私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

「摩具波比」

2015-07-11 09:43:34 | 日記
 「こんな事を書いて誰が見てくれるのですか。読んでくれる人は、余程、暇を持て余すか、何にもすることのないお人ですよ」
 と、ご親切に忠告して頂くお人も偶にはいるのです。でも、これでも、毎日、わたしのブログへの、訪問者数が、平均して、「34,5」ぐらいにはなっておるようです。閲覧数はそれより少し多めのようですが???

 まあ、そんなことはどうでもいいのですが、本音を言いますと、私のボケ防止のために書いているだけです。良かったらお目をお通しください。(毎日、大体、4~500字を目安に書いております。だから、中途半端になってしまうのです)

 さて、昨日の続きで「摩具波比<マグハヒ>」とは何でしょうか。是を宣長は

 “彼ノ不成合処と成余処と、宇摩久久比阿布<ウマククヒアフ>を言うなり”
 
 と説明しております。
 その後、古事記には

 “如此云期”
 
 と云う字が続きます。是を<カクイイチギリテ>と読ましております、「期」を<チギリテ>と。
 この字を辞書で調べてみますと、「約束する、ちぎる。固く心に決める事。あてにして待つ」等という意味があることを知りました。是も、私の目からうろこでした。古事記を読んでみると、80年も生きておって、初めて知ることが余りにも多いのに驚いている今日です。お笑いください。

「奈何<イカニ>」。そして、「前善<シカヨケム>」

2015-07-10 10:49:38 | 日記
 3,4回で、「淡路島とは」ということを書こうと思っていたのですが、書けば書くほど。その内容について、説明しなくてはと思う所が、次から次へと湧き出て来ます。「奈何」を言うと、どうしても「前善<シカヨケム>」という言葉を書かなくてはなりません。そんなことで、なかなか次の段階へが進まれません。

 イザナギが「奈何<イカニ>」と尋ねます。すると、イザナミは「前善<シカヨケム>」と、
「為生成国土<クニウミナサムトオモウ>」に賛同します。そして、また、次に言います。

 “然者<シカラバ>、吾<ア>と汝<ナ>と、この天之御柱を行廻(ユキメグリ>、逢いて”
 
 それに次いで、

 “為美斗能摩具波比<ミトノマグハヒセント>”
 
 とあります。
 ここまで書くと、どうしても
 「どうして、夫婦の交合(まぐあい)の前に、柱の周りを廻らなければならないのか」
 と、いう疑問点が起こります。

 それに付いても色々と論争があるのだそうですが定説はありません。それに付いて宣長は
 「男は上に在って天の如く、家(舎)にては屋の履うが如し、女は下に在りて地の載るが如く、舎にては床の如くなるを、柱はその中間に立て、上下を固の持つ物なれば、夫婦の間を固め持つ理にやあらむ。」
 と言っております。

 要するに、古代では、現在の三三九度の固めの杯と同じような結婚式の儀式として柱の周りを廻って居たのではないかというのです。
 なお、「美斗<ミト>」とは、御所の意味です。「そこで一緒に寝ましょう」くらいの意味です。

「不成合処」と「成余処」

2015-07-09 10:59:26 | 日記
 イザナミとイザナギの会話の中に出てくる、「不成合処」と「成余処」ということばについて、もうお分かりこことだとは思えますが、この部分を宣長は「古事記伝」では、次のように、ご丁寧にも、説明しています。言わずもがなですが、ちょっと面白そうなので書き加えてみます。宜しかったらどうぞ。
 まず、「不成合処」についてですが

 “欠けて満<タラ>はぬ如くなる処を詔へり。即ち御番登<ミホト>なり。”

 と。また、「成余処」については

 “ふくれ出て身の外に贅<アマレ>るが如くなるを詔へり。”
 と。これは説明も何の要りません。男性その物です。
 この辺りの書き様に付いても、この作者の入念なる想いがひしひしと伝わってくるようです。余り下品で淫にならないように配慮して書かれていることが。間接的にそれと想像できるような書きぶりなのです。だから、この部分を読んで少しも淫らな感じがしないと思われます。
 二人の体をお互いに刺塞<サシフタギ>て、生成国土<クニウミナス>のです。この後に、すぐ、“奈何”とありますから、イザナギがイザナミに丁寧にその賛否を尋ねております。「俺の考えが正しいのだ。黙って俺に付いて来い。数が多いことはいいことだ」的な誰かさんみたいな独断的判断で物事を決めるようとするのではく、イザナギは、相手の人の意見も十分尋ねてから、慎重に、物事を決めようとする民主的な支配者だったということがこの「奈何」の2字からも伺えます。

淤能碁呂島でのイザナギ・イザナミ の二柱

2015-07-08 20:29:41 | 日記
 天沼牟から海の塩が「許袁呂許袁呂<コオロコオロ>」と滴り落ちます。それが島となって淤能碁呂島が出来あがります。その島に、イザナギ・イザナミの二柱は天降坐<アマクダリ>まして「八尋殿」を造ります。この八尋殿で、まず、イザナギの神は、イザナミの神にお尋ねになります。ここから少々エッチのように聞こえるかもしれませんが、古事記に書いてある通りに書いてみます。

 「汝の身はいかになっているのか」
 「吾身は成り成りて、成り合わざる所が一ヶ所あります」
 それに対してイザナギは次のように言います
 「そうか。我身は成り成りて、一か所成り余れるところがある。この我が身の成り余るところを、汝の成り合わざる所に「刺塞<サシフタギ>」て国土<クニ>を生もうじゃないか。いかがなものであろうか」
 伊邪那美命答曰
 「然善<シカヨケレ>」

 話し合いは付きます。

 「成り合わざるところ」を「成り余れるところ」に「刺塞<サシフタギ>」なんて、よく考えて文章に仕上げたものだとここでも感心しきりです。少々エッチな描写で小中学生には聞かせられないのような話ですが、こんな描写が古事記には堂々と見られるのです。

 

淤能碁呂島

2015-07-07 10:19:13 | 日記
 イサナギ・イザナミの二柱がドロドロの海に「天沼牟」を差し入れ、その先からしたたり落ちた塩が固まってできたのが「淤能碁呂島<オノゴロジマ>」です。日本で、最初で最後に出来た島なのです。
 日本の国の本州・九州・四国やその他の島々も、総て、この「天沼牟」から滴り落ちた塩から出来た言われるのですが、それは宣長の言う「知ラぬ者のひが言なり」です。それらの島々は皆イザナギイザナミが生んだ地なのです。

 では、この日本の国に最初に出来た「淤能碁呂島]とはどこにあるのでしょうか。この点に於いても、宣長も、この島がどこであるとも、はっきりとは、言っておりません。ただ、淡島<アワシマ>(淡路島の北西にある小さな島)の近くにある「絵島<エシマ>」(現在の「胞島<エシマ>)がそれではないかと書いておりますが、ここが「淤能碁呂島」だとは確定してはおりません。

 こんなお話聞いたことがありますか????。私も、今回、詳しくそれらを調べてみて、びっくり、「目から鱗」です。

  どうでしょうか???まだまだ目から鱗が沢山あります。興味あるお方は、ご期待ください!!!!