「御釜殿」は藤井俊先生の「吉備津神社」に
「備中早島の人、安原備中知種が慶長17年(1612年)に再建した。」
とあります。なお、お釜殿は何時頃からあったのかは詳らかではないのですが、あの梁塵秘抄には出ていません。
「ここには阿曾女という二人の老女が奉仕し、一人がカマドを焚き、一人が釜の背後に立ってうらないの秘法を行なう。釜がさわやかに鳴ると良いしらせ、鳴らなかったたり低音であれば不吉なしらせであるとされる。このカマドの下には吉備津彦命の退治した鬼の首を埋めているという伝説さえある・・・」
と、説明がり,
さらに、
「文献に見える最初は、奈良の「多聞院日記」である。すなわちその永禄11年(1568年)5月16日の記事に
「備中の吉備津宮に鳴釜があり、神楽料二十疋を納めて奏すれば釜が鳴り、志が叶うほど高く鳴るという。稀代のことで天下無比である。」
と記されている。」
と。
これからも分るように、室町時代には、既に、吉備津神社の鳴釜は行われていたのです。
「備中早島の人、安原備中知種が慶長17年(1612年)に再建した。」
とあります。なお、お釜殿は何時頃からあったのかは詳らかではないのですが、あの梁塵秘抄には出ていません。
「ここには阿曾女という二人の老女が奉仕し、一人がカマドを焚き、一人が釜の背後に立ってうらないの秘法を行なう。釜がさわやかに鳴ると良いしらせ、鳴らなかったたり低音であれば不吉なしらせであるとされる。このカマドの下には吉備津彦命の退治した鬼の首を埋めているという伝説さえある・・・」
と、説明がり,
さらに、
「文献に見える最初は、奈良の「多聞院日記」である。すなわちその永禄11年(1568年)5月16日の記事に
「備中の吉備津宮に鳴釜があり、神楽料二十疋を納めて奏すれば釜が鳴り、志が叶うほど高く鳴るという。稀代のことで天下無比である。」
と記されている。」
と。
これからも分るように、室町時代には、既に、吉備津神社の鳴釜は行われていたのです。
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