今年はコロナ騒動でメーデーどころではありませんが、今日は労働者の祭典の日「メーデー」です。日本では、教科書によると、1920年(大正9年)から始まったのだそうですが、参加する労働者も年々増加して、大正14年のメーデーでは2万人の労働者が参加したのだそうです。その時の写真を持っておりますので、今日もお見せします。
上野公園での集会
デモ行進する人たち
<東京>
<大阪>
なお、当時、日本でも河上 肇などのマルクスの社会主義を研究する学者が増えて労働者の問題を社会問題として取り上げられるようになりました。
その河上肇博士が書いた著書(大正10年3月)
「社会問題研究」
の中で、次のような言葉があります。既に、当時から100年経過していますが、現代にも通じる大変面白い文章だと思いますので載せてみます。
“政治家は高所に立つを要する。何故というに、立脚地が高くなければ遠くが見えず、歴史の進行の帰趣が分らず、育つべき思想の見分けが出来ぬから”
この言葉を今の政治家たちはどう読むでしょうかね??果たして、安倍さんたち歴史の進行をどう見ているのでしょう。その場限りの自分の都合のいいように解釈して育つべき思想も何もないような政治をしているように思われますが???
上野公園での集会
デモ行進する人たち
<東京>
<大阪>
なお、当時、日本でも河上 肇などのマルクスの社会主義を研究する学者が増えて労働者の問題を社会問題として取り上げられるようになりました。
その河上肇博士が書いた著書(大正10年3月)
「社会問題研究」
の中で、次のような言葉があります。既に、当時から100年経過していますが、現代にも通じる大変面白い文章だと思いますので載せてみます。
“政治家は高所に立つを要する。何故というに、立脚地が高くなければ遠くが見えず、歴史の進行の帰趣が分らず、育つべき思想の見分けが出来ぬから”
この言葉を今の政治家たちはどう読むでしょうかね??果たして、安倍さんたち歴史の進行をどう見ているのでしょう。その場限りの自分の都合のいいように解釈して育つべき思想も何もないような政治をしているように思われますが???