駿河湾の沖合い(南)から富士山(北)を眺めるこの地形図では
富士山の下に見える市街地は沼津市から富士市辺りとなります。
説明文では、「駿河湾は港から数キロ沖へ出ると急に深くなり
水深は2,500mにもなり、南北に伸びる「駿河トラフ」と呼ばれる
深い溝が存在して、湾を東西に二分している」と書かれています。
この図は「激しい地殻変動」による「独特な地形」といえるでしょう。
*「伊豆半島の生い立ち」を調べてみると、とても信じられないような
大昔からの伊豆半島の地殻変動がわかりやすく示されています。
① 深い海での火山活動(800~400km沖合い):2000~1000万年前
② 浅い海での火山活動(400~80km沖合い):1000~200万年前
③ 本州への衝突の始まり(80~40km沖合い): 200~100万年前
④ 本州への衝突の進行(伊豆半島海面隆起):100~60万年前
⑤ 伊豆半島原型完成(海底火山多数地上に現れる):60万年前
⑥ ほぼ現在の伊豆半島の形に(箱根・天城火山等):60~20万年前
⑦ 現在の伊豆半島の形(火山活動):20万年前以降
(注):富士山・箱根火山の活動開始時期には
いろいろな説があり、 調べてみると ・・・
*「富士山誕生」=古富士(2700m) 約25000年前
新富士(3776m) 約10000年前
*「箱根火山誕生」=約40万年~50万年前
*伊豆半島はこのような遥か昔からの激しい海底火山の活動と
本州への衝突を続け現在の姿になったことがわかりました。
上の①~⑦の長い長い歴史を頭に入れて、伊豆半島だけではなく
日本列島全体の激動の生い立ちに思いを馳せながら、今後は
このような観点からも探究心を持って国内各地へでかけて、
ジオパーク旅を楽しみ味わいたいと感じています。
とても小さい写真ですが駿河湾沿いの沼津市の位置がよくわかります。
湾岸沿いの沼津市内には「沼津アルプス」と呼ばれる山系があります。
この写真手前に見える山々の標高は以下のとおりです。
「牛臥山(70m)」「香貫山(193m)」「横山(182m)」
「徳倉山(256m)」「志下山(214m)」「小鷲頭山(330m)」
「鷲頭山(391m)」 「大平山(356m)」
標高の低い山々ですが実はこれらは昔々は海底火山群でした。
北への移動で本州への衝突開始となり姿を現したのです。
「沼津アルプス」は小さな連山でも起伏が多く鎖を使い歩く場所もあり
眼下には駿河湾、北には富士山の大パノラマが楽しめるコースで
県外からも山好きで訪れる人が多いということです。
*< 「プレート」の動きについて >*
( 「プレート」とは、「地球の表層部を覆う厚さ100km もの硬い岩盤」 )
「伊豆半島UNESCO世界ジオパーク」について詳しく調べているうちに
これまでとてもわからなかった多くのことを学ぶことができました。
ネット検索中にこの図が眼に入り、日本列島周辺の「プレート」
について初めてはっきり認識することができました。
伊豆半島が 「フィリピン海プレート」上に乗っているということは
想像さえもできないことでした。南からその「フィリピン海プレート」
そして北からは「オホーツクプレート」が 伊豆半島直下でぶつかり
さらに両側からは「太平洋プレート」と「ユーラシアプレート」が迫り
伊豆半島の地盤はとても不安定であるといえるでしょう。
<*以下は上の図面の解説になります。>
約2000万年前、伊豆半島は数百キロ南方の現在の硫黄島付近
の海底火山群で、2011年の東日本大震災の原因となった巨大な
「太平洋プレート」が伊豆半島が乗っている「フィリピン海プレート」
の下に沈みこんでいて、フィリピン海プレートは本州が乗っている
「ユーラシアプレート」の下に沈み、「フィリピン海プレート」の上に
できた海底火山は、プレートと一緒になり北方へと移動を始めた。
およそ100万年前には本州に衝突して、陸地同士が海を埋めて
現在の姿の伊豆半島が形成された。その後約20万年前までは
陸上のあちこちで噴火が始まり、天城山や達磨山など、現在の
伊豆半島の骨格を形づくる大型の火山が誕生することになった。
プレートの動きはまだ現在も伊豆の大地を本州に押し込み続け
地殻変動により、さまざまな地形を作り続けている。
伊豆半島は世界のどこにも同種の例を見ない「地球上の特異点」
ともいえるほどの 「Global Geopark」 となっている。