こ も れ び の 里

長崎県鹿町町、真言宗智山派、潮音院のブログです。平戸瀬戸を眼下に望む、人里離れた山寺です。

「ほがす」は標準語、だと思っていた。

2008年06月13日 | つれづれ
学生時代、
書き上げた論文の原稿用紙を束ねるため、
後輩の手を借りようと、
「申し訳ないけど、近所の製本屋さんまで行って、
この原稿用紙の4箇所に穴をほがしてきてくれないか!」
・・・(?_?)
それを聴いた後輩はしばしの沈黙のあと、
「ほがしてきてって、どういう風にするんですか?」
論文提出の期限が差し迫っていた私は、いささかイラッとしながら、
「ただ単に、ほがしてもらやあいいんだよっ!((-_-;))」
なお一層困った顔になった後輩を擁護するように一緒にいた同期生が、
「おい石田!<ほがす>って言葉聞いたことねえぞお。それ方言だろっ?」
・・・(@_@)

・壁に穴をほがす・砂山に穴をほがしてトンネルを作る・シューズの先に穴がほげた・・・・これは、れっきとした標準語だと、絶対標準語だと、
確固たる信念を持っていた私は、どうしてもあきらめきれず、
広辞苑まで引いてみた。
すると、やっぱりあるじゃないかっ!それみろ!ほれみろ!

広辞苑より「(九州地方で)穴をあける。日葡」

そ~らみろ。九州限定の標準語だあ!
それも、典拠が「日葡」ときたもんだ。
グローバルだゼ!(;_;)
コメント (2)
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二者択一

2008年06月13日 | 仏教
難しい問題の判断を下さなくてはならないとき、
ついつい、二者択一的な考えになりがちです。
二つの選択肢のうち、どちらかが正しくて、どちらかが間違った判断と、
勝手に決め込んでしまう。
よくよく考えてみれば、世の中なんて複雑怪奇なもので、
二者択一で全面解決なんてありえないんでしょうけども。

胎蔵・金剛といわれるまんだらは、全く異質な内容なんですが、
二つで一つなんだよと教えてあります。こんなところにも、
現代の私たちの価値観とは大きく違った何かを感じます。

とある夫婦が、子どものお小遣いについて対立しています。
その家庭は自営業で、酒屋の小売店です。
盆暮れは特に忙しく、小学生や中学生の子どもたちも手伝います。
一生懸命手伝ってくれたご褒美に、お手当を渡すことになりました。
ところが、お父さんの準備したお手当の金額について、
夫婦間で折り合いが付きません。
お母さんは、
「多すぎじゃない?金銭感覚がおかしくなりそうで不安よ。」
お父さんは、
「家業のたいへんさと達成感を体験しておくことは、将来につながると思う。」

商売を営む家にとって、この問題はとても大切なことに思えます。
母親は、子どもとして所有すべき常識的な金銭感覚の大切さ、
すなわち今現在どうあるべきかに重点があるようです。
父親は、家業の苦楽を身をもって体験させることに将来へのつながりを見出しています。子どもの将来に重点が。

さて、どうしたものでしょう。

ただ一つ言えることは、
それぞれの考え方が、夫婦の間でお互いに認め合えたとき初めて、
「その判断は正しい」、ということができるのかも知れません。
これが、まんだら的判断でしょう。
コメント (1)
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