新・過去世物語アナザーストーリー〈前編〉 二宮尊徳の「積小為大」は、「縁起の理法」の実践であった 過去世だった行基の思想との興味深いつながり
2023.01.16(liverty web)
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二宮尊徳(1787~1856年)と行基(668~749年)。イラスト:菊池としを、写真:beeboys / Shutterstock.com
コロナ・パンデミック、経済の低迷、政治の混乱──。困難な時代を、私たちはどう生き延びていくべきか。
コロナの流行で日本中が混乱し始めていた2020年夏、本誌では、「行基は二宮尊徳に生まれ変わっていた! 暗黒の時代に奇跡を起こす秘訣とは──新・過去世物語 人は生まれ変わる」を掲載した。
それから2年以上が経ち、世界情勢の混乱も加わって、さらに混沌の度合いが深まっているが、それでもなお、二宮尊徳が説いた「積小為大(せきしょういだい)」の精神は、個人や企業、国家にとって、どんな時代にも欠かしてはならない大切なものである。
本欄では、アナザーストーリーとして、本誌とは異なる角度で、主に尊徳の「仏教精神」を軸に見ていきたい。
2回に分けて紹介する前編は、「尊徳の仏教精神と過去世だった行基の思想との興味深いつながり」について紹介する。
10代の尊徳は、60歳を越える住職から「僧を代わってほしい」と請われた
江戸時代後期を生きた尊徳の過去世が、人々の信仰心を結集して大仏建立を成し遂げた奈良時代の僧・行基であったように、仏教と縁の深い魂であることを示唆する逸話は多い。
象徴的なのは、少年時代のエピソードだ。
尊徳は14歳の時(18歳という説もある)、隣村の観音堂に参拝した際、出会った旅僧による観音経の読経を聞いた。激しく感動すると、手元にあった200文を全て布施し、「もう一度、読経してください」と頼み込み、改めて読経してもらった。
喜んだ尊徳は、栢山村(現・神奈川県小田原市)に戻ると、村の住職に、「実に広大無辺の理法ですね」などと観音経の功徳を滔々と語った。驚いた住職は、こう述べた。
「自分は60歳を越えて、何千遍も経をあげてきたが、いまだにその深い理法がよく分からずにいる。あなたはその若さで、一度聴いただけで無量の真理をはっきりと理解した。これこそ菩薩の再来というもの。私はこの寺を立ち退くので、あなたは僧となってこの寺に住まわれ、衆生済度の道を歩んでほしい」
しかし、尊徳は「父祖の家を興し、先祖の霊を安らかにしたい」と丁重に断った。
このエピソードひとつ取っても、強い信仰心があったことがうかがえる。
貧しい家庭に生まれた尊徳は、その後、「積小為大」の精神で運命を切り拓いていったが、それは、仏教で言うところの「縁起の理法」の実践であったと言えるだろう。善因善果の積み重ねが、自らの人生を変え、社会をも変えることを実証したのが、尊徳の歩みであったからだ。
600もの農村を復興させた尊徳は、まず「心田の復興」を目指した
尊徳が5歳の時、二宮家は酒匂川の洪水で一家の田畑をすべて失う。その後、赤貧の中で兄弟3人を育ててくれていた父と母を相次いで亡くして一家離散となり、16歳の頃に伯父の万兵衛に預けられる。
昼は農作業で汗を流し、夜は灯りをつけて勉強する尊徳に、「油がもったいない。百姓に勉強などいらぬ」と心ない言葉をぶつける万兵衛。
そうした厳しい状況の中でも、自ら開墾した荒地に捨苗を植えて、一俵のコメを収穫する。その時、「小を積んで大をなす」という自然の道理を悟る。尊徳、17歳の時であった。
その後、尊徳は万兵衛方を辞し、名主の家に住み込んで余暇に廃田の復旧・耕作を進め、一度手放した田地を買い戻すなどして、コツコツと蓄財し、自家と本家まで含めた一族を再興する。武家の再建、下野国桜町領(現・栃木県真岡市)の復興に尽力し、小田原藩吏や幕吏に登用されるなどして、生涯で600もの農村を復興させた。
見逃してはならないのは、復興の際、まず初めに人々の「心田の復興」を目指したことだ。
尊徳は、荒れた田畑だけでなく、怠け者や遊蕩の中で堕落する者の心をも「荒地」と見なした。その「心田の荒地」は、諸々の貧困や不幸の原因となるために「国家にとって最も大きな損失だ」と言える。
だからこそ、「私の道は、まず心田の荒地を開くことを先とする」と論じたのだった。
「心田の荒地を開いた後は田畑の荒地に及んで、この数種の荒地を開いてよい田畑にすれば、国が富強になるのは、手のひらを反すようにたやすくなる」(『二宮翁夜話続編』)
尊徳と行基に流れる「信仰心のある日本資本主義の精神」
尊徳は、神社や寺院の復興にも力を注いだ。
青木村(現・茨城県真壁郡大和村)の復興の折、どの家も困窮している様を見て、「村の神社や寺院はどうなっている」と問いかけた。
村人は「神社や寺院は民家よりもひどい有様ですが、とても顧みる余力はありません」と答えた。
すると、尊徳は、「村を守護してくださる神仏をないがしろにしたままで、村人はどうやって繁栄することができるのか」と問い返した。
実は、こうした考え方は、奈良時代に行基が弘めた「福田(ふくでん)思想」にとてもよく似ている。
「福田とは、福徳を生み出す田の意味で、仏・僧・父母・貧者などに物心を施せば福徳・功徳を得るという考えに基づき、これを田にたとえて福田という。もとは仏陀のみが福田であったが、福田の範囲は次第に拡大して、阿羅漢・衆僧・父母・師長・病人・貧者までも意味するようになった」(吉田靖男著『行基』)
行基は、この「福田」の範囲を広げた。井戸を掘り、川堀や堤防、ため池、用水路などをつくり、運送を楽にする架橋や民の行き倒れをなくす布施屋などをつくることまで、福田に功徳を積む行為に含めたのだ。
大仏建立事業では、全国各地を歩き回り、布施を募った結果、国家予算の2倍の資金が集まり、当時の総人口の約半分(260万人超)が進んで建造に協力した。
行基の福田思想は、仏・法・僧への布施のほか、衆生へのさまざまな利他行などを含めたものだが、信仰心篤い尊徳の農村復興もまた、神仏への供養や魂の救済を視野に入れていた。
尊徳も行基も、目に見える形での救済や発展を伴う社会事業と共に、魂の救済と言える人心の改革を両立させた。そこには、「信仰心のある日本資本主義の精神が存在していた」のである(大川隆法著『小説 地球万華鏡』)。
(後編に続く)
【関連書籍】
いずれも 大川隆法著 幸福の科学出版
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