私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

懿徳天皇の「欠史八代」の証は・・・・

2019-10-26 11:38:13 | 日記
 綏靖より開化までの天皇はこの世に存在しない架空の天皇だとされ、「欠史八代」と言われていますが、その証拠となる歴史を探っています。

 四代懿徳天皇の場合もそうです。皇后とその皇子など本当に簡単にその歴史が書かれております。その最後の部分を御読みください。

 “天皇御年肆拾伍歳御陵在畝火山之真名子谷上也”

 「45歳で亡くなり、畝傍山の真名子谷の上に御陵<ミハカ>がある」
 と。
 なお、「御年」についてこの「45」と言う数字が、誠に怪しげであるのです。日本書紀には、そのお年が何歳かとは出ていません。しかし
 「安寧天皇十一年に皇太子になり、その時の年齢が十六歳」だ。」
 と書かれております。これを安寧天皇の歴史から計算すると、少々複雑になりますが、どうしてもその年齢は七十七歳になります。興味あるお方は日本書紀をご覧ください。

 ここら辺りの記述からも、どうしても此の天皇も「欠史」の一人にならざるを得ないのです。

 
 

それこそ「ひ つ け え ど」と言われそうですが・・・・

2019-10-26 05:37:20 | 日記
 もう一回だけ「即位礼」について書きますからよかったら読んでみてください。と言うのは22日が雨だったので余りこれも話題に上がらなかったのですが・・・・

 と言うのは、その翌日の新聞報道によりますと仏紙フィガロが伝えたのだそうですが
 「banzaiは文字通りには1万年を意味し、天皇の末永く生きるよう願うものだ・・・
 と解説を加えた」
 とありました。

 この「banzai{万歳}」ですが、我々誰でもが日常によく「ばんざい~」と両手を上げて大声を出して叫ぶように言いますが、その意味を「ちこちゃん」じゃあないのですが、余り深く考えないで使っていましたが、出処はこれだなと生まれて初めて思いました・・・・

 と言うことで、この「萬歳」について即位礼と合わせて考えてみました。
 此の日が晴れの日であったら、その前庭に沢山の幛幡が列立して、そこでも何らかの儀式があったはずなのですが・・・その幛幡の種類も、その立て方もやはり時代と共に変化するのだそうです。奈良平安の昔には
 「中央に銅鳥幢、左右に日月像幢、その左右に四神旛・・・これより南折して萬歳旛、鷹形旛・・・」
 をと「有職故實」にかいてあります。しかし、今回の即位礼では中央両側に立てられている旗は赤地に金糸で刺繍された「萬歳」と書かれた旗で、古来からの「銅鳥幢」等の旗は見ることはできませんでしたした。ここら辺りにも時代の変化が見られるのです。

 とまあ、知ったかぶりをして、今回の即位式について、くどくどと書いたのですが、また、明日からは「古事記」に戻ります。