いよいよ「神武<ジンム>天皇」もその終焉です。
ここまで古事記をつらつらと私の思いによって、果たしてそれが古事記の持つ本来の正論か、それとの私の持論かわからないのですが、いい加減に読んで来たのですが、此処まで来て、
「はて、これは果たして何?」
と、疑問点が浮かび上がってきました。神武記の最終の項目を見た時です。そこには
“凡此神倭伊波禮毘古天皇。御年壱佰参拾漆歳・・・”
と書かれています。これを見て、「おや」ここにある“凡<スベテ>”と云う字、これは一体何を意味しているのかと???
「神武天皇のすべては。そのお歳は137歳・・」
です。何が「凡」なのでしょうか。その意味することが分かりません。この“凡”と云う字が使われているそれまでの例としては「イザナギイザナミ」の2柱の神が生んだ島や神の数が書いてあると所にしか見当たりません。
その他は
“於是・是以・故・爾”
などの接続詞で以って文をすべて繋いでいたのです。それが、この場合には、「凡」です。どうして、それまでによく使われている“爾<ココニ>”でなく、“凡<スベテ>”なのでしょうかね???
ここまで古事記をつらつらと私の思いによって、果たしてそれが古事記の持つ本来の正論か、それとの私の持論かわからないのですが、いい加減に読んで来たのですが、此処まで来て、
「はて、これは果たして何?」
と、疑問点が浮かび上がってきました。神武記の最終の項目を見た時です。そこには
“凡此神倭伊波禮毘古天皇。御年壱佰参拾漆歳・・・”
と書かれています。これを見て、「おや」ここにある“凡<スベテ>”と云う字、これは一体何を意味しているのかと???
「神武天皇のすべては。そのお歳は137歳・・」
です。何が「凡」なのでしょうか。その意味することが分かりません。この“凡”と云う字が使われているそれまでの例としては「イザナギイザナミ」の2柱の神が生んだ島や神の数が書いてあると所にしか見当たりません。
その他は
“於是・是以・故・爾”
などの接続詞で以って文をすべて繋いでいたのです。それが、この場合には、「凡」です。どうして、それまでによく使われている“爾<ココニ>”でなく、“凡<スベテ>”なのでしょうかね???