今朝もまた問い合わせがありました。
「おいおい、犬飼松窓、三余塾とは一体ナンゾヤ???」
昨日、犬養毅の「5・15事件」で、彼に関して、その師匠の「犬飼松窓」とか「三餘塾」とかをちょこっとですが書いたのですが、それについての問いあわせがありました。
「それってな何だ??」
といわれるのです。
この人は、この吉備津の人たちであっても、おそらく岡山の人でも、もうとっくに忘れ去られてしまっている江戸後期の倉敷市庄にいた漢学者です。この人が開いていた塾が「三余塾」です。この塾に近くに住んでいた(4kmほどの隣の町庭瀬の川入)少年時代の犬養毅も、この塾の塾生として通っていて、その後の人生に大変大きな影響を与えたといわれております
そは松窓の書を持っていますので、今日はその師弟2人の書をみてください。
なお、「犬飼松窓」の本は県立図書館にもありますので、興味あるお人はご覧ください。
「おいおい、犬飼松窓、三余塾とは一体ナンゾヤ???」
昨日、犬養毅の「5・15事件」で、彼に関して、その師匠の「犬飼松窓」とか「三餘塾」とかをちょこっとですが書いたのですが、それについての問いあわせがありました。
「それってな何だ??」
といわれるのです。
この人は、この吉備津の人たちであっても、おそらく岡山の人でも、もうとっくに忘れ去られてしまっている江戸後期の倉敷市庄にいた漢学者です。この人が開いていた塾が「三余塾」です。この塾に近くに住んでいた(4kmほどの隣の町庭瀬の川入)少年時代の犬養毅も、この塾の塾生として通っていて、その後の人生に大変大きな影響を与えたといわれております
そは松窓の書を持っていますので、今日はその師弟2人の書をみてください。
なお、「犬飼松窓」の本は県立図書館にもありますので、興味あるお人はご覧ください。