「梅ヶ瀬渓谷」:養老川支流の梅ヶ瀬川が流れる渓谷で、近隣の養老渓谷や七里川渓谷などとともに南房総の紅葉の名所として知られる。梅ヶ瀬川両岸に続く断崖は梅ヶ瀬層と呼ばれる高さ30~50mに及ぶほぼ垂直にそそり立つ侵食崖で、例年11月下旬~12月上旬頃の南房総紅葉最盛期には崖上の紅葉を見上げながら歩くのが楽しい。だが今年はやはり10月の二度の台風襲来の影響もあって、すでに茶色に変色したり落葉した木々が目立ち、例年よりは寂しい眺めになっていた。
ハイキングコースの渓流沿いの道はしばしば途絶えて、流れの中の自然石を飛び石にして渡る箇所が多い。運悪く雨後などで水量が多いとトレッキングシューズでも渡れないこともあるので注意を要する。渓谷入り口には広い駐車場があるが、小湊鉄道養老渓谷駅から歩くと約90分、入り口から最深部の「旧日高邸」跡地までゆっくり写真を撮りながら歩くとさらに2時間くらいはかかる。そこからは同じ渓流沿いの道を引き返すか、または急峻な山道を上がって大福山展望台を目指し長い車道を下って入り口に戻るかどちらかになる。
旧日高邸跡の三本の大カエデは完全に落葉していた。(2017.12.5)
「日高誠實」(ひだかのぶざね):渓谷道最深部の「旧日高邸」跡地には「顕彰碑」が残っているだけだが、紅葉期のいちばんの楽しみとなっている三本の大カエデの古木がある。日向高鍋藩(現宮崎県)出身の日高誠實は明治19年に陸軍省の役職を辞して南房総山あいの官有地を無償で借り受け、理想郷梅ヶ瀬を作り上げることを目指した。近隣の村々の協力を得て植林、400株もの梅林造成、養魚、畜産業などに尽力し、さらに学問所「梅ヶ瀬書堂」を開設して子弟に国漢・英数・書道・剣道などを教授し、多くの有為な人材を育成した。市原、君津、長生、山武、夷隅地区から数百人が集まり教えを受けたといわれている。
しかし、深山幽谷のこの地での「理想郷作り」はあまりにも厳しく、度重なる台風、豪雨などの自然災害によって山や崖は崩れ、川は埋まり、地名「梅ヶ瀬」の由来ともなった梅林も根こそぎ崩れ落ち、深い渓谷奥地での学問所の運用も成り立たなくなった。そして大正8年80歳にして多くの人々に惜しまれながらこの世を去った。長い年月を経ても明治の偉人「日高誠實」の名は人々の心に残り、平成11年11月23日にはその志が集まって立派な「顕彰の碑」が梅ヶ瀬書堂跡、大福山展望台、養老渓谷駅前の三箇所に建立除幕された。
*関連記事:2017年4月20日更新記事「新緑の梅ヶ瀬渓谷を歩く」