思ヒ得ず・・・・・なほよく考ふべきことなり”
として、なかなか解釈するのに骨が折れると書いておられます。それくらい簡単には解釈できない場所でもあるのです。
“宇岐士摩理。蘇理多多斯而<ウキシマリ ソリタタシテ>”
と書かれておりますが、これ又、「何が何んだかさっぱり分からず」????その意味する所をと、又、宣長先生にです。でも、先生もですが、
“此ノ語甚心得難し”
としております。それほど、この11文字は難解な語句なのだそうです。そこで、宣長先生は、その解決の糸口を「日本書紀」から引きづり出しております。そして。彼は言います。
“宇岐士摩<ウキジマ>は、地の堅まらずて、浮て泥<ヒジ>の如くなる故に、(蘇理<ソリ>は橇で)此ノ物に 乗て、とほり賜ふなり。多多斯<タタシ>は、立之に同くて、橇に乗て発<タタ>し行く意なり・・・”
とも解釈できるのだけれども、
"・・・・そもなほさだかにも思ヒ得ず・・・・・なほよく考ふべきことなり”
として、なかなか解釈するのに骨が折れると書いておられます。それくらい簡単には解釈できない場所でもあるのです。