私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

天児屋命が・・・・

2017-05-26 06:43:16 | 日記

 天石屋戸の前は準備完了です。いよいよ「天児屋命<アマノコヤネ>」の登場です。この神様はいったい何をする神様だと思われますか?????

                    “名の義は、招祖泥<オキ オヤネ>か”

 と宣長は説明しております。「オキ」とは「招禱」で「祈って招く」です。アマテラスが、一刻も早く。天石屋から出ていただくようにお祈りすることです。その大役を果たしたのがこの神様です。それを古事記には

                   “布刀詔戸言<フトノリトゴト>譸白而<ネギモウシテ>”

 とあります。詔戸言<ノリトゴト>は、あの祝詞です。譸<ネギ>は褒め祝ったりこいねがったりすることです。なお、「布刀」は何かを讃える時に使う辞だそうです。
  要するに、早くアマテラスの天石屋からのお出ましを希うための祈祷だったと誰でも思うのですが、「ちょっと待った。それは違う」というのが宣長です。どうお思いでしょうか????


面白い????「登<ト>」とはなんでしょう

2017-05-25 06:00:13 | 日記

 昨日、「布刀玉命<フトダマノミコト>が、「真賢木等御幣<ミテグラ>を天石屋戸の前にさし飾ります。」と書いたのですが、それを、古事記には

                    “登取持而<トトリモチテ>”

 と書いております。「取り持つ」ならば分かりますが、なぜ、「登」という字が付いているのでしょうかね。これが古事記の面白いところだと思われませんか????宣長は、これを簡単に
              
                   “辭<コトバ>なり”

 と、書いていますが。これって何でしょうかね??
 なお、昨日も書いたのですが、このように何かお祈りなどするときにその準備、ここに見られるような鏡や玉や御幣を供えたり作ったりする役目は、朝廷では、忌部氏が凡て行っていました。この場合、「登」は別になくても、「取持而」だけでいいはずですが????よくは分かりませんが、兎に角、「登」がくっついております。これを現代語訳した本には

                     “うやうやしく両手に捧げ持って”

 と、訳しております。この「うやうやしく」が「登」の意味でしょうかね???誰か宣長の云う「辭」とは何か教えてくださいませんか???


「五百津<イホツ>」とは

2017-05-24 07:55:39 | 日記

 「五百津」という言葉が時々出て来ますが、これについて、本居宣長は

        “ただ数の多きを云、津は一ツ、二ツの都なり”

と、説明しております。そのような沢山の八坂勾璁を「五百津之御須麻流之珠<イホツノ ミスマルノ タマ>」、勾玉を沢山糸で連ねた珠を(御須麻流は御統でたばねるです)、天香山から「五百津真賢木<イホツマサカキ>」を根から引き抜いてきて、その沢山の枝が出ている木の上枝に、この勾玉を付けた珠を、まず、取りつけます。中枝には八尺鏡<ヤタカガミ>です。この「八尺」というのは周りの長さで、径の大きさは、二尺一寸にもなるのだと、これも宣長の説ですが、七〇cmぐらいの大きな鏡だったうです。そして下枝には白と青の丹寸手<ニギテ> を取り懸けます。ニギテは木綿<ユフ>です。白は楮の皮を、青は麻の皮を剥いで作った糸です。なぜ、この3つが、特に、ニギテです、たかが布切れにもなってない糸をです。それをわざわざ奉ると言うことの意味は理解しがたい所です。
 まあ、それはともかくとして、この場では、布刀玉命が、この真賢木を捧げ持って天石屋戸の前に供えます。なぜ、布刀玉命かと申せば、朝廷では、代々忌部が専門的に神への捧げ物は作っていたからです。その忌部の遠つ祖が布刀玉命です。


三種神器は、この時に造られたものなのです。

2017-05-23 07:03:51 | 日記

 代々の天皇が受け継いできた三種の神器ですが、アマテラスが天石戸屋に立て籠られた時に、思金神が“伊斯許理度売命<イシコリドメノミコト>に「八坂鏡」を、また、玉祖命<タマノヤノミコト>にに八尺勾璁<ヤサカノマガタマ>を造らしますが、この鏡と玉が三種の神器になります。後の一つは、後にスサノウが退治したヤマタノオロチの腹から出てきた刀です。

 なお、古事記には、この段に「鍛人<かぬち>天津麻羅< アマツマウラ>を招いて」と書いてありますが、此の人は何を作ったのかは何も書いておりません。しかし、書紀には「日矛<ヒボコ>を造らせた」と書いてあることから、此の人が作ったのは「日矛」だと断定している人も有ります。

 マアこのようにして、高天原の総ての神様たちが、アマテラスが速く石戸屋から出ていただくように努力するのです。


今日も私の見術館へ???

2017-05-22 06:25:44 | 日記

 美術館でもないのに、今まで数回私の持っているる絵を目て頂きました。よくよく考えてみると「見術館」とした方がいいのではないかと気が付き、これからも、その名で、此のブログに乗せたいものだと思っておりますのでよろしくね。

 今回は「初夏」ということで総社市出身の日本画家「入江北宰イリエ ホクサイ>」の絵を紹介します。