マムシ咬傷とやらで5日間入院しておりました。その為五月五日の「子どもの日」に書こうと思っていた「私の菖蒲」を書くことができませんでした。少々遅くなって、それこそ「六日のアヤメ」ではありませんが「九日のアヤメ」を見てください。
まず、菖蒲ですが、古くかるからショウブは
「邪気を払う」
といわれ、日本でも平安の昔からいろいろな儀式が行われていたのです。清少納言の枕草子にも書かれております。その一つ「第三十六段」を
“節は、五月にしく月はなし。
菖蒲・蓬などの薫りあひたる、いみじゅうをかし。九重の御殿の上をはじめて、いひ知らぬ民の住家まで、「いかでわがもとにしげく葺かく」と、葺きわた したる、なほめずらし。いつかは、ことおりに、さはしたりし。・・・・・”
と書いて、最後に
“夕暮のほどに、郭公の名乗りてわたるも、すべていみじき”
でこの段を結んでおります。また205段などには
“所々の御桟敷どもに、菖蒲葺きわたし・・・”
とあり、屋根だけでなく、部屋の中にも桟敷を設けて、そこらあたりにやたらと菖蒲と蓬を置いていた様子がわかります。
それを真似て私も、毎年ですが、屋根の上と御床に菖蒲と蓬を敷き飾ります。今年は今日お飾りしました。
まず、菖蒲ですが、古くかるからショウブは
「邪気を払う」
といわれ、日本でも平安の昔からいろいろな儀式が行われていたのです。清少納言の枕草子にも書かれております。その一つ「第三十六段」を
“節は、五月にしく月はなし。
菖蒲・蓬などの薫りあひたる、いみじゅうをかし。九重の御殿の上をはじめて、いひ知らぬ民の住家まで、「いかでわがもとにしげく葺かく」と、葺きわた したる、なほめずらし。いつかは、ことおりに、さはしたりし。・・・・・”
と書いて、最後に
“夕暮のほどに、郭公の名乗りてわたるも、すべていみじき”
でこの段を結んでおります。また205段などには
“所々の御桟敷どもに、菖蒲葺きわたし・・・”
とあり、屋根だけでなく、部屋の中にも桟敷を設けて、そこらあたりにやたらと菖蒲と蓬を置いていた様子がわかります。
それを真似て私も、毎年ですが、屋根の上と御床に菖蒲と蓬を敷き飾ります。今年は今日お飾りしました。