私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

矢野橋村の絵を

2017-05-11 09:19:25 | 日記

 今日も私の美術館へ、写真で誘います。
 5月の爽やかな風に誘われて、私の持っている初夏の柳を描いた橋村の軸を出してみました。信州の農村の彼にしか出せない風情を心象的に捉えて描いた作品です。巧くその神髄まで写真では捕えられないのですが、まあ見て下さい。

                             

                     

朦朧体と云うのでしょうか、春の霞の中にある今では、決して、見ることができない風景です。ほのぼのとした、何か眠りでも誘うような気分に体を包み込むようです。
  絵を見ると言うことは、音楽を聴くと同じように、生きる喜びを感じさせてくれますよね。
 
 私は、趣味で、いいものではありませんが、少しばかりの掛け軸を持っております。漸次、この続きをご紹介しますので、「またか」と思わないで、笑いながらご覧いたき、ご批判を賜りますようお願い申上げます。


この石なんの石??、気にしない!!!鯉山小へ

2017-05-10 15:17:41 | 日記

 縄文と弥生の人達が使用していた本物の「土器」や「石器」を持って、鯉山総学校の6年の教室を訪ねました。まず、縄目の付いた土器の破片を見せました。「縄文」と云う言葉がより深く理解できたと思います。次に、縄文人が使っていた「石器」です。特に、矢じりには、興味を持って触ったり見たりしておりました。中には
     「これは黒曜石??ですか」
 と、鋭い質問をした子もいました。なお、此の縄文に関して、「エドワーズ・モース」・「鳥居竜蔵」という人の名前や「239年」という年号に付いて調べるよう注文を付けておきました。

 2時間という時間設定でしたが、少々時間が足らずの下手糞な授業でしたが、どの子も大変興味を持って、目を輝かせながら授業に参加してくれたのではないかと思います。

 特に興味を示した縄文石器は、次の写真の石器でした。

                           

 この石器を縄文時代の人達は何に使ったのでしょうかね。長い間、何ない使われたのか分からなかったのですが、それを明らかにした人が、「鳥居竜蔵」という人です。

   さて、皆さんはこの石何のための石かお分かりでしょうかね。どのように思われますか???

 その説明の後、「弥生」に入りましたが、4校時終了時間のチャイムです。弥生土器に付着している稲の条痕などをと思ったのですが、不十分な説明だ終わりました。


青空に立つ木堂!!!初夏の美しい吉備津の一風景です

2017-05-09 06:21:44 | 日記

 吉備の中山が緑に映え、この時期でなければ見ることができない美しい風景が辺りを席巻しております。その絶大なる緑なす大地を懐に入れるかのようにして、初夏の空の青さの中に、犬養木堂の銅像が威風堂々とその姿を突きたてるように立っております。5月の吉備津の一大絵巻物です。四季折々で、春には春の、秋には秋の、千変万化の表情を見ることができると思います。

            果たして、今、木堂は何を見て、何を思っているのでしょうかね。その青空のもとで???

 一度、お足をお運びください。感動が皆さまの胸に湧きたつ事間違いありません。

 

                    


「八尺勾璁」について

2017-05-08 07:30:03 | 日記

 今週の水曜日に鯉山小学校の六年生の教室を訪ねて、私が持っている縄文や弥生の土器や石器を手に、直接、触れながら、その時代の人々の暮らしぶりを考えようと言うのが狙いです。その授業で私が作った勾玉も見せたいと思い、今その勾玉を磨いている所です。なかなか穴があかないので困っております。
 今5mmほど開いております。時間の問題でしょうか。なお、石の種類ですが、硬度が3ぐらいだと思いますが名前は不明です。

                              

 なお、台紙の文字は、古事記の中のアマテラスがスサノヲを迎え撃つ時の準備の様子を書いています。 


尾形光琳になって

2017-05-06 09:03:13 | 日記

 昨日「私の美術館へ」と題して「波多野華崖」の絵を載せましたが、「少しはあなたの作品も」と、ご注告をいただきました。そこで、久しぶりに「何か写生でも。」と思い、家の周りを、ぶらぶらと、朝の散歩にもならないのですが、ふらついてみました。丁度、私の庭のアヤメが、今、最盛期を迎えております。その咲き様が、「光琳のかきつばた」に少しばかり似ているように思い、、どうしてそんなとんでもない心が突然に浮かび出たのかは分かりませんが、ちょっと手慰めにこのアヤメを「生け」てはと思い付きます。早速、鋏を持ってきて生けてみました。

 「花を生けるとは」何でしょうかね。不思議な世界ですね。これも「美術」でしょうかね。ご批判を賜ればと思います。!!!