こ も れ び の 里

長崎県鹿町町、真言宗智山派、潮音院のブログです。平戸瀬戸を眼下に望む、人里離れた山寺です。

功徳を積ませていただく、功徳を積んでいただく。

2008年06月16日 | 仏教
放課後のほんの二時間足らずのひとときではあるが、
中学生のクラブ活動に関わらせていただきながら、
心地よい汗をかき、心肺機能が高まり、ご飯が美味しくいただけ、
思春期の子どもたちとコミュニケーションがとれ、
この上ない有り難き時を過ごさせていただいている。
一方読み語りでは、朝のほんの15分間だけれども、
自分の勝手な好みで選んだ本でもって、
小学生のくったくない笑顔や真剣な眼差しを見ることのできる幸せ。

快くそんな環境を提供して下さるひと・もの・ことに
有り難さと心からの感謝、多謝。

今朝の新聞に、現代の葬送儀礼に関するレポートがあった。
「直葬」「(ちょくそう)などという聞き慣れない言葉だが、
要するに、身内の者が死亡すると、枕経も、お通夜も何にもしないで、
直行で火葬場へ故人を搬送することだそうだ。
そして、炉の前で、葬儀屋さんから雇われたアルバイトの坊さんらしき人
がやってきて、むにゃむにゃチンチンなむチンチン、
さらりと終わり、さようならと。
法律上は、死語24時間が経過していて、何らかのキッチリしたセレモニーを執り行えば、何ら問題はない。
現代の葬式事情を調査している大学の先生によれば、
「親戚や地域の人、その他の関係者に迷惑をかけたくない!」
というのが最大の理由だとか。
・・・
???
迷惑って何だろうか?
はっきりいって、逆だよ逆。大きな誤解だ。
知縁血縁の死を悼み、悲しみ、故人を偲び、
そして故人の新たな旅だちに立ち会って幸福を祈る。
魂ある人間として、当然なすべき行為を、
喪主(こんだけ省略する喪主はすでに喪主にあらず)の誤った判断で、
勝手に奪い取っているのだ。もう強奪だ。
この罪重し。
多くの手厚い供養をいただいた故人の御霊は、
自らの幸せにとどまることがない。
見返りを求めない すがしい魂は、
森羅万象の幸せのために放出される。

「迷惑をかけたくない」が
逆に大いなる迷惑をかけていることに気付いて欲しい。
あっ?!
故人を葬送する一連の事が煩わしく面倒くさいもんだから、
その口実として「迷惑かけたくない」って言ってるとしたら、
これはもう、・・・わびしく寂しい限りである。

清らかな行為と、
功徳を積んでいただく気持ちと、
功徳を積ませていただく気持ち。

忘れたくない。





コメント
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