初じめに書かなければならなかったのかもしれませんが、白居易は「長恨歌」の最初に“漢皇重色思傾国”の七字を持って書き出しております。しかし、玄宗皇帝と楊貴妃の出会いは開元十一年だと説明がしてあり、唐の時代の物語です。だから、本当は「唐皇」と書かなくてはいけないのですが、それを、敢て「漢皇」として書き出しております。どうしてそのような矛盾が生まれたのでしょうか???それに付いて歴史的に多くの学者たちが説明しておりますのでここでは省きますが、現代、我々が読むにあったて、そこまでの歴史的考慮が必要かどうかは分かりません。「漢だ。いや、唐だ」という時代的な差異を配慮して読まなくても、結構、「漢皇」であっても、楽しく読む事が出来、なんら異質なものとしては映らず、案外素直に受け入れられます。
「古文前集」には、「長恨歌」の補足説明として「不敢斥言唐君借漢為喩」とあります。「喩<ユ>」とは(それとなく言いふくめる)という意味です。
それにしても、長い長い楊貴妃と玄宗の恋物語を1句七言の120句の名句で(総字数840字)綴った超一級の詩です。
私の一番好きな歌を最後に書いておきます。
○驪宮高處入青雲、仙樂風飄處處聞
緩歌慢舞凝絲竹、盡日君王看不足
○夕殿蛍飛思悄然、孤燈挑尽未成眠
遅々鐘鼓初長夜 耿々星河欲曙天
○在天願作比翼鳥 在地願為連理枝
天長地久有時尽 此恨綿々無絶期
長いことお付き合いくださってありがとうございました。
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