昨日、残念ながら明豊高校は準優勝。でもよくやりました。拍手!
京都にいる中学二年の孫が友達と甲子園まで見に行ったそうです。感動したとか・・
それで、思い出したのです。私が一番初めに野球を見たのはいつ・・・
九州の田舎なので、めったにプロ野球を見る機会はありません。たどってみると・・・
昭和24年の秋でした。中津球場で大映スターズ対東急フライヤーズのオープン戦があったのです。小学校4年? 誰に連れて行ってもらったのか記憶が定かでないけど・・・
これが、一リーグ最後の試合でしたから、思えば大変貴重な経験です。翌年からセ、パの二リーグになったのです。
大映には、小鶴、大岡、それにスタルヒンもいました。東急には青バットの大下・・・大映の多くの選手は翌年新設の松竹ロビンスに移って優勝するのです。その時、六大学の選手を集めてできた弱小球団「近鉄パールズ」のファンになりました。以来、流れをくむ楽天を応援してます。
つぎに見たのが、昭和27年の夏、大分球場で巨人対大洋ホエールズ。小学校六年だったような。友達と二人で行きました。国東半島の辺鄙な村からよく大分まで行ったなあと思います。
その時の記憶では、巨人に馬場という大きな投手がいました。後のプロレスラー。大洋のピッチャーは連敗記録を作った枯れ木のような権藤・・
来た時と同じように、大分から宇佐まで煙を吐く汽車に乗って、宇佐から軽便で高田に着いたのは8時か9時。それから約8キロの夜道を二人でとぼとぼと・・・星空がきれいでした。
夜中に近いころ家に着きました。蚊帳の中で母親がラジオを聴きながら待っていました。ラジオからヘルシンキオリンピックの実況が流れていました。あの頃の海外放送は、波のように声が大きくなったり小さくなったりしていました。
あの夜がなければ、あのラジオ放送の記憶もなかったでしょうね。
母親が井戸水で冷やしておいた紅茶を出してくれました。後にも先にもあのような美味しい紅茶を飲んだことはありません。
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