私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

「閇<タ>てる」「闇」・・・それは氷河期の終末の???

2017-05-21 09:20:07 | 日記

 「閇」は<タテル>と読みます。「閉」の異体字です。何かを持ってきて立て塞ぐという意味だそうです。

 アマテラスは、「天石屋」におはいりになり、すぐにその入り口を塞いでしまわれたのです。今、我々が普段使っている、所謂、引き戸ではありません。側に置いていた戸を持ってきて、その入口に立て懸けたのです。更に、ご丁寧に、アマテラスは中からその戸を『刺』、錠前をして、決して、外からは開けることができないようにしてしまわれたのです。もうそうなったなら、いくら外からひっぱ叩こうがどうしようが、その戸はびくとも動きません。外からはけることはできないのです。察するに、お入りになった石で作られた御殿ですから、当然、その戸も頑丈な石で出来ていたものでしょう。だからこそ光も何もかにもその中に閉じ込められたのだと思います。これは私の考えですが、今、誰もこの事に付いては触れていますんが、日の光が消えたということは、また、この世の中、寒零の氷河期になったことも意味しております。そうすると、この時期は、地球の歴史から考えますと、氷河期が終わろうとする約1万3000年頃の話ではなかったのではないでしょうかね???なお、縄文時代の始まりは教科書には1万6500年頃の話だと書いてあります。

  こんな寒い時に天宇受売命は樽の上で、よくも踊りが踊れたものだと、感心をしておりますがそれに付いては明日にでも・・・・


思金神の計画

2017-05-20 07:37:47 | 日記

    ④天香山に住む雄鹿の肩骨を採って、そこに生えている“天波波迦<アメノハハカ>”(朱桜<ウワズミザクラ>)を採ってきて

                                “占合<ウラヘ>”

     事の次第を占わしめます。
    ⑤天香山に生えている五百津真軒木<イホツマサカキ>を根こそぎ掘り起こし、上枝に勾玉を、中枝に鏡を掛け、下枝に白・青の丹寸手<
     ニギテ>垂らし、それを布刀玉命<フトタマノミコト>に持たして、それを前にして天児屋命<アメノコヤネノミコト>に祝詞を奉上させる。 
    ⑥天手力男神<アマノタチカラヲノカミ>を天石屋戸の戸掖<トワキ>に立たす。
    ⑦天宇受売命を天石屋戸に汗気<ウケ>伏せて、その上で舞いを舞わしめる。

 以上、7つの事を思金神は天安之河原にあつまった八百萬神<ヤオヨロズノカミ>」に提案して実行に移させます。
 さて、これだけの準備完了して、いざ実行に移しますが。その前に、少々気になることがあります。アマテラスがお隠れになって閉めた石屋戸はどのようなものだったのでしょうか???それと、天宇受売命がきていた衣装は???

 これに付いてはまた明日にでも        


再び天界へ

2017-05-19 06:48:25 | 日記

  アマテラスはスサノヲの悪行を“見畏<ミカシコミ>て、天石屋に“刺許母理坐也<サシコモリ マシマス>”。すると高天原や葦原中国は“常夜”になります。
 さあ大変です。八百萬の神様が天安之河原に、誰言うということもなく、全員が、自然に、「どうすればよいか???」と、お集まりになられたのです。

                      “神集集而<カム ツトイ ツドイテ>”

 「ワイワイガヤガヤ」とです。そこでは何一つ解決策は出て来ません。そこで現れ出でたのが

                              “思兼神”

 高御産巣日神<タカミムスビノカミ>のお子様です。天界の最高の知恵者だったのです。「如何にして、再び、天界を明るくするか」 その方法を集まった神々にを伝授したのです。その方法は6つありますが
 
                ①“常世長鳴鳥<トコヨノ ナガナキドリ>”と集めて鳴かしめます。
                ②天安河之河上の「天堅石」と天金山の「鉄<カネ>」を取ってきて八尺勾璁<ヤサカノマガタマ>と鏡を作らせます。
                ③天香山に住む牡鹿の肩骨を取って、そこに生えている“天波波迦<アメノハhカ>(カバ桜)の木で、それを焼いて占わしめます。
                
 後三つは明日に・・・・・・


もう一つの宝物を???

2017-05-18 08:06:14 | 日記

 犬養木堂の5・15事件に関して、私はもう一つの珍しい宝物を持っております。写真でどうぞ!!!!!!!!    

               

                            

 犬養が生前好きだったと言い伝えられているバラをさしこんでいますが、これは砲弾の先です。この中には

       「昭和6年9月19日 満州事変南岺激戦記念」という字が彫り込まれております。

 なお、9月19日と云うのは満州事変が勃発した日です。此の日、関東軍が、一番初めに攻撃した所が『南岺』にある中国軍の兵営です。


セッコクの花が咲きました

2017-05-17 08:02:55 | 日記

 朝何気なく庭に出てみますと、何処からともなく馥郁とした風が鼻をくすぐります。

 「おや何か・・・・???」

 と辺りを見回すと、もう数十年も前になるのですが、カエデの木に付けておいたセッコクの根が伸びて、今年初めて花を付けたのです。「天女の香り」と言い伝えられております。その花だけでもどうぞ。香りまでは届けられないのですが・・・・・・・・