綏靖より開化までの天皇はこの世に存在しない架空の天皇だとされ、「欠史八代」と言われていますが、その証拠となる歴史を探っています。
四代懿徳天皇の場合もそうです。皇后とその皇子など本当に簡単にその歴史が書かれております。その最後の部分を御読みください。
“天皇御年肆拾伍歳御陵在畝火山之真名子谷上也”
「45歳で亡くなり、畝傍山の真名子谷の上に御陵<ミハカ>がある」
と。
なお、「御年」についてこの「45」と言う数字が、誠に怪しげであるのです。日本書紀には、そのお年が何歳かとは出ていません。しかし
「安寧天皇十一年に皇太子になり、その時の年齢が十六歳」だ。」
と書かれております。これを安寧天皇の歴史から計算すると、少々複雑になりますが、どうしてもその年齢は七十七歳になります。興味あるお方は日本書紀をご覧ください。
ここら辺りの記述からも、どうしても此の天皇も「欠史」の一人にならざるを得ないのです。
四代懿徳天皇の場合もそうです。皇后とその皇子など本当に簡単にその歴史が書かれております。その最後の部分を御読みください。
“天皇御年肆拾伍歳御陵在畝火山之真名子谷上也”
「45歳で亡くなり、畝傍山の真名子谷の上に御陵<ミハカ>がある」
と。
なお、「御年」についてこの「45」と言う数字が、誠に怪しげであるのです。日本書紀には、そのお年が何歳かとは出ていません。しかし
「安寧天皇十一年に皇太子になり、その時の年齢が十六歳」だ。」
と書かれております。これを安寧天皇の歴史から計算すると、少々複雑になりますが、どうしてもその年齢は七十七歳になります。興味あるお方は日本書紀をご覧ください。
ここら辺りの記述からも、どうしても此の天皇も「欠史」の一人にならざるを得ないのです。